元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

人生は短い

2010-08-15 | 仕事について
病気でない、立派な大人の人が仕事もせずに家にずっといるという話をたくさん聞きます。
家や自分の世界に閉じこもっていても、その生活は何も生み出さないし、未来は開かないと思いますし、もしかしたらご本人も気付いておられるのかもしれません。
でももしかしたら、いつか誰かが手を差し伸べてくれて、今の生活から抜け出せたり、何とかしてくれる。あるいは自然と道が開けて人生が変わると思うのは、あまりにも自分の人生を人任せにしている親御さんたちに依存した生き方です。
誰かが助けてくれるとしたら、自分の人生を良いものにしようと努力している人で、でもそういう人は誰かが助けてくれるなんて思っていないかもしれません。
家でじっとしている人は、そうしている間も人生の残り時間が砂時計のようにサラサラと着実に減っていることや、無駄に過ごしてしまった1日の大きな損失に気付いていないのかもしれません。
家から1歩も出ずに、インターネットの掲示板などを見ていると、まるでそれが世界の全てのように思われてしまいますし、世間と繋がりを持っているように思いますが、実はその多くは、何の役にも立たないもので、世界のどこにも存在しない物事の情報が交わされているだけなので、それによって何も変わらないのです。
私も高校3年間、学校には行っていましたが、ほとんどの時間部屋の中でレコードを聞いていて、それが世界の全てだと勘違いしていました。
その時間で得られたものなどなく、ギターも全く上手くなりませんでした。
大学を卒業してからも就職せずにアルバイトをして過ごしていましたが、一人になった時に将来の自分を考えると暗い気持ちになりましたが、そのうち何とかなるだろうと考えないようにしていました。
自分の人生を人任せにして、親や社会に依存した生き方で、時間の大切さや、人生の短さを知らなかったのだと思います。
子供のうちは親御さんや保護者が養ってくれますが、親御さんも年をとって、いずれ仕事もできなくなります。
僅かな年金は、今まで働いてきた親御さんに支払われるもので、もう少し親御さんに楽をさせてあげなければ気の毒です。
仮に楽に暮していけても、そのまま何もせずに、生涯を家に閉じこもったまま終えることが気の毒でなりません。
自分の現状を、社会や国、環境のせいにせず、親御さんに依存せずに生きていかなければならないと多くの人に思ってもらいたいと思っています。

12 コメント

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精神的な助け (達哉ん)
2010-08-15 15:24:55
閉じこもっている人の多くは、何か精神的にしんどくて仕事をする気をなくしていたり、あるいは欝状態であったりするのではないか、と思います。そういう人の中には、むしろ人生の早い終末を望む人もいて、今の自分の世界から抜け出す勇気をもてないという人が多いと思います。

そういう人が一番欲しいのは多分物質的な援助ではなくて精神的な援助、自分の持っている荷物など軽々持てると持ち方を教えてくれる人ではないでしょうか。「誰かが助けてくれる」と思っている人には、精神的な助けを。そうでなければ、誤った方向へと自分のステージを変えかねませんから・・・。

いじめでひきこもり、結局勉強していじめっこたちと違う学校に行った人を何人か知っています。もちろんそれはいじめが悪くて、それから逃げる手段としていじめをとったわけですが、結局のところ、その人達は小学校時代の友人との思い出などが少なく、気の毒です。私もいじめを受けたように感じたことがありましたが、それは自分を変えていくことで自然となくなりました。今多くの友人が精神的に支えてくれるのもこのことに端を発すると思っています。

精神的な助けで、逃げない方向への変化を起こせるだけの勇気を与えること、それが「家にずっといる人」へできることではないかと思います。
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あくまでも (つきみそう)
2010-08-15 23:58:18
 支援なのです。支えたすけることはできても、その人を何とかすることなどできません。やはり主体変容、その人自身が変わらなければなりません。

 希望の持てない世の中だから若い人が・・・・・などという論調もありますし、実際そういう世の中ですけれど、身の周りのほんの小さなことにも喜びや価値を見いだすことは、誰にとっても可能なことであると思います。そのことに気づかせてあげたり、実感させてあげる手助けをしてあげられる人でありたいと思います。
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価値観の相違 (b-wind)
2010-08-16 10:03:54
特定のどなたかへのメッセージなら構いませんが、一般論として語られるのは気分の良い物ではありませんね。

家にずっといる人が何も考えずに生きているとでも言うのでしょうか?
そしてそれを「損失」と決める権利は誰にあるのか?

仮に後に残念だと思う事であっても自身で決めた事ならば後悔などしません。

確かにそういった残念な人も居るのかもしれませんね。
しかしそういった人の価値すら推測で物を言われるのは不愉快です。
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依存しない生き方 (penandmessage.)
2010-08-16 16:52:05
達哉ん様、つきみそう様、b-wind様
ありがとうございます。
近親にこのような人が何人かいます。周りは手を差し伸べていますが、本人がその気になって行動を起こさないと何にもならないのと、動いたとしても長く続きません。
私も本人が好き好んで、自分の財力でそうしているのなら本人さえ良ければいいと思いますが、それが年老いた親に依存したものであるため残念に思っています。
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悲しいことですが・・・ (kammy)
2010-08-17 14:17:22
いつ 自分や身内や友人がそうならないとは限らないですね
脳と身体のバランスがくずれるとそのような状態になるような気がします
何も考える事なく ただただ「楽しい!」と思える事があるといいなあと常々思います
かつてやってましたアイスホッケーに勝るものは今だにありません
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Unknown (b-wind)
2010-08-17 17:07:53
>それが年老いた親に依存したものであるため残念に思っています。

吉宗さんがそう思われるのはご自由に。
だからといってそれらに該当するすべてを「気の毒」と表現されるのはやはり不快です。
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自活と自尊心 (たまさ)
2010-08-17 23:26:08
難しい問題に切り込みましたね。
私の家族にも似たような状況の者がいましたのでいろいろ考えてきました。

きっとその年老いた親御さんも苦労され悩んでおられる事と思います。心配と不安といら立ちがある事でしょう。

状況は千差万別ですし、そうなった背景や経験も、個性も、何を幸せな人生と考えるかも人それぞれでしょうから、一概に語れない問題ですね。
人によっては本当につらい経験をして傷を受けて、でも周囲はもちろん本人もその事に気づいていなかったり、どうしてよいのか分からず対処が下手だったりすることは多いと思います。今の時代はだれにとっても生きづらい時代ですね。対処しにくい危機の時代と表現されていました。
でも考えようによっては、辛い状況で子供を失った親の立場の人から見たら、生きていて働きかけられる子供がいることは幸いなこととさえ言えるかもしれません。

それでも、やはり人として自活して自分の生活を築き、少しでも人のためになる事ができるならば喜びになりますし、それが自尊心や幸福につながるのでしょう。
物事が起こっている本当の原因を知ることと、希望が大切なように思います。
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希望の種をまくこと (つき)
2010-08-18 11:11:55
わたしは6年ほど前に半年ほど引きこもっていたことがあったので、
他人事とはおもえない、そんな感覚になりました。

5年間ほどの激務(わたしにとっては、ですが)で、こころもからだも悲鳴をあげました。
ある日、起き上がれなくなったのでした。締め切った部屋で一日中過ごしました。太陽の光を浴びるのも辛かった。

その当時、妹と暮らしていたので、食事や身の回りのこと、今思い返せば、どれだけ助かったかわかりません。
けれど、その渦中にいるときはそんなことを感じることさえできないくらい、こころが病んでいたのでした。

わたしの場合は、実家暮らしでなかったため、必然的に経済的な面をどうにかしなければならなかったことと
父が闘病生活にはいったこともあり、そうしていられない状態になったことが社会に一歩を踏み出すきっかけになったのだとおもいます。

もし、引きこもっている状態を許されつづけたなら、わたしはずっとそのままだったかもしれないとおもったりします。
一時的にせよ、長期間にせよ、それほどあやうい場所にいるのがわたしという人間なのだと身をもって知りました。
それまでのわたしは、頑張ればなんとかなる、なんとかならないのは努力が足りないからだという気持ちを
自分にも他人にも向けていましたから。

自分の体験が役に立つならと、お手紙をかくボランティアをしていました。
そこで感じたのは、想像以上に『こころの闇』にとらわれている方が多いこと、
そして、その方たちを本当の意味で救うことができるのは、他ならぬ『当事者』自身であること、
まわりにいるわたしたちにできるのは、ただ、そばで見守ること、
そして自分自身が精一杯幸せに生きて、その方たちの『希望のお手本』になることではないかと、いまのわたしはおもっています。
引きこもり続けるというのは、傍目から見ると楽な部分もあるのかもしれませんが、実際には本人にとっては幸せな状態ではないはずです。特にどっぷり渦中にいるときは全く光が見えないことも多いです。生きているのがイヤになることもありました。
そういう体験をした自分や引きこもっている人を全て擁護するわけではありませんし、ご家族の心痛を無視しているわけでもありませんが、当事者だったひとりとして、こういうこともあるのだと知っていただければとおもいました。

いろいろな人や状況に助けられたわたしはたまたま運がよかったのだとおもいます。
本当にありがたい人生だなと感謝しています。

吉宗さんのお店で幸せを感じられるようになった今のわたしはほんとうにしあわせものだとおもっています。

久々だというのに(なんだかへヴィな)
長文コメント失礼いたしました。

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Unknown (つきみそう)
2010-08-18 22:25:50
 私はどれだけ仕事が立て込んでも過労死しない、精神的に追い詰められても起きられなくなったりしない、という変な自信を持っています。

 そのような状況になってしまう人たちは皆、痛々しいほどにまじめで、前向きなのだと思います。私は正反対で、あぁしんど、もうヤメや、となるポイントが早いのです。だから、とことんしんどくならない。体をこわすほど働くなんてことは、絶対にできません。そんな根性、かけらほどもないからです。

 引きこもってしまったりする人たちは、実に純粋で、前向きなのだと思いますし、そのことを本人にうまく伝えてあげて、その状況とは違う世界に出てくる助けになれたらいいなぁ、といつも思っています。そうでもしなければ、こんないい加減に生きている人間、神様が許さないでしょうから。
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Unknown (penandmessage.)
2010-08-20 15:15:42
皆様
ありがとうございます。
つき様はお辛いご自身のお話をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。
おっしゃるように当事者の方の努力しか、その状況から脱する方法はなさそうですね。
周りにいる家族としての焦りや心配ばかりで、一番辛い当事者の気持ちを理解していなかったですね。
私もつきみそう様(失礼しました)と同じように楽観的に考えてしまう方です。
本当に真面目で真剣に物事を考える人の気持ちが分からないのかもしれません。
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