魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

次の文明

2022年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

台湾新幹線に触発されて思わず「草食肉食 」を書いたが、違う話になった。コロナ禍の2020年「いますぐ」では、乗り物と社会転換について書いている。どうにも、交通や物流の話は気になるようだ。
人・物・情報のアクセスは文明の原点であり血脈だ。
「衣食足りて礼節を知る」は生存環境だが、次には「物流足りて人権を知る」と続くべき、文明の基本かも知れない。

産業革命パラダイムは、家や君主から個人を解放し、人権や平等の意識が芽生えたが、権利は守ってくれる社会がなければ成り立たない。
近代国家は、個人の義務によって権利を保証する、産業革命パラダイムの礎となった。
しかし、物流アクセスの拡大で、今やその近代国家が障害になりつつある。

近代国家の成立時は古典的価値観が背景にあったが、アクセス環境の拡大で文明が撹拌され、人類の価値観が大きく変わった。個人は国家を超えるところに属し始めている。
日本で言えば、夫婦別姓や天皇など、揺らぐ国家の礎を、既存統治システムが改革できず、前時代回帰に流れている。
世界的に、次世代の若者と既存社会のズレが起こり、内から殻を破ろうとする雛と、卵の形を守ろうとする殻とのせめぎ合いになっている。

技術革新による変化を、新しい産業革命と呼ぶ人がいるが、「産業による社会変化」と捉えること自体が、産革パラダイムの中だ。今はもう、情報、意識、認識が社会を変える「共感時代」に踏み込んでいる。
SDGsの方向性は良いとしても、Developmentでは、産革パラダイムそのものだ。
次世代はSDGsの先にある、「善智の時代」になるだろう。人権や平等を超えた「善」への共感が時代のモチベーションになる。

新しい世界で考える
技術革新で仕事がなくなることが心配されているが、根本的な勘違いだ。ロボットやAIで、仕事をしなくても生活できる社会が来れば、ローマ市民のように、やりたい仕事をやりたい人がやれば良い。その基礎になるのは国家でも企業でもない、宗教のような共感になるだろう。宗教と異なるのは、神のような概念ではなく、同時認識による善意の共感が社会を統治する。

問題は、いまある企業や超富裕層だが、現在のように偏りが生ずると、いずれ革命が起きる。もちろん、血の革命ではなく、大きな社会破綻による財の無力化=無意味化だ。
例えば、デジタルマネーの消失などにより、結果的に個人所有が消滅するようなことが起きる。デジタル認証は消えても、ロボットやAIは再構築が可能だから生産は残り、私有財の無い社会が生まれる。企業による営利活動は、NGOやNPOのような善意の非営利組織に替わる。共産主義と異なるのは、中央集権管理によらない生産分配なので、怠慢が社会劣化に繋がらない。もともと対価のために働く必要が無いから、怠慢そのものが存在しない。遊びたい人は遊んでいれば良く、社会に貢献したい意欲が社会を動かす。

現在の、人口減少の心配も、人による前世紀的生産を前提にしているからで、ロボットに働かせるなら、人口は少ないに越したことはない。
今はまだ、ベーシックインカムさえ理解が難しいようだが、賃金労働が無くなる時代は迫っている。今世界を動かしている人が居なくなる世界をイメージしなければ、人類は、ある日突然やってくる破綻を経験することになるだろう。コロナはその小さなノックに過ぎない。


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