魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

やさしさ

2011年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

奈良の古寺で、新たに、文化財に関する建造物を建設しようとしたが免震装置がなければ建設が許可されず、日本の免震装置は優秀だがバカ高い。やむなく、アメリカ製を導入した。
これとて、相当な額になったそうだ。

ところが、その寺に、天平時代からある木造建築は、古代の技術で、現代の免震装置など無くても、ずっと倒れず立ってきた。

この話を聞いて、「マッタク ! 」と、
納得したような、腹立たしいような気持ちになった。

今さら言うのもバカらしいが、日本は何かが間違っている。
地震大国でありながら、「過信」が阪神大震災で高速道路を倒し、東日本大震災の津波が、防潮堤を破壊し、原発をメルトダウンさせた。

かさむ福祉費、仕事のない学生、年金も仕事もない高齢者・・・
何から何まで、すべてがチグハグで、社会が機能不全に陥っている。

免震装置の話にも見られるように、合理性を欠いた、がんじがらめの規制が、社会の各部に機能停止を引き起こしている。
しかも、その規制に利権が絡みつき、終いには、元来の規制の趣旨とかけ離れた、別の目的で組織が機能を始める。

その典型が、原発だ。
安全のための規制が、規制のための規制になり、その規制を存続させるために、基準をでっち上げ、その虚構の安全が神話となり、現実に打ち砕かれると「想定外」と言えば、済むと思っている。

日本を瀕死状態にさせているものは、風邪を引かないために重ね重ねた服=規制であり、それを剥がそうとすれば、過保護ママが、わっと騒ぎ立てて抵抗をする。
子供が瀕死になっていることを直視せず、自分の優しさに酔いしれている。子供が死ねば、大いに嘆き悲しむが、責任は人のせいにする。

漠然と、今の日本で、こんなことを言えば、攻撃されるだろうが、
今の日本に最も欠けているものは、「父権」ではなかろうか。
古い言い方をすれば、女三人寄れば「姦しい」と言うように、
感覚と感情では、特に感情では、大局の決断は出来ない。

女性は、平時の感性や処理能力は男性より優れていると思うが、非常時の判断と決断には、誰が何と言おうと断行する男性の信念、リーダーシップが必要なのではなかろうか。
日本の民主主義は、単に姦しく女性化しているだけで、決断力が失われている。官僚&大企業社会で、男性も女性化しているようだ。

これは、女性蔑視の話ではない。日本の民主主義への危惧だ。
個々の男女の問題ではない。
サッチャーのような人に、是非、日本を救ってもらいたい。