魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

正体不明

2011年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

進化論を初めて日本に紹介したのは、大森貝塚発見のモースだと言われているが、矢島道子氏によると、それよりも早くヒルゲンドルフという人が、森鴎外に講義した記録があるそうで、きっと、その他にも紹介した人がいるだろうと言うことだった。

鉄砲の伝来は種子島より早いとか、記録よりも、事態が先行するのは珍しくなく、誰が一番早かったとか、元祖とかを争うのは、あまり意味がない。大抵は、後の方が有名になったり、二番煎じの方が金儲けをして、「元祖」とかの看板を上げる。

流行でもそうだが、あまり早すぎると、異端扱いされ、場合によっては攻撃され、排斥される。しかし、二番手が現れる時には、世の中の潜在意識に「慣れ」の芽が生まれているので、どこかで聞いた「新しいもの」として受け入れられる。

モースの日本での講義は、ダーウインの「進化論」発表から20年近く経っているから、早耳の日本人なら、読んだり聞いたりしていてもおかしくない。

先陣争いは別にして、モースの講義で初めて知ったであろう学生が、欧米であれだけ驚愕の騒動になった概念に、全く驚かなかったことに、モースが驚いた。

一神教から仏教へ
キリスト教では人間は、神に似せて創られた特別な存在だから、他の生き物より優れている。それも、元を正せば、ユダヤ教の選民思想、「自分たちだけが優れている」に始まるから、他の民族より優れている根拠にもなる。

ところが、日本人の場合、仏教の輪廻思想に慣れ親しんでいるから、能力や立場の違いはあっても、本質的な命に違いを感じない。
だから、それがどこから現れたかの説明を聞けば「なるほど」とすんなり納得した。

仏教は、東洋の農耕文化から生まれたから、植物にも動物にも隔たりがない。命は一つの連鎖の中にある。中村元氏は、釈迦は同じインドでもモンゴル系のような気がすると言われていたが、仏教の思想に農耕文化の薫りがするからだろう。

明治の初め、モースの講義を聞いた学生達は、まだ仏教の世界にいたわけだが、欧米の一神教に対抗すべく現れた神国思想は、日本本来の神道とも離れて、一神教同様に、「日本人は世界一○○だ」と思い上がったすえ、破綻した。

いまだに、進化論もt地動説も受け入れない人々がいるのは、特に不思議なことではない。日本の政治家には「神の国日本」と言う人もいるし。何でも自分たちが起源だと言いたがる国もある。
他の国や文化を嫌い、憎み、蔑視する人は、自分だけが選ばれし者と考える4000年前の人と変わらない。

キリストは神の前の平等を説き、それよりも500年前に釈迦はすべての命の平等を説いた。
その平等すら解体した現代科学の前で、我々は、先ずは、自分自身とは何者かを、探さなければならない。
そんな、正体の分からないものが明日、70億にもなるそうだ。