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占いという もう一つの眼

熊祭の夜

2021年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

民放のBSで、口ずさみたくなる歌ランキングのような番組をやっていた。残念ながら、大雨で電波が悪く、途切れ途切れだったが、どうにか内容はわかった。
どういう集計なのか、2位は「イヨマンテの夜」で、秋川雅史が歌った。
1位の「古城」に驚きはないが、「イヨマンテの夜」はやや意外だった。恐らく「エール」で、岩城新平役の吉原光夫が声量を披露したインパクトで、見直されたのではなかろうか。

絶賛の岩城さんイヨマンテだが、何か違うような気がしていたところに、秋川雅史を聴いて、ますます違うような気がした。子供の頃に聴いた伊藤久男は既にガラガラ声だったが、かすかな記憶ではもっと滑らかな声だったような気がする。
とにかく、何か納得がいかないので、YouTubeで検索してみた。
あるわあるわ、いろんな人が歌っている。当然、伊藤久男晩年の動画もあるが、ひどいガラガラ声で、往年の面影はたどりづらい。
岩城さんの吉原、秋川はもちろん、細川たかしから島津亜矢、オーディション番組まである。
その中に伊藤久男のおそらく再録音されたレコード盤もあり、聞き比べて、何となく違和感のワケが見えてきた。

ほとんどの人が、歌曲のように捉えて声量にチャレンジしているのに対し、伊藤はあくまで歌謡曲として唄っている。一例として、「イヨマンテ」と「くままつり」の同意語の歌い別けでは、「くままつり」をさらりと歌い過ごして、「イヨマンテ」のインパクトを強調している。
この歌は、アイヌをよく知る人たちからは誤解を招くと懸念されるが、歌を作った人たちは、アイヌに対して他意は無く、エスニックなエキゾティシズムによって恋の情熱を際立たせたかったのだろう。(そこが問題なのだが)

恋の歌のシチュエーション設定は、万人が歌うのだから、なるべく曖昧な方がいい。この歌に通じる先例、「ゴンドラの歌」の水の上は、後の「桃色吐息」ではギリシャの海になり、コタンは「火の国の女」や様々なご当地に替わった。
「イヨマンテ」はあくまで歌謡曲で、洋楽から転身した伊藤は、軍歌を歌った負い目もあって、人一倍、歌謡曲としての恋歌に拘ったのではなかろうか。
ステレオ再録音のレコードは、既に声がガサついていたので、オリジナルはどんなものだったのか探してみた。小学館の「昭和の歌」のCDを聴くと、スローで叙情的なセレナーデであり、「イヨマンテ」も「くままつり」も同レベルで語っている。当然、声も滑らかだ。

それが、再録音盤になると、誰でも知っているインパクトの強い歌になる。
これはおそらく、オリジナル盤が出た後、のど自慢でやたら歌われ、それが、今日の声量の証明のような解釈で歌われたために、伊藤自身が、逆に影響を受けたのではなかろうか。洋楽出身のプライドと、歌謡曲のプロ意識で、声量と叙情の唄を完成させたのだろう。早い時期から歌い方は変えたと思うが、再録までの歳月、伊藤の忸怩たる思いが伝わってくるような気がする。