魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

被害者は

2011年05月31日 | 兄弟関係

スーパーで、小一ぐらいの女の子が何かをねだっているが、承諾しない母親は、子供がふて腐れていても相手にしない。黙って見ている。
二人とも、静かに我慢くらべをしている。

両者とも長子の親子だろう。母親は既に不承諾の理由を子供に話し、子供も理解しているが、感情的に納得できない。子供の気持ちの整理が付くまで、親はじっと待っている・・・
おそらく、そういうことだろうか。

長子は、出たとこ勝負の、状況次第で行動を変えない。
理解し、納得して行動を決める。だから、相手の理解を期待し、説得し、納得するまで待とうとする。

長子の人生は、何をするにも、初体験であり、前例を参照することが出来ない。何があっても、誰かのせいに出来ないから、始める前によくよく考えようとする。当然、スロースターターになる。

しかし弟妹は、初めから手本があり、それを真似たり利用すればいい。
しかも、失敗の責任を問う人物が、初めからいる。
だから、安心して行動を起こせるので、無鉄砲で行動が早い。

長子は弟妹に対して怒ることはあるが、弟妹のせいにはしない。
弟妹は、手柄は自分で責任は他人、が当たり前だと思っているから、何かあると、責任者を挙げて、徹底的に追求する。医療ミスや事件の責任を追求するのは、たいてい弟妹だ。

しかし、長子にも弟妹の様な人がいたり、弟妹にも長子のような人がいる。これは、その親が、長子か弟妹かで違ってくる。
長子の親は、子供の内面に注目するので、比較的我慢強く子供に対するため、弟妹でも熟慮型になる。ただし、接触時間の長い親の影響だから、多くは母親の場合だ。

弟妹は子供の時から、何かあるとすぐ泣き、叱られそうになるとゴマをする。弟妹に子供の頃の話を聞くと、惨めな体験や、誰かの被害者だったと言い、可哀相なシンデレラの話を聞くことが多い。
世の中、弟妹が主人公の話は、おしなべて、兄姉のためにひどい目に遭っている。もちろん、この作者は弟妹か、末っ子をかわいがる親だろう。長子がこんな物語を思いつくわけがない。

典型的な末っ子話のシンデレラも、被害者はシンデレラで、最も優れているのもシンデレラだ。これは、末っ子の思いをそのまま語っている物語だ。悪いのは兄姉で、手柄は自分ということになる。

何歳であろうと、どんな偉い人であろうと、この見方は変わらない。
弟妹型の人が偉くなると、優秀でも長子のような「空気の読めない」人間を嫌い、空気の読める人間を周囲において排斥する。

長子は、自分の成果も他人の成果も「完璧な物など無い」と思っているから、自慢もしなければ褒めもしない。
弟妹は、物も業績も既成のものを「手に入れた」と考える。人生は出会いだと考え、地位や成績など、人から評価された業績は、その気になって自慢する。

誰かから手に入れた知識や技術を疑わないから、それを教えたがるが、懐疑的な長子は自慢もしないし、教えたがらない。
しかし、相手の反応お構いなしの、傍若無人の長子型の言動を見て、弟妹型はそれを自慢していると受け止め、押しつけと受け止める。

長子、一人っ子の日本から見ると、全く理解できない朝鮮半島の原理や言い分は、東アジアの末っ子と考えると、ほとんどピッタリ当てはまるし、対処法が簡単に解る。

さらに、興味深いのは、韓流に没頭する人や、新興宗教に傾倒する人は弟妹型が多く、しかも、何かの拍子にコロリと宗旨を変えて、徹底的に嫌いになる。これも、選択的生き方の表れだ。
日本神話の成功者が、みな末っ子であると言うことは、一体、何を意味しているのだろう。

ところで、この種の話は、兄弟姉妹、両者の立場で話しても、褒められる話でない限り、弟妹型は否定するだろう。

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