転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このところ、姑の病室に座っている間、時間だけはあったので、
『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫・訳、光文社)全5巻を読んだ。
辿れば高校1年生のときに新潮社版のを買って、三分の一も読めず
(三兄弟と父親以外の、人物関係がどうしても把握できなかった・呆)、
今年の初め、新訳が出たのだからと購入して、また一巻の途中で挫折
(少しずつ読んでいたら、最初のほうの設定が思い出せなくなった・爆)、
これはちょっと、腰を据えて一気に読まないと駄目だなと思い、
今回、毎日毎日、病院で何時間も過ごす間に読むことにした。

本編を読み終えてから、もう一度、
作者による序文と、訳者・亀山氏による解説とを改めて読むと、
つまりこの小説は未完のものだったのだ、ということがよくわかった。
当初の構想としては、三男アレクセイ・カラマーゾフの一代記を、
「第一の小説」「第二の小説」のふたつにわけて書く筈だったのが、
「第一の小説」を書き終わった時点で作者が急逝してしまったために、
「第二の小説」は、全く書かれないままで終わってしまった。
つまり、現在『カラマーゾフの兄弟』として読み継がれているのは、
その「第一の小説」の部分だけなのだ。

道理で、一代記どころか、この話はほんの数日間の事件を書いただけだし、
主人公という割には、読み終えて鮮烈だったのは、
少なくとも私にとってはアレクセイではなかった。
彼は物語のほとんどの場面に存在してはいたが、
彼自身のドラマがあったと言えるのは、
おそらく、尊敬するゾシマ長老が亡くなったときだけで、
あとは終始、淡々と、アレクセイらしいアレクセイのままだった。

エピソードの多くは、解決しないまま投げ出されていて、
終盤で突然、悪に目覚めちゃったリーザちゃんはどうなるの?とか、
思わせぶりなことをいっぱいやってた早熟少年コーリャは、それで?とか
ミウーソフさんやホフラコーワ夫人は、これっきりスか?とか、
カテリーナさんは、それで解決したんでしょうか?とか、
様々な疑問が、私には残った。
この「第一の小説」でとにもかくにも決着がついたのは、
スメルジャコフの物語だけだったのではないだろうか。

「第一の小説」に関する限り、私にとって最も印象的だったのは、
長男ドミートリー・カラマーゾフだった。
三兄弟で彼だけ母親が違っていて、彼の前半生は数奇で躍動的であり、
愛する女性を父親に取られそうになる苦悩も、狂おしいものだった。
信仰の問題や、「父殺し」の潜在的な心理、
心の中にある神と悪魔の対比、『ファウスト』の連想、
などなど、哲学的な側面を除外して考えたら、
単純には、ドミートリーの一代記のほうが面白かったのでは、
・・・とフトドキな読者である私は、読みながら、つい考えてしまった。
極東のテキトーなオバちゃんの読書なんて、こんなもんです(爆)。
ドストエフスキー先生、すみません。
これから、もう一回、読み直して、出直して来ます。

・・・・・・と思っていたら、こんなのが、あった。
宝塚歌劇雪組『カラマーゾフの兄弟』
配役を見ると、主演男役の水夏希が演じるのは長男ドミートリーだ。
ほれ見ろっ。やっぱり彼が一番印象的だろうが!
熱くワイルドなドミートリーは、きっと水くんには似合うと思う。
だが話のほうは、短い上演時間では、きっと『犯人は誰だ!』がメインの、
恋愛サスペンスにならざるを得ないだろう。
だって、次男イワンの取り憑かれたような4時間朗読があったり、
ゾシマおじーさんの若かりし頃の尋常ならざる体験を入れたりしたら、
それこそ何日にもわたって上演しないといけなくなるものな(汗)。
これはこれで、とてもタイムリーで、楽しみではあるけれど。

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