goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



海堂尊『ジェネラル・ルージュの凱旋』(上)(下)を読破、
きょうの夕方には『螺鈿迷宮』(上)(下)も読み終わり、
これで終わったかと主人に四冊とも返却したら、入れ替わりに、
「ん」
とハードカバーの『イノセント・ゲリラの祝祭』を渡された。

まだ、ありやんの(^_^;。

どこの世界も同じかもしれないが、
一握りの優れた能力を持つ人の機転とバイタリティの御陰で、
システム本来から期待される以上の実績があがり、
その恩恵により、辛うじて世の中が支えられている。
そして、私たちは、それを知らないで市民生活を営んでいるのだ。
・・・と救急医療の現場で働く医師の姿を思い描きながら
考えた。

Trackback ( 0 )




一年前と同じ箇所が扁桃炎になり、微熱プラス腹部不快、
つまり扁桃炎と大腸炎のセットという、定番の不調だ。
こういうときは、とりあえず寝るしかない。

ということで、きょうは朝から寝たり起きたり。
海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(上)(下)を昨夜読み、
主人が貸してくれた映画のDVDも観て、
きょうはその続編『ナイチンゲールの沈黙』(上)(下)も
寝ながら読み終えた。

後者の小説に、傑出した歌い手が、自分の歌声に乗せて、
心の中にある情景を聴き手に強力に伝える、という描写があった。
ある種の歌手は、歌うことにより、まるで人前で裸になるように
聴く者に向かって、自分の心の中にある映像を
意識的あるいは無意識的に見せてしまうものらしい。
聴覚を通して視覚的な体験を実現させるわけだ。

ちょっとエスパーめいているが、わからないこともない。
なぜなら、確かに、ある種の演奏を聴くとき、私は、
自分が根本から揺さぶられるのを感じることがあるからだ。
それは音楽で良い気分になったなどというヌルい話ではない。
もっと強烈なものを否応なしに突きつけられる感じだ。
ポゴレリチを怖いと思うのはそういう点だ。

だがまあ、彼の演奏をどんなに心を澄まして聴いたとしても
彼の前夜の行動が聞き取れたりなんてことはないわけですが(爆)。


ということで、今夜は引き続き、
『ジェネラル・ルージュの凱旋』(上)(下)、行きます。

Trackback ( 0 )




奇跡のピアニスト 郎朗自伝』を読んだ。
この父子、特に父親のほうのエキセントリックさ加減については、
既に某氏がサイトBBSで教えて下さった下記記事で知っていたが
『奇跡のピアニスト 郎朗(ラン・ラン)自伝』を読む
実際に綴られた順番に読んでみると、全く圧倒されてしまった。

本の帯にも書いてあるように、
『「ナンバーワン」は父と母の口癖だった。』
というのが、ラン・ランの育ってきた環境だった。
今の日本では、他人に勝つことによって社会的地位を得る、
という考え方は必ずしも好まれないが、仮に、
「ナンバーワンよりオンリーワンこそ価値がある」
という育てられ方をしていたら、今のラン・ランは無かった。
息子の才能を確信し、頂点に立てと教え込み、
自らも息子のためにすべてを捧げるような両親の存在があって、
初めて、今日「天才」と呼ばれるラン・ランが出現したのだ。

だが勿論それは、親の一方的な好みや思い入れではなかった。
少年時代から彼がいかに非凡な少年であったかは、
この自伝を読めばすぐにわかる。
ベートーヴェンの曲は、怪獣のあばれる映画音楽だと考え、
モーツァルトは数小節ごとに新しいキャラクターを登場させる
ミニドラマを音楽で作ったのだと感じ、
父親の弾く二胡の調べを聴きながら、
トムとジェリーが道に迷って困っている様を思い浮かべていた頃、
このあまりにも多感なラン・ラン少年の一番の望みは、
「幼稚園に行かなくてすむように」ということだった。
そう、まだ幼稚園、だったのだ(汗)。

バッハはいつも神と対話している。
ショパンは、見つけることなどできない愛を追い求めている。
ベートーヴェンにとって音楽は生死にかかわる重大問題。
大きな家にひとりきりでいるチャイコフスキーは、
涙を流しては曲を書き、曲を書いては涙を流す。
……こんなことを空想していたときだって、
幼ラン・ランくんは、まだ一年生になったばかりだった(汗)。

マスタークラスを受講し、ピアニストの激しい感情に触れ、
ハイドンの歓喜、シューベルトの叙情主義、
ブラームスの繊細さを感じ取ったとき、
ラン・ラン少年は6歳半(汗)。

「ナンバーワン」だけを狙って参加したコンクールで7位に終わり、
納得できず激昂するラン・ランに、恩師の朱先生は、
彼の意欲を高く評価し、悔しい気持ちに理解を示したうえで、
「芸術家の人生には失望がついて回ることを理解しなければだめ」
「それは避けられない。否が応でも乗り越えなくてはならない」
「負けるたびに動揺していたら、次の準備がもっと難しくなる」
「現実を受け入れる訓練をしなければならない」
「痛みを感じれば感じるほど、強くなれる」
等と温かく諭している。
少年の心に、その教えは深く優しく染みいる。
このとき、ラン・ラン、7歳(大汗)。

「一歩ずつ進めば夢はかなう」とサブタイトルに書いてあるのだが、
それは「誰でも、どんな夢でも」という甘い前提ではない。
特殊な才能を与えられて生まれた子供が、
両親や周囲の大人の支えのもとで自分の天分と真摯に向き合い、
常に高みを目指して一歩ずつ進む意志を持ったとき、夢が叶う、
……というのが、この本で描かれている世界だ。

Trackback ( 0 )




主人が貸してくれた『名画で読み解く ハプスブルク家12の物語』
(中野京子・著 光文社新書)を読んだ。

主人は趣味の絵画鑑賞の方向から選んだ本だったのだろうと思うが
私は以前少し、スペイン・ハプスブルク家の話を
何かのムック本みたいなもので読んだことがあったので、
それを思い出して、王家の物語をとても楽しむことが出来た。

とりわけ、私が心惹かれたのは、スペイン国王フェリペ四世と
彼に見出された画家ベラスケスについての箇所だった。
フェリペ四世は歴史上、為政者としての評価は低いようだが、
美術、とりわけ絵画に対する審美眼は、並外れて優れていた。
現在のプラド美術館の基礎をつくったのは、
フェリペ四世と、その祖父フェリペ二世だったと言える。
宮廷の財力にモノを言わせて、選りすぐりの絵画を収集し、
貴重なコレクションを後世に残したのはこうした国王たちだった。

フェリペ四世は、自身が18歳の若さのときに、
肖像画家としてのベラスケスの才能を見抜き、
彼を専属の宮廷画家として取り立てた。
写真の無かった時代に、肖像画を描く絵描き達の地位は
単なる「職人」と見なされていたのに、
フェリペ四世はベラスケスの才能に心酔し、高く評価し、
彼を官吏としても重用し、貴族に与える勲章まで授与したそうだ。

――という物語を読んで、私は、フェリペ四世の目の確かさと
芸術を厚遇する彼の感性にはいたく感銘を受けたのだが、
さてそれで、ベラスケスの描いたフェリペ四世像を見てみると、
これが、まあ、さすがに醜悪とまでは言わないが、
どう見ても美男でないどころか、相当、変な顔なのだった(爆)。

黒衣のフェリペ四世

確かに、王族の気品や、高貴な生まれ、国王の威光などが
見事な筆致で表現されている、と言えないことはないと思うが、
しかし、ベラスケスの高度な筆力、圧倒的な写実性により、
作品が優れていればいるほど、そこに描かれる国王は、
本人そのものを強く鮮やかに反映した絵姿となってしまっている。
つまり、もともと、全然見栄えの良い男でなかったことが、
気の毒なほどハッキリしてしまっているのだ。

優れた目を持つフェリペ四世は、この残酷さを
なんとも思っていなかったのだろうか?
またベラスケスは、国王からこれほどの厚遇を受けながら、
隠そうにも隠せない、ホントウのことを描ききってしまう自分、
というものを、どう考えていたのだろうか。

王妃マリアナ

王妃マリアナの、これまた美人とは言い難いハプスブルク顔貌
(しかも仏頂面)からも、決して幸福でない宮廷生活がしのばれ、
相当なインパクトがあると思うのだが、
ここまで正直に描いてしまってクビが飛ばなかったなんて、
王はよほど、ベラスケスの才能を得難いものと思っていたのか、
それとも、根本のところで、審美眼が、もうひとつ甘かったのか(汗)。

Trackback ( 0 )




例の如く、姑の病院に帰りに歩いていて、本屋に寄ったら、
この秋はラジオ第二のNHKカルチャーアワーが、
なかなか楽しそうなことになっていた。

新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む 「父殺し」の深層

現代日本の読者が『カラマーゾフ』を読むことの意義とは?
物語の根底にある次男イワンによる潜在的父殺しの意味とは?
等々について、訳者の亀山先生ご本人による講義が
三ヶ月に渡って放送されるとのことで、早速テキストを買った。
先月から、どうも、天の神様が私に、
『カラマーゾフをやんなさい』
と仰っているような気がしてならない。
これは素通りするワケには行かないでしょう。
年末にはミズくんの雪組公演もあるし(殴)。

もうひとつ、心惹かれる講座があった。
漢詩をよむ 漢詩の来た道 魏晋南北朝・隋

実は、私はこの秋から、漢詩鑑賞法を勉強しに某所に通い始めた。
月に2回ほど、詩吟の先生から漢詩の読み方と内容を習う会だ。
私自身は声も出ないし、吟詠のほうの素養も全くないので、
ただ漢詩を読むだけが目的で行くことにしたのだが、
会員の皆さん、どー見ても60~70歳代と思われる方々ばかりで、
元来が、おじーちゃん・おばーちゃん好きの私としては、
何かとても居心地の良い会で、そのほうも気に入ってしまった。
アンチ・エイジングどころか、私は年配の方々の仲間になるほうが
波長が良く合って落ち着くのだと再確認した(爆)。
ジジババに育てられると将来こういう人間になるという見本だ(^^ゞ。

なんで唐突に漢詩なんだと、日頃の私を知っていて下さる方々は、
この展開にいささか呆れられたのではないかと思うが、
私にとっては、漢詩は、「いつかやりたい」ものとして、
長年、心の中にあった。
きっかけは、中学の国語で習った絶句や律詩、
それに高校の漢文で習った『史記』(「鴻門の会」「四面楚歌」)、
そして、その延長線上にあるのが、中島敦『山月記』なのだが、
……そのへんの話は、機会がありましたら、また、いずれ。

それにしても、『新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む』と、
『漢詩をよむ』、それに『FLASH:ヘア解禁!吉野公佳全裸』、
の三冊をレジに持っていきながら、
一体私は何がしたいんでしょうかと、我ながら、思った。

Trackback ( 0 )




このところ、姑の病室に座っている間、時間だけはあったので、
『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫・訳、光文社)全5巻を読んだ。
辿れば高校1年生のときに新潮社版のを買って、三分の一も読めず
(三兄弟と父親以外の、人物関係がどうしても把握できなかった・呆)、
今年の初め、新訳が出たのだからと購入して、また一巻の途中で挫折
(少しずつ読んでいたら、最初のほうの設定が思い出せなくなった・爆)、
これはちょっと、腰を据えて一気に読まないと駄目だなと思い、
今回、毎日毎日、病院で何時間も過ごす間に読むことにした。

本編を読み終えてから、もう一度、
作者による序文と、訳者・亀山氏による解説とを改めて読むと、
つまりこの小説は未完のものだったのだ、ということがよくわかった。
当初の構想としては、三男アレクセイ・カラマーゾフの一代記を、
「第一の小説」「第二の小説」のふたつにわけて書く筈だったのが、
「第一の小説」を書き終わった時点で作者が急逝してしまったために、
「第二の小説」は、全く書かれないままで終わってしまった。
つまり、現在『カラマーゾフの兄弟』として読み継がれているのは、
その「第一の小説」の部分だけなのだ。

道理で、一代記どころか、この話はほんの数日間の事件を書いただけだし、
主人公という割には、読み終えて鮮烈だったのは、
少なくとも私にとってはアレクセイではなかった。
彼は物語のほとんどの場面に存在してはいたが、
彼自身のドラマがあったと言えるのは、
おそらく、尊敬するゾシマ長老が亡くなったときだけで、
あとは終始、淡々と、アレクセイらしいアレクセイのままだった。

エピソードの多くは、解決しないまま投げ出されていて、
終盤で突然、悪に目覚めちゃったリーザちゃんはどうなるの?とか、
思わせぶりなことをいっぱいやってた早熟少年コーリャは、それで?とか
ミウーソフさんやホフラコーワ夫人は、これっきりスか?とか、
カテリーナさんは、それで解決したんでしょうか?とか、
様々な疑問が、私には残った。
この「第一の小説」でとにもかくにも決着がついたのは、
スメルジャコフの物語だけだったのではないだろうか。

「第一の小説」に関する限り、私にとって最も印象的だったのは、
長男ドミートリー・カラマーゾフだった。
三兄弟で彼だけ母親が違っていて、彼の前半生は数奇で躍動的であり、
愛する女性を父親に取られそうになる苦悩も、狂おしいものだった。
信仰の問題や、「父殺し」の潜在的な心理、
心の中にある神と悪魔の対比、『ファウスト』の連想、
などなど、哲学的な側面を除外して考えたら、
単純には、ドミートリーの一代記のほうが面白かったのでは、
・・・とフトドキな読者である私は、読みながら、つい考えてしまった。
極東のテキトーなオバちゃんの読書なんて、こんなもんです(爆)。
ドストエフスキー先生、すみません。
これから、もう一回、読み直して、出直して来ます。

・・・・・・と思っていたら、こんなのが、あった。
宝塚歌劇雪組『カラマーゾフの兄弟』
配役を見ると、主演男役の水夏希が演じるのは長男ドミートリーだ。
ほれ見ろっ。やっぱり彼が一番印象的だろうが!
熱くワイルドなドミートリーは、きっと水くんには似合うと思う。
だが話のほうは、短い上演時間では、きっと『犯人は誰だ!』がメインの、
恋愛サスペンスにならざるを得ないだろう。
だって、次男イワンの取り憑かれたような4時間朗読があったり、
ゾシマおじーさんの若かりし頃の尋常ならざる体験を入れたりしたら、
それこそ何日にもわたって上演しないといけなくなるものな(汗)。
これはこれで、とてもタイムリーで、楽しみではあるけれど。

Trackback ( 0 )




先日、どういう話のなりゆきだったか忘れたのだが、私が、
今まで自分が知り合ったS学会の会員さんたちは、
皆、とても親切で、良い人たちだった、
という感想を言ったら、主人が、
「どぞ」
と、『日本の10大新宗教』(島田裕巳・著)を貸してくれた。

今までも書いたように、主人は親の代かその前からずっと浄土真宗で、
転勤族一家は某寺院の檀家であるから、私も門徒ということになるのだが、
そもそも私の方の実家の父は神社神道、母方は浄土宗、
そして今、うちの娘の行っている学校はプロテスタントで、
私もまた若い頃から、よく、あちこちのキリスト教会に行っていて、
かなり傾倒していた時期も幾度かあり、近寄ったり離れたりして来た。
つまり我が家はある意味、典型的な日本人的宗教環境(爆)なのだ。

宗教に対する私の感覚は、あまり定見は無いのだけれども、
なんであれ信仰を持つのは悪くないと感じており、
なんらかの宗教的な教えに触れることによって、
魂が存在するか否かなどの問題について考えを深めたり、
他者のために働くことを喜びと感じられるようになるのなら、
そういう世界を持たない人生より、それは幸福なことだろう、
と思っている。

先に書いた通り、私自身の信仰とは接点がないが、
これまで出会ったS学会員の人たちは、皆、とても誠実だったし、
転勤先で知り合った、某R友会系新宗教団体の信者さんたちも、
他人に対してとげとげしさの無い、落ち着いた方々だった。
心の中に「神様」や「仏様」があったり、
教理などにより、絶えず生活を正す努力をしているというのは、
見事なことだなあと私は彼ら彼女らを見て思ったものだ。

「それは布教のカモになりそうなアナタに親切にしただけ」
と、私の話を聞いて言った人が、今まで実際にいたのだが、
しかし彼ら・彼女らの誰も、私に対して布教もお祈りもしなかった。
ただ、自分たちに信仰があることを話してくれただけで、
あとは普通の、居心地の良い友人知人関係を築いてくれたのだ。

だいたいが、キリスト教だって仏教だってイスラム教だって、
今は歴史があるから、世界の三大宗教として定着しているが、
発生した当時は、それぞれが新興宗教だったのだ。
今、世間的に「新興宗教」と見なされているものだって、
これから年月を経て信者数がさらに拡大して行けば、
世界的な宗教として認知されるときが来るかもしれないと思う。

この『日本の10大新宗教』でも、あらゆる宗教は最初に、
「新宗教」として登場する、ということが説明されている。
そして、この本に関して私がとても良いと思ったのは、
いずれの宗教に対しても、著者は研究者としての立場を貫き、
社会の中での位置づけを解き明かすことに字数を費やしており、
宗教の内容そのものへの主観的評価は下していない、という点だ。
歴史的に社会批判の対象になった事実や出来事には触れているが、
筆者はそれを根拠にして、特定宗教を否定する記述はしていない。

ときに、個人的に目からウロコだったのは、第二章の『大本』だ。
私はかつて大学入試を受けたとき、某大学の日本史で、
『大本教の弾圧について100字以内で説明しなさい』という問題が出て、
大本のオの字も知らなかったために、大変、途方に暮れた
という忘れがたい思い出があったのだ。
この本を読むことで、その問いに関する詳細な回答を、
四半世紀を過ぎてようやく手にした思いだった。
もっとも、たった100字で、一体何を書かせたかったのか、
出題者の意図については、いっそう、謎が深まったが(爆)。

Trackback ( 0 )




ライターの森岡葉(もりおか・よう)様がこのたび、
フー・ツォンの激動の前半生から現在に至る足跡を記録した
望郷のマズルカ 激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン
を出版なさいました。おめでとうございます!
私の待ちわびた、日本では初めての、フー・ツォンを主人公とする一冊です。

この本の前に、父親フー・レイが、異国に学ぶ若きフー・ツォンに宛てて
長年にわたり書き送った手紙が、原題『傅雷家書』、日本では
君よ弦外の音を聴け』として榎本泰子氏の訳で出版されており、
フー・ツォンの原点となった家庭や、彼の育った時代、
バックボーンとなった芸術観、などについて知ることが出来ましたが、
これは飽くまで中国在住だった父親の視点による書簡であり、
フー・ツォン本人の発言を収録したものではありませんでした。

今回の森岡様の本には、そうした父親の手紙に応えるかのように、
フー・ツォン側から語られた彼の前半生、両親や弟への思い、
音楽への熱い理想や、若いピアニストへの提言、などが記録されており、
あわせて、彼が生きてきた時代を感じる上でたくさんの共通点のある、
中国の様々なピアニストたちの貴重な証言が収められています。

アリアCD様でも、この『望郷のマズルカ』と、
77年録音のフー・ツォン『ショパン:ノクターン』のCDとを
現在、取り扱っていらっしゃいます
『ノクターン』全曲は、私にとってフー・ツォンとの出会いとなった、
思い出のレコードでした。
復刻されましたことを、心から嬉しく思います。


(フー・ツォンの名を初めてお知りになった方がいらっしゃいましたら
私の、フー・ツォンに関する以下の日記もご覧頂けましたら光栄です。)
傅聰(2004年12月14日)
フー・ツォン(傅聰) 2 (2005年1月14日)

Trackback ( 0 )




たかこ(和央ようか)さんが映画初主演、ということで、
原作の『淀どの日記』を読んで予習しようと思ったら、
これが結構、昔の本なので、店頭では見つけられず難儀した。
古本でようやく見つけたので買ったのだが、
見ても古びていて、奥付によると、
昭和37年1月15日 十版となっており中身は漢字が旧字体だった。
・・・台湾の、繁体字中国語記事を見るみたいな気分だ(爆)。

そういえば、たかこさんの宙トップお披露目公演となった、
『望郷は海を越えて』も、確か井上靖の『おろしや国酔夢譚』が
土台になった話ではなかったっけ。
舞台では名前等は違ったが、大黒屋光太夫が漂流しロシアに行って、
エカテリーナ二世に謁見したり、帰国のために苦労したり、という。

宝塚の主演お披露目が大黒屋、映画の初主演は淀どの。
節目で、こうして井上靖の歴史小説に縁があるみたいで不思議だ。

Trackback ( 0 )




昨日8月4日は、1944年に、アンネ・フランクとその一家が、
アムステルダムで、市内駐留保安警察 (SD)によって
逮捕・連行された日だった。
翌8月5日には、フランク一家は、
ヴェーテリングスハンスの拘置所にいた。
このあと、四日後に、彼らは強制収容所へと送られることになる。

アンネの日記は、隠れ家発覚の三日前、
1944年8月1日の記述が最後になっている。
アンネはもともと、一日も欠かさず記録するスタイルではなく、
話したいことができたとき、空想上の友人キティに手紙を書く、
というかたちで日記をつけていたので、
それまでにも間が幾日も空いているというのは普通にあり、
8月2日~4日の記録が無いことは、少しも不思議ではなかった。
もし逮捕・連行がなければ、8月1日の次の日記は、
何日に、どのような内容で、書かれていたことだろうか。

私は、自分自身が14歳のときに『アンネの日記』に出会い、
皆藤幸蔵氏の訳文も含めて、その内容に強烈に魅せられた。
反戦や人類愛を謳った文章として読んだのではなく、
思春期の少女が、手近な紙に直筆で丁寧に綴った、心の記録、
という面で、私は『アンネの日記』を自分に近しいものとして愛読した。

その気持ちは、今もほとんど変わることがない。
月日は流れ、私はとっくにアンネの死んだ年を追い越し、今では、
アンネが痛烈に批判した、彼女の母親ほどの年齢になってしまった。
親の目で見ると、私が中学生の頃にはわからなかった、
彼女の未熟さや独り善がりも、読み取れるようになったけれども、
同時に、文章で己を表現することに賭けていた彼女の強い意志や、
それを見事にかたちにして残した彼女の才能に、やはり圧倒される。
彼女の書いた文章は、「自分の手で記録すること」の価値や面白さを、
十代だった私に、どのような作文指導よりも、
効果的に、明瞭に、教えてくれたと思っている。


以前に書いた、「アンネの日記」関連の記述は、こちら↓
光ほのかに―アンネの日記 (2006年10月27日)
「アンネの日記」(2006年1月22日)

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »