転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



家を片づけていたら、じーちゃんの日記が発見された。
内容は病状や体重増減の記録が主体のようだった。
私は読まなかったが(ヨメさんに読んで貰いたい筈はなかろう)、
主人は、面白がって読み、一部、朗読までしてくれた。

○月×日
マサ**(=転夫)がタバコのことばかり言う。だがやめる気なし


舅があまりにヘビースモーカーなので、主人はよく怒っていた。
癌になってもタバコをやめられない人間は、焼かにゃなおらん、
と我々の間ではよく言ったものだ。

○月×日
ばあちゃん芳しからず
(註:姑の入院中の記録らしい)。
苦しまずに行ってくれると良いのだが。
わしもすぐだよ!!


姑は2003年の初夏に敗血症になって生死の境をさまよった。
あのときは誰しも覚悟した。
舅は、『洋服の○山』に車を飛ばして出かけ、
『わしゃ、いっぺんしか着んのじゃ!』
と値切って喪服を買ってきたものだった(爆)。

○月×日
よしこさんの話では、ばーちゃんは昨日より良くなっている、
と医者が言ったそうだ。病院の説明がころころ変わる。
何を信頼したら良いのか


その敗血症のとき、多臓器不全でもう数日の命です、
と医師は一度は言ったが、その翌日に前言撤回した。
最悪の状態と思われた翌日から、血液検査その他の数値が
みるみる好転して来たのだ。姑は結局、蘇ったのだ!
このとき舅が、
「生きられるだけは、生きにゃ、のう」
と言っていたのが、とても印象的だったものだ。

一方、舅本人も病身だったから、よく入院した。
放射線科にも外科にも泌尿器科にも入院した。
入院しながら、更に歯科や眼科や脳外科など、
他の科にもかかっていたりしたものだった。
舅には不安材料がたくさんあった。
にも関わらず、彼は不良患者で、よく外出していた。
行き先は銭湯、そして勿論、パチンコだった。

○月×日
パチンコ。きょうは勝ち。
しかし先日来、負けが込んでいるので、収支はトントン。
帰ってきて検温、37度4分。夜には下がる。


これが最後には入院費をパチンコで払うまでになったのだから、
舅の執着と腕前は、それなりのモノだったと評価すべきだろう。
寒い中、パチンコに行って帰って発熱、
というのは結構、よくあったパターンだった(^_^;)。

基本的に、舅の入院生活は、心穏やかなものではなかった。
なぜなら彼はいつも、病室環境や病院食に文句があり、
担当看護師さんや同室の患者さんの態度や暮らし方にも
何かというと、腹を立てていたからだ(^_^;)。
四国がんセンターに入院したときなど、
『四国の人間は、ろくなもんがおらん!』
とまで言った。そうかと言って、
広島の人間がろくなもんだった訳でもなかった。

○月×日
広大○科の看護婦は、ろくなのがおらず。
質問してもきちんと答えず。処置もモタモタ。
きょうの看護婦に、あだ名をタヌキとつける


つけるなよ(^^ゞ。

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