転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



お世話になっているヘルパーさんの事務所から、
舅が預けていた家の鍵を返却したい、
との連絡があり、佐伯区の自宅まで来て貰った。
八月の最後の入院直前に、サービスに入って下さった方と、
その前日に来て下さった方との、おふたりで出向いて下さった。

焼香して頂いたあと、居間で、お茶など出しながら、
舅の思い出を、しばらくとりとめもなく語りあったのだが、
その、最後のサービスの担当だった方のお話は、
私の知らない、ちょっと印象的なものだった。

入院前夜の、8月23日の夜、ヘルパーさんが家に入られたとき、
舅は、自分で起きて、家じゅうの雨戸を閉めていたのだという。
このときはもう、私は中区の官舎のほうに帰っていて、
舅宅には居なかったから、舅は全くひとりだった訳だ
(舅の入院に先立ち、姑も既に施設に入っていたので居なかった)。
翌朝、主人が迎えに来ることになっていたのだし、
舅は何もしなくても良かったのに、
明日から入院でしばらく留守にする、ということを考えて、
自分の手で、家の戸締まりをしようとしたのだろう。

それから舅は、ヘルパーさんを見ると、
今まで、長い間、お世話になりました。
本当に、ありがとうございました

とはっきり言ったということだった。
舅はいつも、ヘルパーさんが用事を終わって帰られるときには、
ありがとうございました、と言っていたものだったが、
『長い間・・・』という言葉は初めてで、
それは、どう考えても、別れの挨拶だった。
「私、それには御返事が出来ませんでした」
と言ってヘルパーさんは涙をふかれた。

この晩は、食事も全部、頑張って食べてあったそうで、
家を出るにあたっての、舅の最後の頑張りというか、
ひとつの決意みたいなものを、
ヘルパーさんは感じられたということだった。

私も改めて御礼を言った。
自分で暮らしたい、自立していたい、
という舅の願いを、強く支えて下さったのが、
このヘルパーさん方だった。
この方々の暖かい助力がなかったら、
舅はもっと早い段階で、私たちとの同居を再開し、
息子の言うことを聞かざるを得ないという、
不本意な生活に戻っていたかもしれないのだ。

それから私はもうひとつ、例の、「連絡ノート」についても、
舅になりかわって御礼を言った。
本当に、なんときめ細かく、ひとつひとつ丁寧に、
老人ふたりの生活を見守って下さったことだろうか。

すると、もうひとりのヘルパーさんが仰った。
「連絡漏れや、伝言ミスなんかで、たくさんご迷惑をおかけして、
なんとか、そういうことのないようにと考えたのが、
あの連絡ノートだったんです。
でも、最後まで、私はご迷惑をおかけしちゃいましたけど(^_^;)」

舅は、最後までクレーマーだったらしいことが、
コレで判明した

ああああ、本当に、すみませんでした~~~(T.T)。

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