転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



舅はろくに何も言い残さずに逝ったので、
いざとなると、我々にはわからないことがたくさんあった。
お寺はどこか決まったところがあったのか。
互助会などには入っていたのか。
墓所はどうするつもりだったのか。

そして、ホトケさんを前にしてアレなのだが、
この家の会計はどうなっていたのか、預金などはあったのか。

主人にはきょうだいがなく、相続は姑と主人のふたりだけだし、
もともと、相続税などの話にすらならないような額だろうけれど、
それでも、舅が、姑とふたりの老後のために貯めたものならば、
舅にとって本当に大切な預金だったことは想像に難くないので、
『在処がわかりませんでした』で済ませる訳にはいかなかった。

夫「じーやんが最後に入院しとるときに、『通帳やなんか、
 どうしたらええんや。どこにあるんや?』て訊いたら、
 真面目に『わからん』て言いよった」
私「(^_^;)」

舅と主人の関係から言って、息子に通帳を渡したくなかった、
などということは考えられないので、
多分、舅は、最後の頃には、もう、あまりの苦痛のために
細かいことを考えられなくなっていて、
主人にいろいろと説明することも、出来なくなっていたのだろう。
我々も舅本人も、まだまだ舅は元気だと錯覚していて、
舅本人の管理能力が高かったため完全に任せていたのが、
結果的に、アダになった。

それから主人とふたりで、舅の部屋を少し探してみたが、
全然、それらしいものがなかった。
この家の光熱費や新聞代の自動引落も、
領収証を見ると、銀行口座からなされているので、
通帳が存在しない筈はないのだが、一冊も出てこなかった。
見つかったのは、宝くじのハズレ券の束くらいだった。
それもおびただしい枚数だった。
舅は、この夏、勝負に出ていたのだ。

夫「じーやん、一攫千金を夢みたんやねえ・・・(^_^;)」
私「で、全部、当たらなかった、と」
夫「可哀想にねえ・・・」

そのあと、線香を上げに行ったとき、私は仏壇に向かって、
『おとーさん、通帳が出てきませんよ~。困りましたね~』
と言った。
今更言っても仕方がないのだが、
他に誰に言う訳にもいかなかったので(^_^;)。
写真の舅は、良いヒトそうな(!)笑顔でこちらを見ていて、
勿論、何も応えてくれなかった。

ところが。この日の夜、私が、
「まさか、こーゆーとこに入れてる、ってこと、ないよね~」
と冗談で言った場所に、なななんと通帳は、あったのだ(O_O)!!
すごいっ、じーちゃん、もしかして、教えてくれた!????
私が腰を抜かしそうになっていたら、主人も言った。
「俺も昨日、じーやんに、ヲイヲイ困ったで~、って言うたんよ」
私たちが見当違いの場所ばかり探しているのを見て、
舅が業を煮やして
『ばか。ここじゃろうが!!』
と言ったかのようだった。
え~ん(T.T)、じーちゃん、ありがとうありがとうありがとう!!

中身は、多額ではないにせよ、
姑のためになることは間違いないものだった。
我々の細々とした収入でやって行くよりは、
これで明らかに、姑の生活の選択肢が増えるだろう。
老後に備えて舅が(若い頃には姑も協力して)貯めたものなのだから、
最後まで、ふたりの快適な生活のためにこそ、活用されるべきだ。

ちなみに舅はカード類が大嫌いで、銀行カードもクレジットカードも、
全く一枚もつくっていなかった。これは本人が言っていたので明かだ。
だから、カード類が全く出てこないことには不思議はなかった。
「わしゃ、あの機械でカネを出し入れするのは、わからんのんよ」
と舅は以前から、たびたび言っていたものだった。

非常に腕の良いエンジニアだった舅が、
ATMのような単純な機械の操作を
本当に理解できなかったとは到底思えないのだが、
想像するに、後ろに行列が出来ているときに、
機械の操作を間違えて進退窮まるようなことがあったり、
リセットして最初から入力しなおすのに手間取ったりする、
などという状況が、
舅は、生理的に気に入らなかったのだろうと思う。

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