転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
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HN「転勤族の妻よしこ」、筆名「山田亜葵」。家族は、転夫まーくん(またの名を「ツアコンころもん」)、転娘みーちゃん(1995年生まれ。首都圏在住。会社員)。
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最後の夜
じーちゃん&ばーちゃん
/
2005年10月04日 12時31分43秒
お世話になっているヘルパーさんの事務所から、
舅が預けていた家の鍵を返却したい、
との連絡があり、佐伯区の自宅まで来て貰った。
八月の最後の入院直前に、サービスに入って下さった方と、
その前日に来て下さった方との、おふたりで出向いて下さった。
焼香して頂いたあと、居間で、お茶など出しながら、
舅の思い出を、しばらくとりとめもなく語りあったのだが、
その、最後のサービスの担当だった方のお話は、
私の知らない、ちょっと印象的なものだった。
入院前夜の、8月23日の夜、ヘルパーさんが家に入られたとき、
舅は、自分で起きて、家じゅうの雨戸を閉めていたのだという。
このときはもう、私は中区の官舎のほうに帰っていて、
舅宅には居なかったから、舅は全くひとりだった訳だ
(舅の入院に先立ち、姑も既に施設に入っていたので居なかった)。
翌朝、主人が迎えに来ることになっていたのだし、
舅は何もしなくても良かったのに、
明日から入院でしばらく留守にする、ということを考えて、
自分の手で、家の戸締まりをしようとしたのだろう。
それから舅は、ヘルパーさんを見ると、
「
今まで、長い間、お世話になりました。
本当に、ありがとうございました
」
とはっきり言ったということだった。
舅はいつも、ヘルパーさんが用事を終わって帰られるときには、
ありがとうございました、と言っていたものだったが、
『長い間・・・』という言葉は初めてで、
それは、どう考えても、別れの挨拶だった。
「私、それには御返事が出来ませんでした」
と言ってヘルパーさんは涙をふかれた。
この晩は、食事も全部、頑張って食べてあったそうで、
家を出るにあたっての、舅の最後の頑張りというか、
ひとつの決意みたいなものを、
ヘルパーさんは感じられたということだった。
私も改めて御礼を言った。
自分で暮らしたい、自立していたい、
という舅の願いを、強く支えて下さったのが、
このヘルパーさん方だった。
この方々の暖かい助力がなかったら、
舅はもっと早い段階で、私たちとの同居を再開し、
息子の言うことを聞かざるを得ないという、
不本意な生活に戻っていたかもしれないのだ。
それから私はもうひとつ、例の、「
連絡ノート
」についても、
舅になりかわって御礼を言った。
本当に、なんときめ細かく、ひとつひとつ丁寧に、
老人ふたりの生活を見守って下さったことだろうか。
すると、もうひとりのヘルパーさんが仰った。
「連絡漏れや、伝言ミスなんかで、たくさんご迷惑をおかけして、
なんとか、そういうことのないようにと考えたのが、
あの連絡ノートだったんです。
でも、最後まで、私はご迷惑をおかけしちゃいましたけど(^_^;)」
舅は、最後までクレーマーだったらしいことが、
コレで判明した
。
ああああ、本当に、すみませんでした~~~(T.T)。
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