魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

バランス

2021年07月13日 | 占いばなし

脳科学者の茂木健一郎氏がコロナ感染について、
「専門家の数理的な予測は“当たるも八卦当たらぬも八卦”。占いと同じレベルだと思ってます。それは当たり前な話で、未知のパラメーターが多すぎるんですね」と言っていた。まったくその通りだ。
だから逆に、占いの立場から、曖昧な状況を推測することの意味と正しいあり方を説きたい。
何も新しい話ではなく、これまで主張している「占い的見方、考え方」の繰り返しになる。

占いは科学ではない。強いて言えば哲学だ。数値やエビデンスに基づく推論などはまったく無視する。古来の経験則から、ものの道理を定め、何事もその道理に照らして判断する。状況や事柄の事実関係に左右されない。
例えば、「水は高いところから低いところに流れる」と言う道理は、「宇宙ではそうではない」といった物理的な問題ではなく、思考法の比喩だ。
「大局」観の一つの例えであり、バランス思考を表している。
まったく初めての現象を前にしても、その現象の裏にはバランスを保つ何かが存在していると考える。
データも、ファクトも、エビデンスも無視することで、「ことの本質」が見えてくる。
影を見て本体を知る。占いはその方法だ。

今回のコロナ騒ぎもそうだが、科学に慣れた現代人はファクトやエビデンスに踊らされ、無意味な数値に右往左往する。
茂木健一郎氏の言う「未知のパラメーター」が有る限り答えは出ないのが正しい科学だが、科学時代に生きる非科学的な人は、一つの数値で直ちに結論が出るものだと思っている。つまり、データに基づかない「占いのご託宣」を求めている。
だが、本当の占いは、そもそも数値を一切、見ない。だから情報に左右されない。
ネット上を飛び交う情報に、「何が本当かわからない!」と嘆く必要はない。個々の情報はすべて嘘であり、同時に、そこに真実が隠れている。

あまりに膨大な数値が飛び交う中で、直ちに答えを探るには、優位性を測るより、「大局」に照らして、最も「あり得ること」を見抜く。それが本当の占いであり、科学とはまったく次元が異なる真逆の発想と言える。
しかし、これは、科学者にこそ必要なものであり、科学的ヒラメキに通じるものかも知れない。なぜなら、占い的バランス思考で考えれば、科学思考のまったく対極にある思考方法が、真理のバランスを保つための、突破口になりうると思うからだが、
そこのところは、科学者ではないからわからない。