現行の一夫一妻の婚姻制度は、ほぼ、グローバルスタンダードになっている。
250年の産業革命パラダイムを推進する根幹として、学校、会社、国家・・・と、あらゆる制度のベースになっている。
従って、国家間競争に打ち勝つために、そうでなかった国家も、一夫一婦制に整え直した。
そして、その中で生まれ育った人々にとっては、一夫一婦制がまるで、金科玉条、天地の理、自然の摂理のように思えるようになった。
しかし、一夫一婦制は、産業革命パラダイムのリーダーとなった、欧米キリスト教国の原理であり、アジアには、一夫多妻の原理はあっても、基本的に一夫一婦制はない。
と言えば、かなり語弊があるが、「一夫一婦で生涯添い遂げなければならない」神の教えがない。(現実には慣れた二人に収まるが)
欧米人から観れば「愛人」など、「あってはならない」概念であり、逆に古中国には金と権力に妾はつきもので、互いに相容れない。
その父系の両者から観て、さらに、日本や東南アジアなど母系の、「無秩序な婚姻」は、法もモラルもない「野蛮」とされた。
日本を含め、東南アジアの歌垣や、沖縄の毛遊びなどにあるような、適齢期の自由恋愛が、和歌や今日の合コンにまで続く、高度な文化や情緒を育んできた。しかし、父系的な「・・・ねばならぬ」のイデオロギー文化は、それを、野蛮と蔑視し、抹殺しようとしてきた。
母系の耀き
欧米の産革パラダイムを、急いで取り入れようとした明治日本も、古来の東南アジア的文化をやっきになって押さえ込み、さらに、敗戦によるアメリカナイズで、日本はすっかり欧米式に変貌した。
が、母系の日本的なるものは死んではいなかった。
クールジャパンと言われるものは、すべて、海洋、東南アジア的な情緒から生まれるものであり、欧米中韓のいずれにもない、蓬莱の島の繊細な美と快楽の耀きを、産革パラダイムのシステムを介して世界に発信している。
渡来人の侵略でばったり消えた縄文は、弥生の合理性の中に「様式美」と化して生き残った。そしてさらに、欧米の産革パラダイムの中に、今また、クールジャパンとして甦っている。
欧米中韓の父系原理は、固定的な婚姻をベースにした、侵略と収奪の産革パラダイムに行き着き、自制することができない。
一方、日本のような母系的な島国は、永遠の平和の中で、縄文土器のような無駄な美や娯楽を追求する。そこに、財の為の婚姻はいらない。
もちろん、日本は産革パラダイムの優等生となったが、その一因には他の先進国が持ち合わせない、母系の情緒があったからだろう。
日本の衰退は、もしかすると、欧米中韓のなしえない、大転換の先駆けなのかも知れない。(少子高齢化もその現れ)
来るべき、成長無き安定の時代には、南洋の島、蓬莱の島の生き方が価値を持つようになるはずであり、やはり、生産拡張原理の婚姻制度は無くさなければ、次の時代は始まらない。
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