転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



雨のせいか本当に涼しい一日だった。

朝、登別からJRで札幌へ。
大雨の登別に比べると、札幌は小雨程度だったので
時計台や大通り、狸小路など歩いて、
更に地下街で買い物し、札幌の街が大きいことに感激した。

夜はサッポロファクトリーでお土産を買い
(主人がホテルで出されて気に入ったメロコン漬けなど)
ビールの飲み比べの出来るお店で夕食。
鮭、シシャモ、イカ、アスパラ、コーンにポテトと、
何を食べてもとても美味しかった。
《これから毎年夏は北海道かね~》
と主人が遠大な計画を立てていた(汗)。

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泊まった宿のお風呂の温度が熱過ぎずちょうど良くて、
硫黄泉、鉄泉など昨夜はいろいろな温泉を楽しんだ。

そして予報通り、今朝は雨だ。
雨の温泉街の風情もなかなか良いものだと思った。

きょうは登別から札幌に移動し
都会を満喫(爆)する予定にしている。
なるべく濡れないで移動できる方法を検討中。

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以前行った阿蘇のクマ牧場でもそうだったが、
ここのクマ牧場でも、やはりクマたちは餌を投げて貰おうと
お客さんたちに向かって立ち上がり、手を挙げてアピールしていた。
お構いなしに丸くなって寝るアンニュイなクマもいた。

看板に名簿みたいなものが貼ってあり、
中にノリピーという名のクマがいた。

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登別温泉に行く途中に立ち寄った。

ここは日本一の水質・透明度だそうだ。
きょうは曇天で残念だった。

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きょうから四泊五日の家族旅行、今年は北海道。

12年ぶりの飛行機に私はビクビクだった。
落ぢなぐで本当に良かった(爆)。

着いた途端に北海道アイスを食べる娘、
パンロールを買い込む主人。
《北海道、美味い♪》
と娘が感涙にむせんでいた。

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個展 忌野清志郎の世界
2009年8月22日~9月13日 ラフォーレミュージアム原宿

清志郎は一時は美術大学へ進学するつもりで、
ご両親もそれを支援なさっていたくらいだったので、
彼の『絵』は、詞や音楽と並ぶ、表現の手段のひとつだった。
油彩、イラスト、スケッチなど、作品が多数、展示される予定で、
個展そのものも、もとはと言えば本人の発案であったとのことだ。

私が若い頃は、日常的に通っていたラフォーレ原宿だが、
最後に行ったのはいつ頃だっただろうか。
もう、遠ざかって久しくなってしまった。
ほかのことならいざ知らず、清志郎の個展とあって、
とても見たいのだが、時期的に、東京まで出向くことは難しい。
大阪や福岡あたりまで来てくれないだろうか。


映画HACHI 約束の犬
8月8日~(広島では広島スカラ座、バルト11等)

日本の忠犬ハチ公の物語が、ハリウッドで映画化され、
リチャード・ギアが主演している。
秋田犬は大型で、子犬でも撮影中にすぐ成長してしまうので、
最初に主人公と出会う場面では、柴の子犬を使ったそうだ
(渋谷のハチ公は拾われた犬ではなく、両親の名前も素性も明かな、
血統書付きの秋田犬で、購入されたものだったそうだけど)。

私は犬では柴犬が一番好きなのだが、予告の写真を見たとき、
秋田犬の大らかなシルエットもなかなかいいなあと思った。
しかし、上記サイトで予告編を見て、こりゃとてもじゃないが、
私は映画館なんかに観に行ったらダメだ、とわかった。
だって、きっと話の前半、可愛い幼いハチを見た途端から涙ぐみ、
終わるまでにタオルハンカチとポケットティッシュを使い倒し、
しまいに、外に出られないようなご面相になってしまうだろうから。

とてもとても見たくて、近所で上映しているにも関わらず、
これは、DVD待ち決定(苦笑)。

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NHK出版から、後期ラジオテキストの案内が来たのだが、
2009年10月からのラジオ『まいにちフランス語』初級編は、
昨年度前期講座『ナミのおいしいパリ日記』再放送だそうだ♪
清岡智比古先生とレナ・ジュンタ先生の、
あのサムくて可笑しい講座が帰ってくるのだ♪♪

更に、『まいにちスペイン語』のほうも、
やはり昨年度4~9月にあった下田幸男先生の講座の再放送で、
こちらは私が初めてスペイン語に触れた記念すべきシリーズだった。
マルタさんとの毎回のトークも興味深かったし、
主人公エリがサラマンカでの留学生活を送るという物語も
『もし自分だったら・・・』と想像できて、とても良かった。

私にとっては、昨年春からの楽しいラジオ講座の日々が、
また戻って来ることになり、本当に嬉しい。
新作もワクワクするけれども、つい一年前の番組の再放送と来れば、
よく覚えているだけに、「そうそう、こうだった♪」、
という手応えや思い出が蘇って、とても楽しいと思うのだ。
去年は出来なかったことが、今度は少しでもクリアできるといいな、
と思うと、とても楽しみだ。

実は、この両講座は、あまりに私にとって思い出深かったため、
当時のテキストはすぐに捨てる気にならず、まだ取ってあるのだが、
さて10月号からの新しいテキストを買ったものかどうか(苦笑)。
スキットなど中身は同じだから、去年のものでも充分使用できるし、
大切に再利用するのが賢いかなとも思うのだが、
日付などは当然違うのだし、月々の読み物や連載ものなどは、
やはり10月号以降、現在のテキストを買わないと楽しめないし・・・。
ここが思案のしどころよ。

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初盆  


昨夜、夜中の2時に目が覚めたら、あり得ないほど暑かった。
腕にも顔にも熱気がまとわりつくような室温だと感じた。
それでやむなく、エアコンをつけた。
別室にいた娘も、午前3時半まで眠れなかったと、今朝、言っていた
(でもエアコンを使ってはいけないと思ったそうだ。律儀なヤツ)。

起きた娘はダルダルで、引き続きソファで寝ていたが、
きょうは舅宅で初盆の法要をする予定になっていたので、
叱咤激励して着替えさせ、支度させた。
昨日のうちに、生花とお供えは買ってあったので、それを荷造りし、
大雨だったのでタクシーを呼んで、行くことにした。
主人だけが、朝から礼服っぽいシャツとズボンを着込んでいて、笑えた。
ったく、私はこれから舅宅で、少しでも草抜きしようと思っていたのに、
主人は最初からヤル気の無いことがバレバレだった。

舅宅へ行く前に、墓所に寄り、タクシーには待っていて貰って、
三人で簡単な掃除と墓参りをした。
もっと天気が良ければ、本格的にここで下車して、
掃き掃除をするつもりだったが、雨がひどかったので、
花を取り替えて周囲を綺麗にするだけにした。
お盆前の日曜日とあって、どこのお墓にもたくさんの人が来ていた。
この墓地がこれほど賑わっているのを、私はほぼ初めて見た。

それから改めてタクシーに乗って舅宅まで行った。
幸か不幸か、この頃から雨が少し、小やみになった。
それで、法要の時間まで庭掃除をすることにした。
舅宅には、私たちが以前住んでいたときの衣類があるので、
主人も作業用のTシャツに着替えることが出来た(苦笑)。
雑草はとても半日では処理できなかったが、
とにかく玄関前だけ落ち葉を掃き集め、見栄え良くした。
蚊が狂ったように寄ってきた。
普段、誰もいない家に、我々が無防備な半袖Tシャツで現れたのだから、
飢餓状態のところにステーキが三枚出されたようなものだったのだろう。

お仏壇には小菊を飾り、舅の好きだったピオーネと桃、
それに姑が晩年まで大好物だった栗饅頭を供えた。
あとは、主人のリクエストで買った、広島きんつば(笑)。
姑のいない家に我々三人だけで帰っても、
私にはなんの張り合いもなかった。
ただ三人揃って、法要を営むことが出来たのだけが良かった。

お寺の若院さんにお経をあげて頂いて、お盆行事が滞りなく終わり、
仏間や居間の片付けをしたのだが、そのとき何かの拍子に、
『ばーちゃんが可笑しかった話』を誰からともなく始めてしまい、
やたらと盛り上がってしまった私たちだった。
晩年、病気をしてからの姑は、認知症が入ってきて、
ホド良くつじつまの合わないシュールな話を、よくしたものだった。
『恋の松茸汁』事件や、『さかえさんが他界した』事件のほかにも
必殺の姑語録は、山ほどあった。

 ばーちゃん『私は58歳よ。若う見えるけど』←(爆)
 ヘルパーさん『ほいじゃ、おとうちゃん(舅)はおいくつなんですか?』
 ばーちゃん『72歳なんよ』
 ヘルパーさん『(話を合わせて)結構、歳が離れとってんですね』
 ばーちゃん『ほうよ!新婚旅行のときなんか、話が合わんで困ったよ』

というように、姑の話は、いつもユーモラスで、楽しく、
私たちを大笑いさせてくれた。
病気になってから数年くらいの間、そういう意味で姑は絶好調だった。
不思議なことに、当時、目の前で私たちが腹を抱えて笑っても、
姑本人はケロリとしていて、私たちの様子は目に入っていなかった。
姑が、周囲の話のどこを拾うか、どの部分に反応するかは、
全く、私たちの予想を越えたものだった。

あの可笑しさだけは、狙って出せるものではなかった。
姑のことは、一生、師匠と仰ぎたい(爆)。

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今年は冷夏だと、誰かが言った記憶があるのだが、
あれは何かの聞き間違いか、空耳だったかもしれない。

昨夜、あの世から指令があったので(爆)
私はきょうこそ、墓掃除に行こうと決意していたのだが、
いざ日が昇ると、あまりにも暑くなってきて、
昼近くまで迷い続けた挙げ句、くじけた。

墓場で箒を握ろうものなら、
そのまま涅槃まで行ってしまいそうな暑さだった。

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暑い  


昨夜は、友人某氏と夕方から平和公園を散策し、
お好み焼きを食べ、さらに歩いて、喫茶店に入って、
路面電車の終電の時間になるまで喋っていたので、
私にしては、結構、深夜帰宅になった。
家族には事前に話してあったので、特に心配まではされなかったが、
「遅いから、川に流れたかとオモタ」
と主人に笑われた。すびばせん。

それからキモち良く寝て、若干の腰痛はともかく今朝も元気で起きたが
きょうは主人が、暑気あたりなのか、元気がなかった。
昨夜ひと晩、暑苦しくて、寝づらく、起きたら首が凝っていて、
眼精疲労もいつもよりうっとうしく感じられる、とのことだった。
不平タラタラで主人が出勤したあと、私はいつも通り洗濯などしたが、
確かに、きょうはひときわ暑かった。
遅い梅雨明けのあと、やっと本格的な暑さが来たようで、
外はひりひりするような高温の晴天だし、
家にいてさえ、何かひとつ用事をするたびに汗だくになった。

そういえば、昨日の友人に指摘されたことなのだが、
女性は年齢とともに、汗をかく部位が、上に上がってくるそうだ。
つまり、若い頃より、中年になった今は、首から顔にかけて、
発汗することが多くなったはずだ、というのだ。
それは確かに私も自覚があって、ここ数年、真夏の暑いときには、
首の前後に大量の汗をかくようになった気がしており、
昨夜もたくさん歩いたら、うなじに大汗をかいていた。

ロシア人は暑さに不慣れだ、という話も某氏から伺った。
例えばモスクワは、冬の寒さは命にかかわるほど厳しいので、
現地の人は、気温が下がることに関しては対処が大変に敏感で、
初秋でも一雨くればすぐカーディガンやコートを着るが、
一方で、暑さに関しては、日本などに来ると、
このように蒸し暑い夏は初めてだというので、
どういう服の着方をすれば良いか、よく判断できない人がいるそうだ。

道理で、大昔、若きポゴレリチが6月に来日したとき、
季節的にあり得ない、革のジャンパーなど着込んで来たわけだ。
日本の6月がどういうものか、多分、梅雨だという情報はあっただろうが、
モスクワ育ちの彼には、うまく想像が出来なかったのだろう。
梅雨時期、気温があがらない日があることは確かだが、
それでも外を歩くのに革の上下を着る人は稀だ(苦笑)。

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