転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



銀行に行って葬儀費用の振り込みをし(^_^;)、
礼服をクリーニングに出し、
自宅近くのお寺に電話して四十九日法要の予約をし、
弔電の整理をし、・・・それらで半日終わってしまった。

バスに乗らないで一日が終わったのは何ヶ月ぶりだろう。
もうずっと以前から、私は必ず、
佐伯区の自宅に行くか、舅が入院中なら病院に行くか、
姑がショートステイなら施設に行くか、
等々を繰り返していたので、『どこにも行かない』
というのが、実に久しぶりだった。

姑は、五日市の施設で今も過ごしていて、
葬儀関連のゴタゴタで、しばらく会いに行っていないのだが、
元気で、なんの問題もないとの報告は一応、受けている。
会いに行っても私が誰だか、姑にはわからないと思うが、
しかし、顔を見なければ見ないで、
なんだかやっぱり気になるのだった。
今度の四十九日には、姑にも来て貰うように考えている。
親戚だけの集まりだから、皆も事情をわかってくれるし、
介助の人手もたくさんあるから、一緒に食事までできるだろう。

舅は、最後の入院期間中に私に、
「ばーちゃんはな、置いていけ」
と言ったことがあった。
もう薬でかなり話が混乱していた時期だった。
「あんたちらに迷惑をかけちゃいけんからのぅ。
 ばーちゃんは、置いていけ」

『置いていけ』というのが、どういう意味なのか、
私にはわからなかった。
我々が転勤するときに連れて行こうなどと考えるな、
と言いたかったのだろうか?
舅の、最初の食道癌手術のとき、
私が広島までは介護に通えないという理由から、
舅姑を転勤先の今治によんだことがあったが、
あのときのことなどを、ふと思い出したのだろうか
(今考えたら、ふたりともよく来てくれたものだと思う。
七十代にもなって、見知らぬ土地で入院するなんて)。

姑に関しては、舅が自宅に居た頃、既に、
自宅近くの特養T園に入所申し込みを済ませてあって、
そこの入所順番がいずれまわって来たら、
すぐ入所するということでいいのだが、
多分、まだ日数が(場合によっては年月が)かかるだろうから、
私としては、これからしばらくは、
自宅療養と短期入所の組み合わせでやって行ければいい、
と漠然と思っていた。

ところが、昨日、ケアマネさんと話をしたところ、
舅は既に、自分が居なくなったあとの姑のことを
あらかた、決めていたのだという話だった。
私は、五日市のK苑はショートステイだと思い込んでいたのだが、
舅は、この施設と話をつけて、T園の入所が決まるまではずっと、
継続して預かって貰えるように、既に手配していたのだった。
「T園にもK苑にも確認済みです」
とケアマネさんは仰った。

じーちゃん、見事過ぎ。
ほんとに凄いじーちゃんだったと改めて思う。
でも、ぬかりが無さ過ぎて、なんか寂しーよ(^_^;)。
最後まで自分で全部カタをつけてから行ってしまって。
勿論、ばーちゃんの介護が息子らの負担になってはいけない、
という、じーちゃんの思いやりに、深く深く感謝しているけれど。

私「ですが、外出とか外泊で、姑(はは)が家に帰ることは
 これからも自由に出来ますよね?」
ケ「勿論です。ただ、入所中の外泊はヘルパーが使えません」
私「あ(^_^;)」
ケ「正確には、使えますが、実費です。介護保険では使えません」

なら、その都度、書類を書いて退所手続きをとるだけのことだが、
いやはや、制度というのは、なかなかに、ややこしいものだ(^^ゞ。

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