転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



歴史教科書の問題が最近よく話題に上っているが、
自分の学校時代を振り返ると、日本史の時間というのは、
三学期が始まると駆け足になってしまい(教科書が終わらなくて!)、
近現代史など教科書をやる時間もなく大あわてのプリント学習になり、
太平洋戦争以降は完全に時間切れ、あとは各自読んでおくように、
みたいなことが、小学校・中高ともに、繰り返されたような気がする。
縄文式土器や土偶の話に時間を取りすぎていたのではなかろうか。

だから、自分の使っていた歴史教科書に、戦中・戦後の日本に関して、
どのような記述がなされていたのか、これっぽっちも覚えていない。
実際、当時の先生がどういう見識をお持ちだったのか、
今振り返っても全く、見当もつかないし。

歴史授業の実態があんなテイタラクでは、
今後、どのように教科書が改善(あるいは改悪)されようとも、
結局、授業の現場でそのページが開かれる機会は無いのだから、
ほとんど関係ないじゃないか、と思うのだが、
これからは時間数倍増というような計画でも、あるのだろうか。
……って、要は自分で勉強しなかったのが一番悪いんだから、
人の尻馬に乗って教育批判をしたら、いけませんわね(^^ゞ。

先生方に熱意がなかったとか、右傾化した学校だったとかではなく、
むしろ広島だから、かなり力の入った平和・同和教育があったのは確かだ。
だがあるとき、原爆記録映画を体育館で見せられている最中に、
炭素化合物そのものの人体の場面で、友達がいきなりゲロして倒れた、
という事件があり、あとの掃除が大変だったことと言ったら、もう。
私はそのショックで、平和教育関連映画の中身が吹っ飛んでしまった。
中学から高校まで、毎年こういう特別教育の時間があったのだが、
この事件があってからは、また誰か吐かないかなあと、そればかり心配で(殴)。

もともと当時の私は、感性も理解力も、人並み外れて鈍く、
あんまり人の話を聞いていなかったのだと思う。
私のような生徒に限っては、愛国教育だろうと反戦教育だろうと、
全然、なんの成果も上がらなかった、というべきだろう。
聞く気のない者・能力の低い者を教育するのは、かくも困難なのだ。
っていうか、その、本当に申し訳ありませんでした。

だが、ろくに勉強していないにも関わらず、
私の受けた大学のひとつは、日本史は「近現代」から出題、
とはっきり赤本に書いてあるような学校だった。
習ってもいない近現代史がメインの出題範囲、
と言われて、私は困ったものだった。
「入試前一週間・最重要シリーズ」みたいなポイント本を買って、
姑息にやって行ったが、全然通用しなかった。

今でも忘れないのだが、第一問目が、
『沖縄の歴史について200字以内で論じなさい』。
沖縄返還のとき小学校が休みになって嬉しかったことしか、
咄嗟に思い出せず、これはあとにしようと、次の問題を見たら、
『大本教の弾圧について100字以内で説明しなさい』。
……………。

大本教って、それ、なんですか状態。
でも空欄のままだったら零点になるから何か書かねばと思い、
私は、『キリスト教の弾圧』についてだいたい100字で書き、
『キリスト』とか『宣教師』とか『織田信長』あたりを、
消しゴムで消して、『神社神道』『大本教』『明治政府』とか、
適当な語句に書き換えて、見た目だけそれらしく作った。
その学校には合格したのだが、あれってバレなかったのかな???

(んなワケねーだろっ)

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