転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



TwitterのKajimoto_News‏@Kajimoto_Newsのツイート:
『イーヴォ・ポゴレリッチ、台湾から無事日本に上陸しました!台湾が32度もあったそうで、日本の気候に嬉しそう。満面の笑みでした。5/4LFJ金沢の後、いよいよ東京サントリーホールでのショパン協奏曲2曲(5/7)、ショパン&リスト・リサイタル(5/9)が待たれます。』
2012年5月1日 - 12:27

★ポゴレリッチ、ついに来日!そして早速、協奏曲の打ち合わせ(KAJIMOTO)

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拙サイト『イーヴォ・ポゴレリチ 私設ファンサイト』を公開したのは、
2004年1月1日付になっているので、今年で8年を経過したことになる。
当初は、今ほどアクセスして頂けるようになるとは思いもせず、
ただ、私が長年ため込んでいたものを、あれもこれも全部並べるという意味で、
『The Showcase』という名前をつけたのだが
(大浦みずきの宝塚時代のショーのタイトルにも、ちなんでいる(^_^;)、
最近ではこの名称は、もう要らないかなという気持ちになっている。
想定していた内輪での交流にとどまらず、「私設ポゴファンサイト」として、
年々、多くのポゴファンの方々に来て頂くことができるようになったからだ。
本当に、ありがとうございます<(_ _)>。心よりお礼を申し上げます。

そもそも、私本人は、最初から自分がサイトをやるつもりだったのではなかった。
むしろ、誰かが主宰してくれているところに寄って行って、
自分の持っているものを提供して、貢献したい、と考えていた。
パソコン通信の時代から、コンピューターで外と繋がりたいとは思っていたが、
私が本格的にネットデビューできたのは2000年の半ば、
初めて主人がWindows98を買ってからのことで、
やっとインターネットの世界に出て行くことが叶い、まずやったのは、
検索エンジンで「ポゴレリチ」「ポゴレリッチ」を検索することだった。
既にその頃、宝塚ファンサイトがたくさんあるのは知っていたので、
こんな著名なピアニストの関連サイトくらい、いくらでもあるだろう、
と思っていたのだ。
ところが、無かった(汗)。

必ずしも知名度には関係なく、公式サイトを持っている演奏家は多かったし、
ファンサイトも各種、作成されているようだったのに、
どういうわけか、イーヴォ・ポゴレリチに関しては、公式非公式問わず、
彼の情報を掲載しているサイトがひとつも見つからなかった。
私は予想外の結果に落胆したが、海外の検索エンジンにまで対象を広げて、
英語かフランス語か、何かないかと懸命に探した。
そうしたら、ひとつだけ、Unofficial Fan Clubと称する英語サイトがあった。
現在はもう閉鎖されているのだが、2000年から2003年くらいの頃に、
Julian Benedict氏という北米の方が、ポゴレリチの情報に的を絞って、
私設ファンサイトのかたちで掲載し続けて下さっていたのだ。
ポゴレリチが重度の神経症のため演奏会をキャンセルしたこと、
長期の療養生活に入るという発表があったことも、私はそこで知った。

そのあと、我が家では、姑が寝たきりになり舅が食道がんになって、
私は舅宅に同居して、舅姑両方の家庭介護をせねばならない生活になり、
2003年から2005年前半にかけては、ほぼ自由な外出が不可能になった。
それで、私の決定で勝手にできることは、パソコンの世界しかなくなったので、
日本語のファンサイトを、自分で作ってみようかと思い立ったのだ。
日がな一日、漫然とネットサーフィンをして気晴らしをするくらいなら、
今こそ、私にしかできないことを実現させてみようと思った。
少なくとも日本ではこれを誰もやっていないらしいのだから、
自分でやるほか、ないではないか、と。
80年代に、とある人が私に、
「それだけポゴレリチの資料を持っていたら、少なくとも国内で五指に入りますよ」
と仰って下さったことがあって、その当時はそんなアホなと聞き流していただが、
ここまでファンサイトが無いとなると『案外そうかもしれないな』と、
この頃には思えるようになっていた。

とは言え、サイト作成の知識も何もなかったし、
そもそもパソコンをちゃんと習いに行ったこともないので、
『一週間でできるホームページ』みたいな本をネット通販で買って、
まず、タグ打ちから始めた。千里の道も一歩から(爆)。
それから、こんな感じで作りたいなと思ったサイトのソースを開いて、
どういうふうに組まれているのかを勉強したりした。
どこへも出かけられないから、かわりに、こういう時間は一日中あったのだ
(家事と、舅姑の食事や着替え・入浴の介助の時間を除いては)。
ホームページビルダーなどというソフトの存在を知らなかったあたり、
私は、あまりにもド素人だった。
私のサイトが本当に手作り感満載で垢抜けないのは、そういう事情による。

しかし、あの全面的な介護生活が無かったら、
私の私設ポゴファンサイトは、決して誕生していなかっただろう。
外出できる境遇の人間には、必然的に、外出しなければならない用事があり、
一日中家に居てタグを打っているなどという生活は、許されないものなのだ。
私は外に出られなくなったからこそ、外出に要する時間が極限まで減り、
家に居なければできない作業が可能になった。
また、介護が最優先になり、自分の思い通りにできることが激減した日々のお蔭で、
唯一自由になるサイト作成の作業に、私はあり得ないほど熱中できた。

例えば拙サイトの中の、Rachmaninoff Piano Concerto No.2のページなど、
来る日も来る日も検索を重ねてアメリカの新聞記事を集め続け、
それを日付順に並べて日本語で概要を書き出して行くという、
かなりシツコい作業をして出来たものなのだが、
以後、二度と私はあのようなことはやれていない。
2004年の後半、ポゴレリチが久々に積極的なアメリカ公演を行ったときも、
私は同様に記事を集めることまではしたのだが(膨大な量の記事があった)、
特集ページを組むことは出来ず、一部を訳して紹介するにとどまった
この時期の直後から同居でなく、官舎から舅宅に通う生活になっていたので、
私は外出可能な境遇に変わっており、行動の自由を得たかわりに、
パソコンの前で過ごす時間は制限されていたのだ。

開設当初に比べると、私のサイト更新の頻度は最近は下がっているのだが、
それはファンとしての私の熱意の変化ではなく、
一個人としての私が、サイト開設当初より外出時間が増えた、
というだけのことだ。
今後、もし何らかの理由で私が再び家で多くの時間を過ごすようになったら、
また、私設ファンサイトの内容も充実することだろうと思っている(爆)。
いつもサイトに関して、こうしたら良いなと思うことは多々あるのだが、
このところ、それをする時間がなかなか無いので、出来ていないのだ。
しかし2003年当時と異なり、近年はポゴレリチも健康状態が改善し、
世界各地での演奏活動ができるようになり、来日も果たしているので、
私のほうも外出可能でいないと、彼の演奏会に行きにくくなってしまう。
そういう意味では、うまい巡り合わせになったということかもしれない。
この境遇に感謝しつつ、ほどほどのところで更新作業を続けていく、
というのが、一番幸せな状態かなと、今は思っている。

ということで、開設当初より変わらずにおいで下さっている方々、
たくさんの情報をもたらして下さっている方々、
更にはポゴファンでなくとも、楽しい話題で仲良くして下さっている方々、
そのほか、拙サイトにお立ち寄り下さったすべての皆様に、
改めまして、篤くお礼を申し上げます。
そして今後とも、末永くどうぞよろしくお願い申し上げます<(_ _)>。

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