転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 

傅聰  


私がポゴレリチの次に好きなピアニストというと、
迷うことなくフー・ツォンの名前を挙げる。
これは言うまでもなく、私の好みの順序に過ぎず、
フー・ツォンとポゴレリチの間の優劣を論じたい、
という意図など全くないことを、念のためことわっておく。

1934年上海に生まれ、母国での苦学ののちポーランドに学び、
アジア人初のショパン・コンクール入賞者となった彼のことを、
日本の若い世代で知っている人は、もう、あまりいないと思うし、
彼のディスクを持っている人も少ないのではないかと思う
(と言うと、とっくの昔にすべて終わった話のように聞こえるが、
彼は存命だし(爆)、70歳になる今も世界的ピアニストのひとりだ)。

私とフー・ツォンの出会いは1980年で、この人の、
ショパン『夜想曲全集』のレコードを偶然に買ったことだったが、
彼の長いキャリア全体から考えれば、これは、
決して早い時期の巡り会いではなかった。
私はそのとき、フー・ツォンの名前をよく知らず、ただ、
アルゲリッチやアシュケナージやポリーニでない、
もうひとつ、何かシブい演奏家のが聴きたいな、という興味から、
自分にとって全く初めてのピアニストのレコードを選んだのだ。

そこでのフー・ツォンの演奏は、私にとっては、
「目から鱗が落ちる」、・・・の正反対で、
「目からコンタクトが落ちた」(!)ようなショックだった。
今まで、自分なりにショパンが見えているつもりだったのに、
突然、私の目の前の景色が、がらりと変わってしまったのだ。

それで、あたかも、もっとよく見ようと対象に顔を近づけ、
微細な部分を、意志的な集中力を持って観察するかのように、
私は、一心に彼のレコードに聴き入った。
フー・ツォンの演奏は、私がそれまで思いも寄らなかった箇所に、
注意深く丹念な光を当てて、別世界を開いて見せてくれ、
自分が、畏れ多くもわかったつもりでいた事柄が、
表層的なものに過ぎなかったことを、静かに指摘してくれたのだ。

実は日本ではこの後、彼のレコードやCDは徐々に手に入らなくなり、
やがて国内盤は皆無になってしまうので、
『彼のレコードをあのときありったけ買っておけばよかった!』
と後年、私はひどく後悔することになる。
が、当時、私は高校に入ったばかりで、あまりにお金がなかった。
前述のような動機で二枚組LPを買うなどとは、
16歳だった私にとって、清水の舞台から転落した的な買い物であり、
毎月毎月そんなことができる生活もしていなかったのだ。

その後、私は細々と輸入盤レコードの店で彼の録音を買い、
来日公演も、これまでのところ運良く一度だけ聴くことができた。
また、文学者・翻訳家だった父親フー・レイがかつて書いた、
『君よ弦外の音を聴け』の日本語訳が今年になって出たことも、
長年のファンである私には願ってもないことだった。
この本を読み、彼の演奏のどこに自分が惹かれるのか、
改めていろいろと考えてみる機会が得られたからだ。
それらについては、また場を改めて書いてみたいと思う。

更に、私は最近になって、フー・ツォンの録音の復刻版を、
手に入れる方法を新たに見つけた。
イギリスのメリディアンという会社からこれらが出ていることは、
以前から知っていたが、日本に代理店がなく諦めかけていたところ、
アリアCDから購入できることが、ネットで偶然、わかったのだ。

また、台湾で出ている彼のCDを輸入代行してくれる、
ノマドという会社があることも最近知った。
ここに出ている夜想曲全集のCDは、多分、私が初めて買った、
彼のレコードと同内容のCD版だろうと思う。

これらを首尾良く手にいれることが出来たら、
私はフー・ツォンについてのページをひとつ書いてみたい、
と、今、考えている。
日本での知名度が低くても、彼が現代最高の演奏家であることを
私は一度たりとも疑ったことがないし、
ユンディ・リやラン・ランが注目される遙か以前に、
奇蹟のように見事な中国人演奏家がひとりいたことを、
ファンの目で記録しておくことが出来たら幸せだ、と思うのだ。

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