転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



Twitterで「マイ数珠」がトレンド入りしていて、
自分のお数珠を持っているか・いないか、に関して、
おおまかに東日本と西日本で違いがあるらしいことが話題になっていた。
「マイ数珠」文化のあるのが西、無いのが東、という分類らしい。
西日本では、お葬式には皆、自分のお数珠を持って来るのが当然だが、
東日本では、持って来ていなくても特に変わったことではない、と。
本当に?それは知らなかった(^_^;。

私は西日本の生まれ育ちだからなのか、
子供の頃からお数珠は身近なものだった。
母方の実家は北陸で、菩提寺が金沢にあり、浄土宗だったから、
母方祖母から貰った浄土宗のお数珠を、私は若い頃から持っていた。
それとともに、広島は安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の土地柄なので、
神社神道である父の家でも、よそ様の御葬儀や法要に列席する機会は普通にあり、
浄土真宗のお数珠(お念珠)もまた、家に家族の人数分、置いてあった。
浄土宗と浄土真宗では、お数珠のかたちというか連なり方が異なり、
またどちらも、男性用・女性用でサイズが若干違う。

念のために言っておくと、神社神道ではお数珠は使用しない。
お数珠は、仏教のものだ。
神道の家で家族が亡くなれば神式の葬儀(=神葬祭)を行うが、
その場合は、お数珠は一切要らない。
うちの実家とその親戚関係は大抵、神社神道なので、
その範囲の葬儀や式年祭(=法事にあたるもの)であれば、
お数珠は誰も持って行かない。
一方で、地域では自分の家以外の大半のところは仏教だから、
私たちは自分の宗教でなくとも、お数珠は家に持っていた。
ご近所とか、同僚の家などで葬儀があれば
お数珠を持って参列するのが当然、というのが私の感覚だった。
自分の宗教云々でなく、先方に合わせる格好になる訳だが、
もともと地元では浄土真宗が圧倒的多数派だし、
神仏習合の名残もあり、自分としては全然抵抗がなかった。

しかし、Twitterに集う関東の人たち?若い人々?はそうではなかった。
お数珠を全く持っていない人も結構多くいたし、
知人宅の葬儀に参列するときも、別にお数珠は持っていなくてもいい、
という感覚だった。
私が日頃から、その感性や判断力にはかなり信頼を置いている、
東京出身の某氏も、お数珠に関しては、
「別にそこまできちんとしなくても(=お数珠は不携帯でも)いい」
「大事なのは故人を偲ぶ心だし」
的なことをtweetされていた。
葬儀や法要に、喪服は着ても手ぶらで行くのがアリなのか(O_O)!!
と、私は本当に驚いてしまった。驚きませんか、安芸門徒の皆さん!!
広島の葬儀でお数珠を持って来ていなかったら、
「(あの人、忘れたんだ……!??)」
と周囲が軽く狼狽するのでは。うちの田舎なんかだと、もう……(逃)。

いつも神社の用事で忙しい話ばかり書いているが、
実は私の婚家が、これまた、ひときわ熱心な安芸門徒の家だ。
舅姑の信心は大変篤いものがあり(でも法名は2人とも「釈○○」のみ)、
転夫ころもんは、小さい頃からお寺に通い、お説教を聞いて育った。
舅宅には、とある仏師の方に彫って戴いたご本尊と、大きな仏壇があった。
結婚したとき、官舎の部屋にはろくな家具も無かったが、
小さな仏像2体と仏飯器、おりん、それにお念珠が二連、あった。
多分これは、マイ数珠が当然の広島の一般家庭の中でも、
かなり熱心な在り方だったと思う。
独身男性の、転勤先の社宅にこれだけ揃っていたというのは。

私は私で、父親の家がガチの(!)神社神道だったので、
宗教は違えど、こういう感覚には親和性があった。
これは、実家に神棚があったのと同じことだなと理解し、
私は御飯を炊くたびにお供えをして、おりんを鳴らし、
お念珠を手にかけ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、と拝んだ。
それは今も、日々、続いている。私は婚家では安芸門徒なのであるよ(^_^。
立派な仏間も、こしらえたじゃろ?)。
そして、娘が大学に入って独立するとき、我々は彼女に、
うちの仏像のうちの1体と、新たに購入した仏飯器を持たせた。
お念珠は、家に居た頃から娘用のがあった。

我が家ではそういう感覚でやってきたのだが、
「マイ数珠」文化のない地域では、これはかなり奇異に思われるのだろう。
同じ国の中で、全体として「なんとなく仏教徒」なのが多数派でも、
実は、お数珠ひとつでさえ、随分と違いのあることなのだなと
このたびは大変興味深く思った。

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