魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

山に進む(2)

2011年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

TPP賛成と言えば、誤解を受けるかも知れない。
TPPは目的ではない、「日本の再生」が本意だ。
日本を再生する上で、これまでの経済環境を前提にはできなくなっていることを、先ず覚悟する必要がある。

外的状況がどうなろうと影響されない、健全な「本体」をつくる。
寒くなったからと、夏着の上に冬着を重ねるのではなく、寒くても、一度、夏物を脱がなければ、本当の冬に、動けなくなってしまう。

TPPだろうが何だろうが、積極的に季節を受け入れなければ、動きが取れなくなって、いずれ死んでしまう。
抵抗しても季節は変わる。それを早く認識して、生活を変えれば、次のシーズンを余裕を持って生きることができる。そこを言いたい。

江戸の日本が文明開化したように、まったく違う生き方に切り替えることが迫られている。

今度は、再び鎖国だ。と言っても、物理的な鎖国ではない。
何度でも繰り返すが、新鎖国はこのブログの一つのテーマでもある。
実は、あえてこれを言わなくても、歴史的な体質として、心の鎖国は日本の底流に連綿と続いている。
一時期は完全に感化されるが、再び長い時間を経て「日本」に帰っていく。

島国日本は小さな器にしか収まらない
大陸の人々はそれをバカにするが、冗談じゃない。これこそが日本の誇るべき特質だ。ピュアーでコアな、日本だけの独自性。これは、島国以外には絶対マネできない。

日本が、明治以後、意外なほど世界で活躍できたのは、1500年、誰にもジャマされずに結晶させた日本の文明文化、精神性のおかげだ。
近代化における多くの失敗もあったが、日本精神、日本的生き方が、世界のどこに出ても、何を作っても、活かされてきた。

日本が活躍できたのは、日本で生産したからではなく、日本人が日本の精神を持ち続けたことであり、海外でもそれが評価され続けた。

近代工業は人口を必要とするが、少子化に焦る必要は無い。
日本企業は円高に乗じて海外進出し、日本は農業国に回帰して、世界進出した日本人の、もっと言えば、世界の「心の故郷」になる。

企業の本社機能は残して、研究開発に利益還元し、学術、芸術、観光に専念し、工業製品は海外生産品を使う。

日本が守るものは、産業革命パラダイムの工業力ではなく、「日本的なるもの」そのものだ。日本の成功は工業の成功ではなく、「日本」の成功だったことを認識し、工業を文化に変えて、日本式生き方の総本山になればいい。

そうしたヴィジョンがあれば、円高も、食糧難も、原油高もTPPも、まったく気にする必要がない。