転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



打点6はリーグ2位タイ!カブス・鈴木誠也がメジャー1号で開幕カード締めくくる(ベースボールキング)
『カブス・鈴木誠也の勢いが止まらない。』『現地時間10日(日本時間11日)、本拠地で行われたブリュワーズ戦に「5番・右翼」で先発出場すると、第1打席でメジャー1号となる先制3ラン。チームは逆転負けを喫したが、2試合続けて3打点を叩き出すなど、最高のスタートを切っている。』

良かったねぇ、誠也。
頑張れよぉ!!
写真は、八丁堀の広島福屋。
広島のみんなが応援しているよ!!


追記(4月13日 08:09):更に!素晴らしい!!神ってる!!
(昨シーズン、夏まで寝ていたのは何だったんだ(逃))
【MLB】鈴木誠也、3号&8打点で“メジャー2冠” 右中間へ左翼へ、初の2打席連続弾(full-count)
『カブスの鈴木誠也外野手が12日(日本時間13日)、敵地で行われたパイレーツ戦に「5番・右翼」で先発出場。7回の第3打席に、メジャーで初めてとなる2打席連続本塁打を放った。』『2回無死一塁で迎えた第1打席は右飛。5回の第2打席に、メジャー通算83勝左腕・キンタナの高めの球を右中間スタンドまで運んで開幕から4試合連続安打とした。さらに7回無死の第3打席、左腕バンダの変化球を、今度は引っ張って左翼席へと3号ソロを叩き込んだ。』『これで3号となり、この時点で本塁打ランキングでツインズのバクストンに並ぶトップに躍り出た。また8打点もガーディアンズのメルカドに並ぶトップで“2冠”となった。』

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父の眼科受診に付き添った。
某ホームから、馴染みの介護タクシーさんに連れてきて戴き、
車椅子に乗ったまま、眼科クリニックに入った。
その後、腰痛の具合はどうなのかと尋ねてみたが、
「ようわからん。あんまり歩いてみとらんけぇ」
との答えだった。
少なくとも苦痛で仕方ない、ということはなさそうだった。

父の出身中高から、本館建替工事にあたり寄付金を募る、
という案内が、先日、実家に送付されてきていたので渡すと、
出ている校舎や卒業生の写真をかなり丁寧に眺め、
「寄附はするんかね?」
と私が訊くと、
「せん訳には行かんじゃろう」
と寛大な返答であった。
今朝、父と同じ中高出身の後輩同窓生の転夫ころもんは、
「寄附?せんわいね!誰がするんね!?」
と吝嗇ぶりを発揮していたのだが(逃)。

父は糖尿病網膜症のレーザー治療を受けている最中なのだが、
検査室から漏れ聞こえてくる音声によると、視力は良いようだった。
「これは、何をすればええんかいね?」
と父は視力検査が始まるときに尋ね、看護師さんが、
「出て来るマルを見て、どこが切れているか、見えたら教えてください。
右とか上とか下とか」
と説明してくださるとそれは理解でき、
「下」「左」「上」
とスラスラ答えていた。
しかししばらく進むと、さすがに小さいマルは見えにくくなったとみえ、
父「ん~~~、……みぎっ!!」
看護師さん「正解です!!」
という会話もあった。
キレてないですよ~、というギャグをカマしたりは、さすがにしなかった(逃)。
父91歳、裸眼視力は、右1.0、左0.4であった。
これまでメガネを買ったことなど一度もなく、白内障も経験していない。
中年を過ぎる頃まで両裸眼視力1.5を誇り、老眼も無かった。
現在でも裸眼で書類の文字が読めるし、氏名住所など書ける。
どないな目ぇしとんねん、全く(^_^;。

肝心のレーザー治療のほうは、有り難いことに滞りなく進んでいるようであった。
高齢なので、負担にならぬように少しずつ治療しているそうだ。
治療の前にさした目薬の散瞳剤のために、
「見え方がおかしい、眩しい」
と苦情を言っていたが、特に機嫌が悪いということもなかった。
帰りも介護タクシーさんが来て下さり、別れ際に私が、
「お母さんは、どうしよるんね?」
と訊いてみたが、
「知らん」
とニベもない返答であった。
知らん訳がないだろうが、一緒に生活しとるのに(^_^;。
言葉を尽くして説明するのが、面倒なんだよね(^_^;。
「よろしぅ言うといて」
「あいわかった」
という会話で別れたが、ホームに着くまでに忘れていそうだな(汗)。

ということで、次回受診はまた2週間後。

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4月になって最初の花束を買った。アルストロメリアを中心に。
アルストロメリアの花言葉は「持続」だそうで、
その通り、綺麗で長もち(笑)するので結構、好きな花ではあるのだが、
香りが、スイートピーやフリージアほどには良くないのが残念だ。
ユリみたいに強いニオイではないので十分に許容範囲ではあるけれど。

今月このあとは、11日に父の眼科受診の付き添いがあるのと、
14日に娘の部屋の照明やカーテン取付、家具搬入、
そして15日は昼が神社の手伝いで、
夜がマンション管理組合理事会の役員決め(汗)。
そして17日に、実家の村としてはちょっと大きめな春祭がある。
このあたりまで終わったら、一度一息つけそうかな(^_^;。
月単位では、以前よりずっと多く休日が確保されているので
そんなにキリキリした気分にまではなっていないのだが、
意外と、二日連続で休むことは出来ていない。

昨年の手帳を見ると、ゴールデンウイークは何も無かったようなので、
そのへんで物置の大整理をしたいと考えている。
中にあるものをとにかく一度、全部出して、分類し、
要らなくなったものを処分して、一から入れ直す作業をしたい。
それなりに時間も取るし疲れるので、テッテー的にやるならば、
「明日も休める」という状況でないと、これは着手しづらいのだ。
私は今、連休を待ち侘びている。

本宅マンションの片付けが一段落したら、
また実家にいつものゴミ処理業者さんに来て戴いて、
今年は古い座布団や衣類などを一掃したいと思っている。
5月の連休にマンション、5月後半に実家、かな。
実家は実家で、あまり暑くならないうちに着手すべきではある。
実はこの正月に、食堂のエアコンが壊れたので(汗)。

そういえば先日行ったときに見たら、実家の玄関のひさし部分が、
何か、剥がれかけたようになって一部、垂れ下がっていたので
これもまた、業者さんにお願いして見て戴かなくてはならない。
以前から私は、この部分から何らかの動物(爆)が
屋根裏に出入りしているのではとキショク悪く思っている。
古い家の維持は、余計なお金ばかりかかって、本当に大変だ。
これでも、両親が住んでいた頃よりは随分と片付けたと思うのだが、
何しろ2人が何一つ捨てようとしない人たちだったので、
朽ちかけた家に山ほどのモノが詰まっているのだ。
全部さっぱり綺麗にして、それこそ花でも飾れるようになりたいものだが、
まだまだ道半ば。
やはり「持続」がキーワードか(^_^;。

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午前中、娘の部屋に新しいエアコンを取り付けて貰った。
一ヶ月近く前に某家電量販店で新規にエアコンを購入して
まず、元々あった古いほうのエアコンの取り外しがあり
そのあと家具を運び出し、壁紙の張替をして貰い
ようやく本日、新しいエアコンがついた。
ドレンホースからポコポコ音がしないように、逆流防止弁もつけて貰った。
これは、業者さんが本日3個持っていると言われたので、
これまで鳴ったことのある、居間と主人の部屋にも同時に取り付けて貰った。
……私の居室だけついていないので、こっちは今年から鳴るかもしれない(汗)。

娘の部屋は、エアコンは新品だが室内化粧カバーはこれまでのものの再利用で、
その分だけリーズナブルに出来た。
室外機を置く場所の都合もあり、配管穴が下のほうにあるので、
この部屋は、かなり長い寸法の化粧カバーが要るのだ。
前のが傷んでいなくて良かった。
このあと、来週半ばに、照明とカーテン、それに新たに購入した机と本棚、
クッション部分を張り替えて貰った椅子、等々が到着する予定になっている。
娘は5月の連休が終わってから帰省しようかと言っているので、
その通りになるのであれば、部屋は十分間に合うだろう。
カーテンがついたら、私が先にこの部屋で寝てみようか(笑)。

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ラジオ講座の新年度が始まった。
『まいにちフランス語』の入門編は新作で、
中條健志先生による「自己表現のためのフランス語」。
初心にかえって発音から丁寧にやろうと思っている。
応用編は昨年度10~3月の再放送の、
河竹英克先生の「オペラで学ぶ」で、
「ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』を読む」。
応用編レベルになると、私は一度では全然身につかないので、
幾度やって戴いても全く構わないのではあるが、
つい先日終わったばかりの講座がまた最初から始まる、
というのは結構、珍しい経験かもしれない(^_^;。

『まいにちスペイン語』の入門編も新作で、
土屋 亮先生による『サトシとおしゃべり猫ソルバ』。
恥ずかしいことに、スペイン語は入門編でさえも、
フランス語ほどには余裕はない(汗)。
いきなり知らない名詞が出て来るし、
数詞はあっちこっちいい加減なままだ。穴だらけだ。
応用編は松下直弘先生の「昔話の世界へようこそ 」。
私はこういう教材に出会うと、中学校の頃にやったように、
全文をノートの左ページに写して、右ページに対訳を書く、
というのをやりたくなる(^_^;。
ノートの下部には「欄外」をつくって、新出単語をまとめる。
実際、私のスペイン語は一度それくらいテッテー的にやるべきレベルだ。
現実問題として、少なくとも日々の音読だけは頑張ろうと思っている。
そして、いずれ、スペイン語技能検定試験6級から始めよう(^_^;。
かつて、仏検5級を受けた日、本当に楽しかった。
ああいう、初心者レベルならではの幸せ気分を、そろそろまた経験したい。

こういう御時世なので、逆バリで今年度はロシア語もやりたいのだが、
放送時間に合わせるのが、ロシア語はやや難しい。
朝の本放送が8時50分から、再放送が夕方4時半からで、
ほかの講座の時間と離れているので忘れがちなうえ、
朝のは特に、家事をしている真っ最中であることが多く、
ハっと気付いたら終わっている日が続くと、すぐ挫折しそうな気がする(汗)。
どうしようかな~……(^_^;。
まあ、仮に最初の週くらい聴き逃しても、入門編はついて行ける、
と思ってまだテキストは買っていないのだが、
しかし今、世の中でロシアやロシア文学は嫌われていそう(!)なので
昔からの馴染みであるワタシは違うぞ!ということで、
久しぶりにやってみたい気持ちは、ある。

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自宅出産を望んだ夫婦を阻んだ壁 「病院で産むべきだ」医療側と衝突(毎日新聞)
『福岡市近郊に住む日本人の夫と米国人の妻は、2019年に第1子を授かり結婚した。夫婦とも自宅で生まれた経験があるため自宅出産を考え、福岡県内の助産師に支援を相談した。当初は近くの病院に通い、産婦人科医も自宅出産を容認していた。だが、出産予定日を2カ月後に控えた20年5月、Rhマイナスの妊婦と知った県助産師会の幹部が「自宅出産は危険だ」と強く反対。』『RhマイナスとRhプラスの間に子供ができると「不適合妊娠」と言われ、出産後に母体内でできる抗体の影響で第2子以降は流産などのリスクが高くなると言われている。初産は抗体ができる前で危険性は少ないとされ、当事者間では問題ないとみられていた。だが、県助産師会の幹部は「危険ではないか」と自宅出産に強く反発した。』『自宅出産を望む夫婦は「なぜ」と涙を流して抗議した。』『最終的に出産直前に不安を感じて担当助産師に電話し、20年7月、自宅で元気な女の子が生まれた。母子ともに現在も健康だ。』『母親の女性は「私たちはリスクも調べて承知した上で、入念に自宅出産の準備をしていたのに直前でひっくり返され、病院での出産を強制された。なぜ自分が産みたい場所で産めないのか。私は病院より家の方がリラックスできて絶対にいいお産ができる」と怒りを口にした。』

有料版で、会員でない私は途中までしか読めていないが、
私自身がRhマイナスなので、この話は全然ひとごとではない。
Rhマイナスの人間が準備もないところで大出血したら、普段でも
Rhプラスの人たちより輸血用血液の確保が困難だから危険が大きいが、
出産時の出血過多となるともう、桁が違う。
また、血液型不適合で生まれた赤ん坊に新生児溶血性黄疸が出たら、
そのままでは、死亡するか重い後遺症が残る可能性があるのだが、
自分自身や我が子をそういう危険にさらしてでも、
自宅出産を優先せねばならないと思ったとは、一体どういうことか。
主治医はそのような危険性については説明した筈だから、
自宅出産できるなら死んでも全然OK、と考えていたとしか(大汗)。
『初産は抗体ができる前で危険性は少ないとされ』、
……いやいやいやいや、大ざっぱ過ぎる。誰が言いましたか、それ。

血液型不適合妊娠は、初産でも抗RhD抗体が絶対ないとは断言できないし、
妊娠28週以降には胎児の血液が妊婦の体内に侵入する場合があるので、
妊婦健診で間接クームステストを複数回受けて、観察と管理に努める必要がある。
また、出生後、新生児には異常の有無を問わず全例ただちに、
直接クームステストや、血清ビリルビン濃度、赤血球形態を調べる検査を行う。
必要があれば新生児の交換輸血を行わなくてはならないからだ。
これらは設備のある総合病院で初めて可能になることだ。
更に、母親には妊娠28週頃と分娩後72時間以内の二度、
抗D人免疫グロブリンを投与せねばならない。
そうしなければ、2人目からあとRhプラスの子を妊娠した場合に、
この母体中の抗RhD抗体が胎盤を通して移行し、胎児の赤血球を破壊することになる。
母子ともに健康で出産できさえすれば万事終了、ではなく、
次の妊娠出産にも問題は繋がって行く。

昔は、こういうことがわからず、それこそ自宅出産していたから、
Rhマイナスの母親から生まれた赤ん坊は、次々と死んでいたのだ。
母親の体に抗RhD抗体が一旦産生されると、
次こそは元気な赤ちゃんをと望んで幾度出産しても、無理だった。
今や、現代の日本には、高度な医療と救命の手段があるのに、
それを敢えて避けてリスクを取るとは、私には無謀としか思われない。
記事中のご夫婦には、助産師さんはついていたようなので、
よもや抗D人免疫グロブリンの注射を受け損なってはいまい、と思うが、
それでも、第2子以降の予定があるなら、事態は更に危険になるので、
次はNICUのある総合病院で出産されることを、陰ながら祈っている。

出産時に、私は患者携帯用の血液型記録カードを病院で発行された。
それには私がRh陰性であることと、
抗D人免疫グロブリンの注射年月日、病院名、主治医名が
書き込まれており、一種の証明書になっている。
このときの主治医から私は、子供は何人欲しいかと尋ねられ、
安全にと考えるなら3人までと思ったほうが良い、と言われた。
妊娠28週頃および分娩後72時間以内というタイミングを
逃さずに抗D人免疫グロブリンを投与すれば、
理論的には予防は継続する筈なのだが、効果は100%ではない。
妊娠を繰り返すたびに、胎児新生児溶血疾患の罹患率は上がって行く。
Rhマイナス妊婦の血液型不適合妊娠のリスクは小さくなく、
妊娠中から出産後に至るまで、通常とは異なる特別な管理が要る、
ということは心得ておくべきだろう。

なお、この記事のタイトルは、『自宅出産を望んだ夫婦を阻んだ壁』で、
医療側の融通のきかなさや保身が問題であるかのように読める(気がする)が、
Rhマイナスは非常にリスクの高い特殊ケースだ。普通の出産ではない。
「自宅出産が理想」等の主義主張でどうこうできるレベルではない。
一般的な意味での「自宅出産」でも危険は皆無ではないが、
血液型不適合妊娠には、そのような次元とは隔絶したリスクがある。
助産所ガイドラインでも、血液型不適合妊娠は医療管理下で出産、
と決められている筈だ。
『なぜ自分が産みたい場所で産めないのか』の答えは、
この件に関しては、一も二も無く「貴女がRhマイナスだから」。

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昨日は、いつもの内科で血液検査をされた。
結果を、きょう貰ってきたが、ほぼ問題なかった。
毎年、4月下旬~5月初旬、10月下旬~11月初旬のどこかで
血液検査を受けることに、なんとなく、なっているのだが、
今回は私が血圧問題で先月あたふたして受診日を早めた影響で、
4月の検査も例年より2~3週間早まった。
いつも検査前は、一夜漬けの学生よろしく食生活に気を付けるのだが(殴)
今回は準備期間が短く、ほとんどノー勉で試験を受けたようなもので、
若干不利であったように思う。……違うか(汗)。

アルブミン4.0とA/G比1.11に↓がついていた。
アルブミンは10年以上前から、4.1または4.2で推移していたのだが、
昨年10月から4.0になり、それに伴いA/G比が下がって来た。
年齢とともにアルブミンは僅かに下がる傾向にあるものだが、
もともとが高くなかったので、この値はある程度は仕方が無いのか。
また、アルブミンは半減期が長いので、
検査に現れるのは3週間くらい前までの状態を示す値だそうだ。
ならば、検査だからと食生活に気を付けても、どのみち遅い訳ね(汗)。

A/G比のほうも昔から1.3か1.4で、常に低めではあったのだが、
去年の秋から1.2台になり、今回は更に下がって1.1台になった。
アルブミンは半年前と同じで、総蛋白が前より0.3ポイント上がったので、
A/G比が下がったところから見ると、
グロブリンがその分だけ増えたということなのだろう。
主治医の先生からは「特に問題はない」と言われているが、嬉しくはない。
それとHbA1cが5.6で、5.5を超えたのは初めてであった(汗)。
暴飲暴食のさなかに検査したのは、こういうところではマズかった(殴)。

その他は、しかし、今回は妙に成績が良かった。
中性脂肪61、総コレステロール202、HDL-C77、LDL-C113、L/H比1.5、
などは「素晴らしい」と先生に褒めて戴いた。
だが別に何も努力はしていない。
体重も全く減ってないし。っていうか半年前より増えてるし(大汗)。
強いて言えば、最近ちょっと労働が続いていただけだ。
榊やらお供えものやらをかついで、丘の上の神社まで上がったりとか。
労働が多くて苛々したから、しばしばチョコレートに頼っていた、
という過ごし方だったと自分では感じている。

私は好き嫌いが無いので(ハッキリ言えば味音痴なので)、
病院食みたいに計算された献立で食事が目の前に出て来れば、
それを日々、残さず食べることで健康を維持できると思うのだが、
一方で、自分で調理するのは死ぬほど嫌いだ(殴)。
計量や火加減を失敗できないと思うと、作業の間じゅう神経が休まらないし、
せっかくぴかぴかに磨いてあるのにキッチンが汚れるし(殴)。
美味いものを食べる、ということに価値を見出してない人間が、
短い人生の貴重な持ち時間を割いて手の込んだ料理をするかという(汗)。
ゆえに、決して、栄養バランスが良いとは言えない面がいつもある。
それは結局、体に悪い。わかっては、いるのだがね………(^_^;。

もうひとつ、転夫ころもんの肝障害と高血糖を悪化させないため、
この1年半ほどは夕食の内容が大きく変わり、油物をほとんどやめ、
野菜を増やして、かなり淡泊なメニューにしているので、
私の食生活も、それ以前とは結構、違って来ている面がある。
それが良くも悪くも血液検査に反映しているのかもしれない。
ちなみに、昨日の診察時血圧は130/83、脈拍96で、
一応緊張していたが血圧値としては別に高くなかった。

それと、これは皮膚科の話だが口唇炎はやはり真菌が原因で、
アスタット軟膏を塗り始めたら、4~5日目から効果が体感でき、
10日ほど経った今は、ほとんど自覚症状が改善した。
乾くと突っ張る感じはまだ少しあるので、サンホワイトは欠かせないが、
その他の不快感は、自覚としては全くなくなった。
唇が荒れてステロイドを使うと、それがなおった頃に真菌がつく、
という連鎖みたいなものは、昨年秋と同様の状態で、
マスク生活がいけないのか、私の抵抗力が落ちているのか(汗)。
頬の赤みも、アルメタを使えばかなり綺麗になるのだが、
塗るのをやめると、またぽつぽつと赤いところが出て来る。
場所的に、マスクのノーズフィットワイヤーのあたるところで、
これまたマスク生活では改善がなかなか望めないだろうと思われる。
もう年寄りなので、いろいろと難しいことだ。

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隣村の神社の春祭の手伝いに行った。
朝から行って、山道を登らされてクタクタだ。
実家父が80歳を過ぎてもこういうことをやっていた、
と考えると頭が下がるけどもよ。
私はそんなトシになるまで続けたりしない!と今日は改めて心に誓った。
私はもっと手前で、きちんと引退&隠居することを目標としているのだっ。
何もかも とっちらかったまま年寄りになるのだけは、ゼッタイに避けたい。

さて、それで夕方帰宅してじきに夕食、
以後の短い自由時間(涙)で検索していたら、
頼山陽史跡資料館の新年度の展示予定が更新されていた。
4月5日(火)~5月22日(日):特集展「新収蔵品展」
5月26日(木)~7月10日(日):特集展「頼聿庵~大字書の魅力~」
どちらも見逃せないが、特に頼聿庵(らい・いつあん)の書が見られるのが嬉しい。
私は何の素養もないが、彼の書がかなり気に入っている
頼山陽の絵画的・曲線的な書体も面白いとは思うのだが、
その長男の頼聿庵の書には、激しい情念が込められているようで、
眺めているだけで、こちらに強く迫って来るものがある。
ポゴレリチの演奏もそうだが、私は見とれるような美しい作品よりも、
むしろ心えぐられる強烈な芸術のほうに、より惹かれる、
ということなのだろうなと思っている(^_^;。

これを楽しみに、夏まで頑張る!


追記:これ↓もあった。ふくやま美術館にて、4月9日(土)~ 6月5日(日)、
アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで
コロナ禍で、昨年秋からこのかた、ほとんど出かけていなかったが、
今年度上半期は、こうした展示ものを楽しむことにしよう。

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数日前に、自宅マンションの近くの、幟町カトリック教会に行ってみた。
世界平和記念聖堂の大規模な耐震補強工事が2年ほど前に終わり、
完全体の聖堂がお目見えしたのに、間なしに新型コロナの問題が起こり、
ミサがオンラインになったり、パイプオルガン定期演奏会が中止されたりして、
最近は、近所に居ながらなかなか行ってみる機会がなかった。
久しぶりに足を踏み入れ、昼下がりのひとけの無い敷地内で、
ゆっくりと桜を愛でることができた。
これが、今年の私の、ささやかな、花見(^^)。

  

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両親の新しい介護保険被保険者証が届いたので、
二人がお世話になっている某ホームに届けに行った。
母は介護度1のままだが、父が腰痛で動けなくなったので介護度3に上がった。

面会は相変わらず禁止で、事前に予約したオンライン面会しかできない。
きょうは私のほうの時間が読めず、面会の予約はしていなかったので、
そのまま受付に寄って提出して終わり、……のつもりが、
偶然、二人のフロアのチーフのスタッフさんとケアマネさんが
ほかの御用でロビーに降りて来られていたところだったので、
そのまま直接手渡すことができた。

お二方に伺ったところ、父はあれから腰痛が徐々に改善しており、
普通の椅子から車椅子への移乗など自分で出来ているそうで、
骨折等もなく、とりあえず大丈夫そうだとのことだった。
この腰痛が出る直前、つまり先月第二週の後半あたり、
父はひとりで歩行器を押してロビー階の売店まで降りて、
山ほどの菓子類を買い、袋ふたつに詰めて貰って、
ひとつを母に渡したりしていたそうだ。
父は基本的に部屋でテレビを観て黙って過ごすことが多く、
このテの積極性は以前はあまり感じられなかったのだが、
父なりに、母のことを気遣っていたらしかった。

一方、母のほうは最近、衰えが目立っているそうで、
以前のように自分から売店に出向いたり何か注文したりすることもなく、
外部受診をしたいという希望もなく、薬を自分で管理するとも言わず、
なんとなく鬱っぽいうというか、元気のない日が多く、
「もうええから、はよお迎えが来んやろか」
などと言うことが増えたそうだ。
耳が遠いので、終日、大きな音でテレビをつけおり、
夜など1時や2時になっても点けっぱなしのまま、寝入っているそうだが、
父はともかくとして、母のほうは元来が眠剤が要るタイプなので、
「消したら、かえって目が覚めるかねと思って」
と、スタッフさんは敢えて、触らずにいて下さっているそうだ。

両親とも、食品の消費期限については全く頓着していないそうで、
古くなった菓子などをうっかり食べたりしないよう、
スタッフさん方が目を光らせ、処分すべきものは
傷む前に処分して下さっているそうだ。有り難いことだ(涙)。
二人とも、そのとき欲しかったらよく考えず買ってしまい、
菓子パンなどあまり買いだめしてもカビるだけなのに、
ロングライフ商品のComoパンなどと混同しているのかもしれないが、
一度に何点も買い込み、翌々日になっても残っていることが多いらしい。

二人があのまま家にいたら、私ひとりではとてもこれだけ手をかけられないし、
ヘルパーさんをお願いしたとしても昼の2時間くらいしか見て戴けないし、
とてもじゃないが、今のように安全な生活は出来ていなかっただろう。
母も、不平不満の多い日もあるが、調子の良いときには、
「ここにおったら、安心できる、なんでもして貰える」
と感謝の言葉を口にすることもある。
我が子である私に、中区のマンションを放置して実家に同居して貰い、
24時間、傅(かしづ)かれて世話をされ、
自宅で満ち足りた最晩年を過ごしたかっただろうが、
それはさすがに、私のほうの事情も気持ちも許さないことなので、
ホームでの今の暮らしは、セカンド・ベストということで、
納得して戴くほかないだろう。
私自身は、ホームのスタッフさん方から伺うお話に、
いつも大変満足し、心から有り難く思っている。

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