転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



先日の北海道旅行の最中に、古本屋に寄ったとき、
私が懐かしさから、山岸凉子『日出処の天子』第2巻を買い、
それを読んだ主人と娘が、広島に着くや否や、書店に直行し、
残りの巻を全部買い込んだ、……という一件があった。
私はこの作品を、高校生のときに知り、月刊LaLaの連載を
リアルタイムで追って最後まで読んでいたので、
物語をよく知っていたのだが、主人と娘には初めてだったのだ。

さて、その二人の熱中ぶりはともかくとして(笑)、
私は改めてこの話を通読して、昔気になったことを、また思い出した。
それは、正月行事の『賭弓(のりゆみ)の儀』の場面での、
厩戸の王子(聖徳太子)に関するエピソードだ。

この弓の儀式は、大王をはじめ、諸皇族、主立った豪族が射礼をし、
つづいて、舎人たちが紅白に分かれて賞物をかけての競射を行う、
という行事で、射礼のほうは本来、儀礼的なものであったのだが、
かねてより、聡明過ぎる厩戸を快く思っていなかった大王(崇峻天皇)は、
諸王子の射礼がないのはつまらないと突然言い出し、
わざと厩戸を指名し、射礼に参加せよと強いる。
厩戸が弓を持ったところなど誰も見たことがなく、
満座の中で王子に恥をかかせるのが、大王の目的だった。

まだ若く、少年の面影を残した厩戸が、
『初心者なれば、一射にて御免被りまする』
と静かに立ち上がり、
『何か願え、それから射るのがしきたりぞ!』
と追い立てる大王を尻目に、不意に昂然と顔を上げると、
それまでとは打って変わった鋭い目つきになり、弓に矢をつがえて、
『これより先 我が望みすべて叶うなら この矢よ当たれ!』。
矢は見事に的の真ん中に的中する、
……という話だ。

私はこの話を、漫画以前に、どこかで読んだことがあると
前々から思っていたのだが、今回、それが、
『大鏡』の藤原道長の逸話だったのではないか、と思い当たった。
藤原伊周と道長が、何かの弓の儀式で競って、道長が、
自分の望むことが叶うものならこの矢よ当たれ!と言い放ち、
彼の矢はこともあろうに的のド真ん中を射貫いた、
これこそ道長の「豪胆」さを物語る話だ、
……みたいな描写が、『大鏡』の中にあったはずなのだ。
もちろん、私はそんなものを自分で読んだのではなくて、
高校の古典の時間に習った記憶があるだけなのだが。

さて、ということで、今は有り難いことに、
ググれば大抵のものは出て来るので、きょう早速やってみた。
『大鏡』『道長』『弓』。
そうしたら、ヒットしました、『弓争い』。

古典の大鏡の内容が……(BIGLOBEなんでも相談室)

私の記憶は、微妙なところで間違っていた(汗)。
道長の、胸のすくエピソードは確かにあったが、
彼のした願い事は、厩戸より具体的だった。
「道長の家から、帝・后がお立ちになるはずのものならば、この矢よ当たれ。」
「自分が摂政・関白になるはずのものならば、この矢よ当たれ。」

山岸凉子氏が、『大鏡』のこの場面を引いて
厩戸の王子のエピソードを作られたのかどうか不明だが、
とりあえず私は、長年の疑問点を追求できて、スッキリした。
道長が「我が望みすべて叶うなら」と言っていなかったことは、
ちょっと残念だったけど。
厩戸のほうが、断然カッコいいじゃんね(苦笑)。

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