転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



舅の墓をどうするかが、昨年来の懸案事項なのだが、
このほど、一応の候補地を決め、近々問い合わせをしてみよう、
というところまで、主人と私の間では、話が進んで来た。
なにしろ主人にきょうだいがいないし、
姑は何かを決定できる状態ではないから、主人さえ気に入れば、
寂しい話だがそれ以上、意見や希望を述べる人は居ないのだ。

まだその霊園で決定するかどうかはわからないが、
平地にあって、公共の交通機関で行けて、車の乗り入れが出来て、
管理費を払うことで墓の掃除等の維持もして貰える、
というあたりが、こちらのかねてからの希望だったので、
それに叶っているのなら、そろそろ決めたいと我々は思っている。

いくら、浄土真宗では、墓は必ずしも必要でない、と言われても、
我々の思いとしては、今後も舅をしのぶよすがが必要だし、
将来的に、姑や我々だって入るところが要ることを考えると、
このまま遺骨は仏壇の中、という訳にはいかないのだ。

ところで、私の実家のほうの墓は、というと、
これがまた、物凄いことになっているのだ。
実家は現代の秘境で、墓所は山の奥のほうにある。
細い山道を延々と登って行くしかなく、車なんか入らない。
山だから、灯りも何もないし、舗装もされているわけがないし、
途中、片側が崖だったりする、凄い箇所を通らなくてはならない。
墓参りは、すなわち登山で、墓のあたりは山奥でヤブ蚊がひどいから、
行くなら長袖長ズボンを着込んで運動靴をはき、
帽子・手袋・水筒が必携、早朝出発は必至だ。

私の祖父母だけは火葬だったが、曾祖父母の時代から前は皆、土葬で、
しかもひとり一基ずつの墓なので、やたらと大きく、数が多い。
何代か前にハワイで死んだ人の墓や(骨になって帰国したのか?)、
昔、家で飼っていたという犬や猫の墓まであったりする。
そういえば祖母が、戦前に犬のヒロスケが死んだとき、
自分は動物なんか大嫌いなのに、かごに入れて背負って墓所まで行った、
などという話を、晩年になってから、していたことがあったっけ。

母「あたしなんか、もう、足が悪いから、墓へよう行かへんねん」
私「そりゃそうだな」(膝に水のたまった人は登山しないほうがいい)
母「四十年前、おじいさんが亡くなりはったとき、
 墓石、業者さんに担いで山まで上ってもろてんけど、
 今、思うたら、命がけやった」
私「あの狭くて急な山道で、一足でもスベったら、
 重い墓石と一緒にオダブツやね(^^ゞ」
母「おじいさんの時代やから、まだ業者さんも請け負うてくれたけど、
 もう、そんな危険な作業、今やったら難しいんとちゃうかね」
私「じゃあ、どーするんだ、うちのお父さんの墓、つくるときは」
母「それやねん」

母は嘆息した。

母「あんたらも、あの場所のままやったら、墓参りが負担やろ」
私「実はね。それについては、できたら分骨して貰って、
 今度、うちが、お舅さんのお墓を立てる霊園の一角に、
 もうひとつ、新しい墓所、買って、お父さんお母さんのにしたら
 と、今のところ、うちでは考えてるんだけど」
母「ふぅん」

私としては、妥協案だが悪くない、という気分だったのだけれども、
母は、それにはあまり賛成でないらしく、何も言わなかった。
実家のほうは親戚が多いし、父の姉弟も存命だから、
実家の墓所そのものを私の一存でどうかすることは出来ない。
ならば、せめて分骨のかたちでなら、両親だけでも我々と一緒にいられる、
と私の方は自分中心に考えていたわけなのだが、
まあ父や母にしてみれば、この家に長く暮らして来たのだから、
そんな馴染みのない霊園の話などピンと来ない、ということか・・・。

母「お父さんはね、今、住んでる、この家の裏庭に埋めてくれ、
 って言うてはんねん」
私「裏って、猫のミー子ちゃんの墓のある、竹藪のこと?」
母「そうそう。あたしらふたりは、あそこに墓立てたらええ、って」
私「どーしても、という希望なら、それでもいいけど(^_^;)」
母「せやけどね。こんな田舎で、遠い家、あんたらは住まんやろ。
 相続はあんたしかおらんから、こんな家でもただ維持してくの大変や、
 となると、将来、ここは貸すか、売るかになるかもしれんやろ。
 そうなったとき、裏庭に墓なんかあったら、困るやないの」

確かに。
墓つきの家なんか、借りたり買ったりしてくれる人は、
普通、居ないわな(--#)。

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