魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

臭いの話(2)

2011年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の時から慢性の鼻炎なのに、何故か臭いに敏感だ。
昔、オドイーターのCMで、帰宅した主人が靴を脱ぐと、飛びつこうとした愛犬が、「キャーン!」と鳴いて、失神してしまうシーンがあった。犬の気持ちが分かって、笑ってしまった。

鼻炎の人が臭いに敏感な話は、意外によく聞く。
元気満々の人より、病弱の人の方が刺激に敏感だ。お告げを聞くために、水垢離したりして、わざわざ極限状態にするのも、そのせいかもしれない。
鼻炎の人が嗅覚に鋭いのは、むしろ順序が逆で、敏感すぎて、鼻炎になりやすいのかも知れない。

理由は分からないが、とにかく、悪臭に弱い。少しでも異臭がするとすぐ感知する。一番弱いのは、下水臭、硫化水素や硫黄の臭いで、硫黄の臭いのきつい温泉も苦手だ。(無臭の温泉は好きだが)

逆に、一般には嫌われるワキガやニンニクの臭いは、好きではないが嫌いでもない。クサイクサイと言う世間の人と比べれば、わりと寛容な方だと思う。中には芳しいワキガまである。
ただし、レゲエのオジサンなどの饐えた汗の臭いは苦手だし、病人の臭いも苦手だ。けれども、病院のアルコールの臭いは嫌いではない。

多分、害のある臭いは嫌いで、健康な人間の臭いや、食べ物の臭いは気にならないのだろう。

中年になってから、調香師という職業があることを知って、残念なことをしたなあと思ったが、臭いが判っても、名前が覚えられなければ仕事にならないので、無理だと気がついた。
第一、朝から晩まで、弱い鼻を酷使したら、三日で病気になってしまう。同じ理由で、香道などもってのほかだ。

それだけ敏感な嗅覚だが、自分の臭いは判らない。
自分の臭いを、何とか判別しようと、様々なことをするのだが、判らない。もちろん、あちこちこすったりすれば、指や手に付いた臭いは判るし、排泄物の臭いも判る。

しかし、他人に近づいて感じるその人の臭いのような、基本的な体臭は、今まで、自覚できたことがない。
体臭とはそのようなもので、自分では完全に麻痺してしまうもののようだ。

人と会って、その人の体臭や口臭が臭いと感じても、「臭いですよ」と言える人は滅多にいないだろう。家族でも、なかなか言えない。
それでいて、陰で言う人は少なくない。

そうした現実から、自分は臭いんじゃないかと思いだし、様々な神経症に陥る人までいる。
だから、面と向かって「臭いよ」と言ってくれる人は有り難い人で、対策まで考えてくれる人は、ほんとうに信頼のおける大切な人なのではなかろうか。