転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

初盆  


昨夜、夜中の2時に目が覚めたら、あり得ないほど暑かった。
腕にも顔にも熱気がまとわりつくような室温だと感じた。
それでやむなく、エアコンをつけた。
別室にいた娘も、午前3時半まで眠れなかったと、今朝、言っていた
(でもエアコンを使ってはいけないと思ったそうだ。律儀なヤツ)。

起きた娘はダルダルで、引き続きソファで寝ていたが、
きょうは舅宅で初盆の法要をする予定になっていたので、
叱咤激励して着替えさせ、支度させた。
昨日のうちに、生花とお供えは買ってあったので、それを荷造りし、
大雨だったのでタクシーを呼んで、行くことにした。
主人だけが、朝から礼服っぽいシャツとズボンを着込んでいて、笑えた。
ったく、私はこれから舅宅で、少しでも草抜きしようと思っていたのに、
主人は最初からヤル気の無いことがバレバレだった。

舅宅へ行く前に、墓所に寄り、タクシーには待っていて貰って、
三人で簡単な掃除と墓参りをした。
もっと天気が良ければ、本格的にここで下車して、
掃き掃除をするつもりだったが、雨がひどかったので、
花を取り替えて周囲を綺麗にするだけにした。
お盆前の日曜日とあって、どこのお墓にもたくさんの人が来ていた。
この墓地がこれほど賑わっているのを、私はほぼ初めて見た。

それから改めてタクシーに乗って舅宅まで行った。
幸か不幸か、この頃から雨が少し、小やみになった。
それで、法要の時間まで庭掃除をすることにした。
舅宅には、私たちが以前住んでいたときの衣類があるので、
主人も作業用のTシャツに着替えることが出来た(苦笑)。
雑草はとても半日では処理できなかったが、
とにかく玄関前だけ落ち葉を掃き集め、見栄え良くした。
蚊が狂ったように寄ってきた。
普段、誰もいない家に、我々が無防備な半袖Tシャツで現れたのだから、
飢餓状態のところにステーキが三枚出されたようなものだったのだろう。

お仏壇には小菊を飾り、舅の好きだったピオーネと桃、
それに姑が晩年まで大好物だった栗饅頭を供えた。
あとは、主人のリクエストで買った、広島きんつば(笑)。
姑のいない家に我々三人だけで帰っても、
私にはなんの張り合いもなかった。
ただ三人揃って、法要を営むことが出来たのだけが良かった。

お寺の若院さんにお経をあげて頂いて、お盆行事が滞りなく終わり、
仏間や居間の片付けをしたのだが、そのとき何かの拍子に、
『ばーちゃんが可笑しかった話』を誰からともなく始めてしまい、
やたらと盛り上がってしまった私たちだった。
晩年、病気をしてからの姑は、認知症が入ってきて、
ホド良くつじつまの合わないシュールな話を、よくしたものだった。
『恋の松茸汁』事件や、『さかえさんが他界した』事件のほかにも
必殺の姑語録は、山ほどあった。

 ばーちゃん『私は58歳よ。若う見えるけど』←(爆)
 ヘルパーさん『ほいじゃ、おとうちゃん(舅)はおいくつなんですか?』
 ばーちゃん『72歳なんよ』
 ヘルパーさん『(話を合わせて)結構、歳が離れとってんですね』
 ばーちゃん『ほうよ!新婚旅行のときなんか、話が合わんで困ったよ』

というように、姑の話は、いつもユーモラスで、楽しく、
私たちを大笑いさせてくれた。
病気になってから数年くらいの間、そういう意味で姑は絶好調だった。
不思議なことに、当時、目の前で私たちが腹を抱えて笑っても、
姑本人はケロリとしていて、私たちの様子は目に入っていなかった。
姑が、周囲の話のどこを拾うか、どの部分に反応するかは、
全く、私たちの予想を越えたものだった。

あの可笑しさだけは、狙って出せるものではなかった。
姑のことは、一生、師匠と仰ぎたい(爆)。

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