主人が読んでテーブルの上に置きっぱなしにしていた、
講談社現代新書《モナ・リザの罠》西岡文彦・著を、
何気なく手にとって読み始めたら面白くて、一気に読み終えた。
名画の代名詞とも言えるほど有名なモナ・リザに関して、
そもそも絵のモデルは誰なのかという問題や、
これが実は、人物画や風景画というジャンルが
成立する以前の作品であるということ、
この絵の左右両端が切断されたものなのではないかという噂、
等々を取り上げて、改めて検証した興味深い一冊だったのだが、
これを読んで私は、本分に関連して、思い出したことが様々あった。
私は十歳前後の頃、雑誌に付録でついていた、
《モナ・リザ ジグソーパズル》を持っていたのだが、
当時、パズル類が割と得意であったにもかかわらず、
やってみたら、モナ・リザを元通りにするのは非常に難しいものだ、
ということを初めて実感した記憶があるのだ。
それまでの私の認識では、モナ・リザという絵の構成は、
顔や手が肌色、服と髪は黒、背景は山とか川、
というふうなもので、そのパーツの色や形を基準に
パズルは簡単に組み立てられるように思っていたのだ。
が、実際にやろうとすると、そんな単純なものではなかった。
例えば肌の色ひとつにしても、部位によって微妙な濃淡があり、
額や頬、首、そして手と、肌のキメの細かさが違い、
手指のひとつひとつまで、明瞭さが異なっていて、
とてもじゃないが「肌色」とまとめられるようなものではなかった。
また、全体に黒っぽいドレスを着ている、
というイメージしかなかったのに、
実際にパズルの一片一片を見てみると、それらにはやはり濃淡があり
生地の織られ方の違いや、繊維の流れまでが、
信じられないほど精緻なタッチで描き込まれていたのだった。
黒色をしたパーツひとつについてさえ、
ほかにも同じような色のそっくりなパーツがたくさんあるのに、
どれもこれも色合いが微妙に違っていて、
その色彩と周囲とのつながりには明らかな必然性があることに
気づいて、私は、大いに悩んだ。
なんらかの必然性があるのはわかったのだが、
それがどこにどう繋がるべきものなのかが、
私の感覚では容易に解き明かせなかったからだ。
そして、最後にそれがぴったりの場所に収まってみれば、
なるほどこれはここにしかあり得ない色とタッチだ、
ほかの箇所とは絶対に違うのだ、ということが感じられ、
計算されつくした絵画のあり方を垣間見た思いがしたものだった。
勿論、小学生の私に、このような語彙はなかったから、
そのとき感じたことは、つまり
『すごーーー・・・・』
という一語に尽きたわけだけれども(^_^;、
子供心にも私は、そこに使われている色彩の多様さと微妙さに驚き、
絵画として眺めたときにあの「モナ・リザ」であるためには、
実際には一目では認識できないほどの色が、
想像を絶する細やかさで重ねられているのだ、
ということを知ったのだった。
上野の国立博物館で《日本モナ・リザ展》が行われたのは、
この本によれば1974年4月だったということなので、
私が当時持っていたのは、多分、
小学館《小学四年生四月号》あたりの付録パズルだったのだろう。
出来上がったパズルを改めて眺めて、小学生の私は、
モナ・リザが、どうも、普通の美しい女性には思えず、
見事な絵画なのに、どこか不気味だ、と感じられたものだったが、
そのことについても、この《モナ・リザの罠》で詳述されていて、
長年の漠然とした印象について、明瞭に解き明かされた思いがした。
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