転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ポゴレリチ協奏曲編

・7日のポゴレリチの協奏曲は、私にとっては本当に幸福な演奏会だった。
演奏者本人が、楽しんで幸せそうにしている演奏会は割と世の中によくあるが、
そうではなく、私が彼に幸福な思いをさせて貰ったのだ。
よもや、あのポゴレリチが聴衆を幸せにする瞬間に立ち会うことになろうとは
80年代から考えても、私にとって、最も予想外な展開だった。
受け入れることを拒否した聴き手も勿論いた筈だが、ポゴレリチはあの日、
彼一流のやり方で、自分のためにではなく、ひたすら音楽のために献身していた。
それが聴衆を幸福にしようとする原動力になっていたように、私には思われた。
かつては、本人の意図はともあれエゴの塊のような音を出していたのに、
いつの間にこんな演奏家になっていたのだろう、
……と驚きもしたし、感激もひとしおだった。
(また、いずれ拙サイトのほうに感想文を載せたいと思います。)

・演奏会のあと、見送るだけでも良いと思って楽屋口に降りたら、
同様のことを考えたらしい人達が、やはり既に集まっていた。
楽屋を出るシンフォニア・ヴァルソヴィアのメンバーを、ひとりひとり、
拍手をもって送ることができたのも、私には光栄なことだった。
この演奏会では弦楽もまた超名演だったから、
その感謝を表す機会が得られて良かった。
そしてポゴレリチが出てきて、一斉に大きな拍手が起こり、KAJIMOTOの方から、
『きょうは疲れているので、見送るだけにして頂きたい』
という意味合いのお話が、一旦はあったのだが、
皆が並んでいるのを見て、ポゴレリチが、サインをしようと言ってくれて、
突然のサイン会が実現した。本当に、ありがたいことだった。
字体は物凄かったが(爆)、目の前でしてくれたサインなので本物だ(^_^;。

・今回も、たくさんの方にお目にかかれて本当に嬉しく思っております。
楽しいお話をお聞かせ下さって、ヲタな私にお付き合い下さり、
心から感謝しております。ありがとうございました。
すれ違いや時間不足でお会い出来なかった方々にはお詫びを申し上げます。
よろしければ、また次の機会にお声をおかけ下さいましたらと願っております。


團菊祭編

・予想外に7日の協奏曲で幸せにして貰ったので、元気が出て、
私は8日の朝は早めに東京を発って、大阪に行くことにした。
ちょうど今月は、道頓堀の松竹座で團菊祭をやっていたからだ。
昼の部最初の、『寺子屋』は期待していなかったが(爆)なかなか良かった。
松緑・海老蔵・菊之助・梅枝、という息子さんたち世代の芝居だったが、
もう皆、立派に一人前なのだとよくわかる出来映えだった。
目玉は勿論『身替座禅』で、今回は團菊祭ならではのベスト・キャスティング
(右京:菊五郎、玉の井:團十郎)だったうえ、
太郎冠者が権十郎で、私にとっては最高の配役となっていた。
また、普通の上演だと、この演目は音羽屋のものなので、
長唄や三味線の人達が全員、菊五郎格子を着ていることが多いのだが、
今回は團十郎が玉の井を務めているので、
敬意を表し、常磐津が成田屋の定紋の肩衣をつけていた(と思う)。

・最後は『封印切』で、團菊祭でやるような演目なのかな?と不思議だったが、
久しぶりに藤十郎を見ることができたし、菊之助が梅川の大役で頑張っていた。
東蔵、左團次の顔合わせもとても豪華で、見応えがあった。
しかし、すみません、正直に言います、藤十郎の台詞は聞き取り辛かったです。
少なくとも、二階の後ろのほうで聴いている私には、キツいものがあった。
軽妙な味わいは素晴らしかったのだが、滑舌が……(逃)。
おかしい、去年『幸助餅』ではあんなに元気だったのに、
と最初ずっと思っていたのだが、よく考えたら『幸助餅』は翫雀だった(←息子)。
山城屋の年齢に思い至り、その若さと体力に感服するとともに、
ほんまに親子そっくりやな、と感じ入った(爆)。
ほかには三津五郎がとても良くて印象に残った。
文楽の封印切とは異なり、歌舞伎版での八右衛門は敵役で、
主人公に近い存在感の役だが、三津五郎のバランス感覚は素晴らしかった。

その他
・東京駅の八重洲口って、私の記憶にある限りいつも工事中なのだが、
あれは何を作っているのだろうか。
どうかすると十数年かそれ以上、私の中では、
工事現場でない八重洲口って記憶に無いような?違う?
丸の内側は工事中でない状態が簡単に思い浮かべられるのだが、
完全体の八重洲口ってどんなんだったか、私は思い出せないぞ(^_^;。

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