元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

旅日記 ボローニヤ

2010-06-27 | 仕事について
朝、ホテルでタクシーを呼んでもらったら、白タクが来て大いに驚きましたが、私たちは結局体裁を繕わない実利主義的なチェコ流に馴染めずに、イタリアへ移動することになりました。
皆のプラハの印象が悪かったのは、他にも原因があって、食事が高い割りに美味しいものではなかったことと、チェコの貨幣コルナを用意していたにも関わらず、ユーロいたるところで要求されたこと、ホテルのWi-Fiが繋がりにくかったことも原因になっているような気がします。
松本さんが金属探知機を何度通っても、ブザーが鳴り、映画「タクシー」の刑事の上司のような人が「コンニチワッ!トケイ、トケイ、ベルト、ベルト」と現れた時は可笑しかったですが、空港の設備は良く、Wi-Fiはつながりましたので、各人プラハ空港内では快適に過ごしたようでした。
ボローニヤへは、チェコ航空のプロペラのとても小さな飛行機で、すぐ下に残雪の山々が続くアルプスを越えて行きました。
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どんより曇って、蒸し暑いプラハでしたが、ボローニヤは気温こそ高めでしたが陽の光が明るくカラッとしていました。
松本さんのイタリアを長めにという希望、オマス工場見学などもあって、今回の日程の中で一番滞在日の多いのがこのボローニャですが、旅も終盤に差し掛かっていると思うと、とても寂しい気分になりました。
日程は早く過ぎ去っていきましたが、あまりにも多くのことを経験していて、ベルリンを歩き回っていたのが、とても前のことのように感じられました。
タクシーでホテルへ向かい、チェックイン後早速街を歩き始めました。
お昼の休憩時間中で、目当てに行った多くの店が閉まっていました。
イタリアは、12時から4時頃までの非常に長い昼休みが厳格に守られていますので注意しないといけません。
日本人の感覚で考えると、人が一番活動している時間帯で、大きな機会損失のような気がしますが、イタリアの人たちはそれに合わせて活動しているのだとすぐに分かりました。
夕方になると、街中のそこここから、暑いのにキチンとジャケットを着て、たばこを指にはさんだマルチェロ・マストロヤンニのような伊達男たちが出てきました。
年配の男たちは、髪を濡らして後ろに撫で付けるマルチェロ風、若者は坊主頭にティアドロップ型のサングラスという(誰?)のがイタリア定番のスタイルでした。
イタリア通のル・ボナーのお客様Fご夫妻から聞いていた、ホテル近くの食堂トニーの店で夕食にしました。
今回の旅の中の食事で、一番美味しかったのは、このトニーの店で、それは皆同じ意見でした。
本当に、あんなに美味しい料理はそうそう食べられるものではなく、トニーの店に行きたいからボローニヤにまた来たいと思うくらいでした。
その後食べた、ボローニヤ料理はどこも美味しく、イタリアの友人曰く「ボローニヤは食べに行く街」というのは本当でした。
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