元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

言葉

2014-09-16 | 実生活

私が言葉を信じていないのではないかと誰かに言われて、それがことあるごとに頭の中に現れてきます。

そのたびにそうなのかもしれないと納得して、だから万年筆に惹かれたのかもしれないと思っています。

そう言えば、他人から優しい言葉をかけられたいとも思わないし、誰からに優しさを伝えるなら月並みな言葉だったら言わない方がマシだと若い頃は思っていました。

さすがに大人になって(と言っても最近になってからだけど)からは、心から言うべきことは言っているし、月並みな言葉だったとしても、思いやりの気持を込めて言えるようになったと思っているけれど。

言葉を信じていなかったからか、もともとだったか分らないけれど、口下手というか、口の遅い男になってしまった。

例えば人から何か嫌なことを言われた時に、それに応じて反射的に反撃できる人がいるけれど、そんな頭の回転の早い人はすごいなと思います。

私は何かモヤモヤして、返す言葉も思い当たらないので、無表情で相手を見返すだけ。

その後、思い出してムカムカすることもあるけれど、そういう感情も風呂に入ったら、文字通り水に流すように忘れてしまう習慣がついてしまって、言葉の遅い男がストレスを溜めずに元気に生きていく頭の構造になっていた。

でも私の今までの経験において、言葉は言えばよかったという後悔よりも、言わなければよかったという後悔の方が多いような気がします。
どうしても言い足りなかったら、言い足すことはできるけれど、一度自分の口から出た言葉は自分のコントロール下を離れてしまうので。

いい歳して恥ずかしいことだけれど、ここ数年の自分の一番の成長は、言うべきことは場を止めてでも、ちゃんと言うようになったということだと思います。

多くの大人にとって何を言っているのだと思われるかもしれないけれど、それは私にとっては目覚しい成長だと思っていて、これによってコミュニケーションが人並みにとれるようになったと喜んでいる。

周りの仕事仲間、お客様など言葉に長けている人が多く、皆をすごいなと思って尊敬しているけれど、息子には私の遅い口は遺伝していなくて、それはとてもよかったと思っている。


2 コメント

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言葉にならないこと (アルファのK)
2014-09-20 10:16:50
感銘を受けた随筆「『昭和』を送る」中井久夫著から「言葉」についての記述を引用してみます。

---私たちは10の7乗(千万台)の色を区別しうる。
---色の定義を狭く取れば圧倒的多数が「非定型」や「分類不能」になる。広く取れば、境界領域がなくなって「これが赤かよ」が赤になってしまう。
---どう線引きしても名を持たないものができてしまう。
***言語は感覚の過剰を「減圧」するためにあると云わないまでも、言語の大きな機能の一つがそれである。

そんなこんなで、本当の「愛用している万年筆」がどれか決めかねて、1,000字の原稿が書けずに、残りの10日が過ぎてしまいそうです。
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待ってます (Pen and message.)
2014-09-28 10:28:56
アリファのK様
確かに言語にできないもどかしい感覚ってありますね。一番愛用している万年筆はそれぞれ全てが愛用だと思うので、なかなか迷うところですね。
でもお待ちしていますので、よろしくお願いいたします。
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