転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



奇跡のピアニスト 郎朗自伝』を読んだ。
この父子、特に父親のほうのエキセントリックさ加減については、
既に某氏がサイトBBSで教えて下さった下記記事で知っていたが
『奇跡のピアニスト 郎朗(ラン・ラン)自伝』を読む
実際に綴られた順番に読んでみると、全く圧倒されてしまった。

本の帯にも書いてあるように、
『「ナンバーワン」は父と母の口癖だった。』
というのが、ラン・ランの育ってきた環境だった。
今の日本では、他人に勝つことによって社会的地位を得る、
という考え方は必ずしも好まれないが、仮に、
「ナンバーワンよりオンリーワンこそ価値がある」
という育てられ方をしていたら、今のラン・ランは無かった。
息子の才能を確信し、頂点に立てと教え込み、
自らも息子のためにすべてを捧げるような両親の存在があって、
初めて、今日「天才」と呼ばれるラン・ランが出現したのだ。

だが勿論それは、親の一方的な好みや思い入れではなかった。
少年時代から彼がいかに非凡な少年であったかは、
この自伝を読めばすぐにわかる。
ベートーヴェンの曲は、怪獣のあばれる映画音楽だと考え、
モーツァルトは数小節ごとに新しいキャラクターを登場させる
ミニドラマを音楽で作ったのだと感じ、
父親の弾く二胡の調べを聴きながら、
トムとジェリーが道に迷って困っている様を思い浮かべていた頃、
このあまりにも多感なラン・ラン少年の一番の望みは、
「幼稚園に行かなくてすむように」ということだった。
そう、まだ幼稚園、だったのだ(汗)。

バッハはいつも神と対話している。
ショパンは、見つけることなどできない愛を追い求めている。
ベートーヴェンにとって音楽は生死にかかわる重大問題。
大きな家にひとりきりでいるチャイコフスキーは、
涙を流しては曲を書き、曲を書いては涙を流す。
……こんなことを空想していたときだって、
幼ラン・ランくんは、まだ一年生になったばかりだった(汗)。

マスタークラスを受講し、ピアニストの激しい感情に触れ、
ハイドンの歓喜、シューベルトの叙情主義、
ブラームスの繊細さを感じ取ったとき、
ラン・ラン少年は6歳半(汗)。

「ナンバーワン」だけを狙って参加したコンクールで7位に終わり、
納得できず激昂するラン・ランに、恩師の朱先生は、
彼の意欲を高く評価し、悔しい気持ちに理解を示したうえで、
「芸術家の人生には失望がついて回ることを理解しなければだめ」
「それは避けられない。否が応でも乗り越えなくてはならない」
「負けるたびに動揺していたら、次の準備がもっと難しくなる」
「現実を受け入れる訓練をしなければならない」
「痛みを感じれば感じるほど、強くなれる」
等と温かく諭している。
少年の心に、その教えは深く優しく染みいる。
このとき、ラン・ラン、7歳(大汗)。

「一歩ずつ進めば夢はかなう」とサブタイトルに書いてあるのだが、
それは「誰でも、どんな夢でも」という甘い前提ではない。
特殊な才能を与えられて生まれた子供が、
両親や周囲の大人の支えのもとで自分の天分と真摯に向き合い、
常に高みを目指して一歩ずつ進む意志を持ったとき、夢が叶う、
……というのが、この本で描かれている世界だ。

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