魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大人対応

2021年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

フランスのサッカー選手が日本のホテルで日本人を差別したと、ネット上で騒ぎになっているそうだ。
アジア人差別だと中韓あたりから様々な抗議が上がっている。日本人からの抗議もあったそうだが、「情けない」。
差別されたと抗議するのは、自らに自信が無いからだ。そして同時に、自分自身が他人を差別する人は、自分がその差別される側になる事を受け入れられない。

差別意識がなく、自分は対等、あるいは上だと信じるなら、他人が自分を下に見たとしても、その人の視点、判断が愚かしく見えて、逆に蔑視、笑止だろう。
「猿の惑星」で猿共がどんなに主人公を蔑視しても、主人公も観客も違和感や滑稽さしか感じない。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
十字架に掛けられても、自分に信念があればこそ出る言葉だ。

差別は無知から起こる。生物や種などを少しでも理解していれば差別は起こらない。
逆に、好き嫌いは誰にでもあるし、それは個人の自由だ。
問題の、差別と言われる言動は、どこでも見かける悪ガキのイキガリで、いわゆる「バカ丸出し」だ。何でもかんでも敵を探し出して悪態をつく、若者のエネルギー発散は褒められたものではないが、好き嫌いは自由だ。自信のある大人なら笑ってみていられる。こんなことでJLMと叫ぶほど、日本人は虐げられてきたのだろうか。
BBCの原爆冗談もそうだが、他人の無知な冗談に一々食って掛かるより、自負心があるなら、皮肉の効いた冗談で返すのが、大人の振る舞いではなかろうか。

もう一度言うが、差別されたと食って掛かる人は、その人の心に価値観に、差別心があるからだ。