魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

主張する外交?

2007年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

占いの俯瞰 2でも言ったように、政治は理屈ではない。現実だ。
それも、目に見える枝葉末節の現実ではなく、大局の現実。
意味的現実。つまり、現象の指し示す性質や方向性といった、形よりも重要な、本質的現実のことだ。

負けて勝つ
目先の現実処理に躍起になると、「意味無いじゃ~ん」ってことになる。
近頃の政治家や知性はそうした枝葉末節に埋没し過ぎている。
従軍慰安婦問題は安倍政権の、「民主党永田寿康・偽メール問題」並みの失策だ。
野党の発言なら国内問題ですむが、一国の首相が国会で「謝罪しない」と明言すれば、国家としての態度表明だ。
もし、信念からそう言うのなら、アメリカに行って堂々と議論すれば良いではないか。それを中途半端な釈明ですまそうとする。浅はかで姑息に映っても致し方ない。アメリカ人の最もいやがる態度だ。

政治家の仕事は大局を俯瞰して、枝葉末節にはかかわらず、最も重要なことに切り込むことだ。
「負けて勝つ」ということを考えるべきだろう。「手術は成功した、だが患者は死んだ」では政治は済まされない。

兄弟関係でも話した若貴兄弟。若乃花側は沈黙して時を待った。加山雄三も、父親の失敗で噛みつかれたとき沈黙を保った。
言いたい放題言われているとき沈黙するのは極めて辛い。しかし、バカを相手にすれば自分も同格に落ち、しかもこちらの力を相手に与えることになる。今回はまさにそういう失敗。小賢しく勝とうとして負けた、やぶへび外交だ。

沈黙は金」が「美しい日本」的態度で、「雄弁は銀」は世界のルールだ。これからの世界はむしろ日本的あり方が必要になると思うが、主張する外交(雄弁)というのなら徹底すべきだ。中途半端な主張は「空気の読めない」暴論とみなされる。


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