羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

酷暑お見舞い

2007年08月16日 08時05分13秒 | Weblog
これほどの暑さを今まで経験したことがあるだろうか。皆さんご自愛のほど!
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Sonata 悲愴

2007年08月15日 19時08分31秒 | Weblog
 盆休みはいい。
 だって、ピアノが弾けるもの。
 本当に久ぶりだった。
 春は、母の病気で弾くことが出来なかった。
 その後は、何かと落着かなくてピアノどころではなかった。
 
 8月に入って、片付けも一段落ついたところで、弾く気力がようやく出てきた。その上、昨日のブログで清水寺の庵で弾いた話を書いたことで、ベートーベンのソナタ「悲愴」を弾きたくなった。
 まず、第二楽章から鳴らしてみた。
 はじめは音もよく聞こえなかった。30分するころには、ようやくピアノの音として耳に響いてきた。
 それから第三楽章、そして第一楽章へ。
 そして全楽章を通してみた。
 
 指が動かないことや、コントロールがきかないことなどは、想定内の出来事だからおどろかない。
 
 おどろいたことは、あんなに難しいと思っていた楽曲の内容が、すらすらと意味がとれるようになっているのだ。

 そして以前だったら、途中でぐらついてしまうところが、踏ん張る感覚がもてるのだ。
 いやいや、テクニックは落ちているのに、解釈はまったく楽になり深くなっている。これが歳を重ねるということなのかもしれない。

 数年前に、グランドピアノを手放して、ドイツ製のアップライトに買い換えた。なかなかいい音が出る。
 しかし…しかし…
「シュタンウェイとは言わないけれど、グランドピアノがほしい」
 つい口走ってしまった。
 
 グランドピアノのアクションは、重さに逆らわない。弦は水平に張ってあって、鍵盤を打つとハンマーが真上に上がって弦を叩き、ハンマーの重さで鉛直方向に落ちてくる。その上下動を感じながら演奏をすることになる。
 
 ペダルもダンパーが上下に動くので、微妙なハーフペダル(半分だけ踏み込む)やそのまた半分のペダルやビブラートペダル(貧乏ゆすりをもっと細かくするような踏み方)が自由に出来る。
 
 上下方向の動きは重さが生かされるので、自然なムーブメントのなかでピアノとの関係を持ち続けることが出来る。

 一方、アップライトピアノは、斜めの方向から働きかえることになる。
 弦はグランドピアノの水平に対して垂直方向、つまり鉛直方向に張られている。
 ハンマーは啄木鳥のような鉛直方向に対して叩くことになる。したがってハンマーが重さで落ちる感覚が掴みにくいのだ。ペダルも同様の方向にある。

 愚痴をいっても仕方がない。
 そんな思いは、テクニックよりも作品への理解度が、増していることの証明だった。15・6歳の時代の理解と同じでは困るわけだが、久しぶりに取り出して新鮮だったのかもしれない。

 いずれにしてもこの酷暑では、盆栽の水遣りは一日に2回。他の人では鉢の中の様子を知らないので、頼むことが出来ない。
 立ち直ってくれたとはいえ、腰に爆弾を抱えている母のこともあり、旅行は当分出られそうにない。
 そんなときに、ピアノがあってよかったとつくづくありがたいと思う。
 やっぱりグランドピアノがほしいなぁ~。でも、置き場がないのよね、ガッカリである。
 まっ、いいか。贅沢は敵だ!? 
 違うかなぁ~。贅沢は素敵だ!?

 その前に、しばらくはピアノを弾く時間がとれることに感謝しよう。
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2007年08月14日 08時41分38秒 | Weblog
 滝のようだった。
 それも高いところから幅広く落ちる滝のようだった。
 東山全体が蝉声に包まれている。
 一瞬たじろいだが、その蝉声に浸ってみた。
 
 質素な庵の引き戸をあけ、室内に入る。
 江戸期の建物は、東山の山懐にせり出している。
 滝の勢いは衰えることなく、真昼の空間を音で占領していく。

 目を閉じて聞きいってみる。
 命が弾けている。
 短い生を恨むことなく憎むことなく、力いっぱい鳴きあかす。
 浴びる快感は、暑さを忘れさせてくれる。
 滴る汗。
 団扇の風が熱い。
 それがまた快感。

 その庵の玄関脇には、3畳間があった。
 そこには、建物に似つかわしくない黒塗りのアップライトピアノが置いてある。
 ピアノの蓋をあけ、手にはまったばかりのベートーベンのソナタ7番を弾く。
 負けじと蝉声は、高鳴ってくる。これぞ合奏なのである。
 余りのうるささに、庵の主が顔をのぞかせた。
 
 ソフトペダルを踏みながら、ソナタ・悲愴の第二楽章に変えた。
 それでも蝉声は、さらに勢いを増す。

 高校一年の夏休みのこと。
 京都清水寺の夏は、蝉とともにあるといっても過言ではない。
 それから、毎年、同じ季節に宿を借りて古都を巡った懐かしい日々。
 40年以上も過ぎた今になっても、蝉声によって呼び起こされる旅の記憶がある。
 鬱蒼と茂る木々の匂いと蝉声、そして利休が愛した名水の味。
 
 写真は、数年前、見つけた蝉のペンダント。
 裏側にも細部に真実が宿るような彫刻が施されている。
 瑪瑙の色を生かした玉の国・中国の技である。
 
 私にとってこれを身につけることは、懐かしの古都を身につけること。
 過ぎし日の”青春夏”をリアルに身につけることに他ならない。
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胡蝶の夢は悪夢?

2007年08月12日 19時38分45秒 | Weblog
「哺乳類は、紫外線を見ることができない個体だけが進化で生き残ったかも知れません」
 そういう仮説を立てて研究しているのは、総合研究大学院大学・蟻川謙太郎教授だ。
 8月12日(日)日経新聞朝刊「かがく Cafa」の記事に目がとまった。

 蝶は紫外線を感覚できるという話は有名だが、こうした昆虫だけでなく魚類や爬虫類、鳥類までほとんどの生物が紫外線領域の光を見ることが出来るのだそうだ。

 ではなぜ、哺乳類は紫外線領域を見ることが出来ないのか。
 その一つが「見ることができない個体だけが生き残った?」仮説である。

 概略はこうだ。
 哺乳類の祖先は夜行性だった。そのために色覚を感じる能力が大きく失われたという説がある。
 そこで、人類につらなる霊長類では、森のなかで木の実を見つけるために赤と青を見分ける能力は取り戻した。
 しかし、寿命の長い生物では、癌を引き起こす可能性が大の紫外線を見る能力が復活した個体は進化の過程で淘汰されたのではないか、というもの。

 害を蓄積してリスクを高めないことが生物にとっては大切だった。
 そこから「紫外線が目の奥に達しない個体だけが生き残ったのかもしれない」という説なのだ。

 さて、さて、この研究は非常に興味深い。
 なぜなら、野口三千三先生によって知らされた「岩石・鉱物の蛍光現象」は、この紫外線によって引き起こされるからである。
 何の変哲もない色の石が、紫外線を受けて思いもかけない色に発光する。これほどの驚きの世界は、それほど多くはない。
 
 岩塩・方解石・ウラン鉱・重晶石・アダム石……。
 もちろん蛍光現象研究のきっかけとなったイギリスの「蛍石(フローライト)」の紫色の輝きは、地球上のものの色として三本の指に入るほど美しい。

 この現象を見るためには、「紫外線照射器」がいる。
 これは鉱物の種類を同定する器具だ。
 そして使うときには、やってはいけない重要な注意がある。

1、直接、「紫外線照射器」から出る光を見ないこと。
2、その光を、長時間にわたって直接皮膚に光を当てないこと。

 紫外線が癌を引き起こすからである。
 
 私が子供のころは、日光浴はすすんで行うべき健康によい方法だった。
 夏休みが終わって学校に行くと、日焼けの「黒さ」を競ったものだった。
 今では、紫外線の害が取りざたされて、真っ黒く日焼けすることはいけないといわれるようになった。そこにはさまざまな理由がある。

 一つにあげられるオゾン層破壊行為だ。

 アゲハチョウの視覚世界は人が絶対に踏み込んではいけない神の領域か。
「蝶が私か、私が蝶か」などと、胡蝶の夢世界には、迷い込んではいけないということだろうか。
 胡蝶の夢は、はたして悪夢か?
 蝶は蝶、私は私、などというといささかおさまりが悪い話になってしまうきらいがある。比べてはいけないといわれそうだが……。
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蓮の華

2007年08月11日 09時54分59秒 | Weblog
 朝は早い。
 今朝は、日の出前に目が覚めた。
 寝床で聞いた音の様子からして、ポストには、すでに朝刊が届いているようだ。
 外に出ると、薄明るくなりはじめた空気のなかに、家々の玄関灯の明るさが半減して、なんとなく間が抜けているように見えた。昼行灯ほどではないが。

 鼻から息を吸う。
 次第に意識が覚醒してくる。
 そういえば、立秋過ぎから朝の匂いが少しずつ変化しはじめているような気がする。
 それは真夏に向かう気配から、徐々に晩夏へと移ろう気配だ。

 一しきり朝の仕事を終えて、からだをほぐした。東側の雨戸は閉めて、南と北と西の窓から風を入れた部屋で。
 そのあと何気なくブログ「芭璃庵」をのぞいた。
「アッ」
 息を呑んだ。
 目に清涼感が飛び込んできたからだ。
 それにつれて思い出した一説がある。
「私は、それまで、空や杉木立や岩や花をこういうふうには見たことはなかった。それまで私は、光悦という一人の人物として、雲を仰ぎ、花を凝視した。私は、あくまでも雲でもなく、花でもなかった。……私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲にほかならなかった。……私は雲であり、花であり、杉木立であった。私はそうした兄弟たちに囲まれ、兄弟たちと共に生れ、共に生き、共に消えていく存在だった。私は、自分のなかでながいこと、しこっていた<死>が、その瞬間、ふと、なごみ、溶け、軽やかにゆらぐのを感じた。……」
              『嵯峨野明月記』辻邦生より
 
 嵯峨本の由来にかけて、芸術家たちの思いをかれらが生きた時代のなかに深く描いた名作である。
 
 ブログには「御施餓鬼」と題がついて、花の写真が鮮やかだった。
 蓮の華の色と形に、生命がうちに潜める「死滅と蘇生」を、澄んだ音色の音楽のように私は貞いた。
 蓮の華は濁世の此岸に、彼岸から遣わされた清めの花に違いない。
 
 家々に灯される盆の灯明が、死者を導くときも、もう間近い。 

 
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親指の感覚は……「おへそのまたたき感覚」なのよ!

2007年08月10日 19時38分40秒 | Weblog
 昨年ころからだろうか。都心の暑さをしのぐために、「打ち水」を政府が音頭をとってはじめたのは。
 ご丁寧にも浴衣姿の若い女性たちが、木の桶を抱えて打ち水をする。
「まったく、焼け石に水」
 あのくらいの水の量とやり方を見せられると、思わずダメ出ししたくなる。

 我が家の近隣は、結構、水まきをしている。
 隣家のお嫁さんは、水がジェット噴水になる器具をつかうので、ものすごく大きな音がする。
 他には、如雨露を先につけたホースでまく家もある。
 私はというと、これが自慢の一つである。
 植木屋さんに習った方法だ。
 ホースで水まきするときに、ほとんどの人はホースをつぶしているのではないだろうか。そうすると水は大きく二股に分かれて、勢いがありすぎる。
 植木屋さんから教わった方法を書いてみよう。
 まず、私の場合右利きなので、左手でホースの端から40センチくらいのところを持つ。
 次に右手の親指をホースの端に当てて、円をふさぐ。ふさぐ量によって飛び出す水の量を調節する。半分くらいを目処にするのだが、霧のように水が細かく分かれるところを指先で感じることが大切なのだ。
 蛇口から出る水の量にあわせて指を動かしながら、距離も調節できるようになるには練習がいる。この方法で行うと植物に直接水遣りをするときに、葉や幹や土にかかる刺激が少ない。水鉄砲のような出方ではまったくないからだ。

 実際に水は霧状になるわけで、ふさぐ度合いを調節している親指にあたる水はとっても柔らかい。
 この話を母にしたことがある。
「そうなのよ、水って柔らかいのよ」
 母は10代のころ、多摩川で泳ぎを練習したらしい。多摩川といっても広ろうござんす。調布から一駅目の京王多摩川である。
 その近くには、日活撮影所があった。
 で、その撮影所の人が、母の泳ぎを見て、こんな注意をしてくれたのだという。
「手首を柔らかくして水の表面をやさしくなでてご覧。ほらっ、水ってそんなに柔らかいんだよ。泳ぎにはその感じを忘れないでね」

 野口体操の「おへそのまたたきの原理」(働く筋肉の量は少なく、働く筋肉の時間は短く、働く筋肉の度合いは低いほどいい)が、そのまま水泳に通じるのだ。
 そしてホースで水まきをするときに、親指の感触はまったく同じである。
「おへそのまたたき感覚」がうまくいきたときに、蛇口から長いホースを伝ってくる水は、霧状に柔らかく細かく分かれてくれる。

 このようなホースを力ずくでつぶさない方法を教えてもらったのは、かれこれ10数年以上も前のこと。
 この方法を身につけると、器具をつけなくても、如雨露よりももっと細かい霧状を作り出すことが出来る。霧の細かさを親指一つで多様に変化させられるのだ。水まきがとっても面白く楽しくなること請け合い。

 打ち水を教えるのだったら、このやり方を伝授してもらいたいと思いながら、先ほど6時のニュースを見ていた。

 本日、猛暑日。
 熱帯夜を覚悟しようぞ。
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猫生

2007年08月09日 19時32分50秒 | Weblog
 我が家の周辺を縄張りにしている猫は、4匹いる。
 赤茶色の雄猫・年をとってきたグレーの雌猫・その子供で昨年生まれたのはグレー+赤茶の混合雌猫、そして今年生まれた子猫。三世代が生活している。

 今朝方のこと、その4匹が揃って姿を見せていた。かなり珍しい光景だった。
 すぐさま子猫は親のそばに寄っていった。
 そのとたん、母猫は子猫に向かって、「ガッ」を牙をむいた。まったく寄せ付けない。
 次に子猫はお祖母さん猫に擦寄った。
 今度は、多少の間をおいて「カッ」と歯を見せて、子猫を追い払った。
 子猫は所在なさそうに、とぼとぼ歩き始めた。雄猫はそろそろ盛りがついてきた。まずお祖母さん猫の後を追っていく。その後を子猫をはじめて産んだ雌猫が追っていく。

 子猫だけが正反対の方向に歩き出していた。
 この子猫が最近になって、我が家によくやってくるようになった。
 この暑さで盆栽の水遣りが朝夕二回になった。ついでに道路にも水撒きをすることにしている。そのとき必ず子猫がやってくる。姿は見えなくてもどこからともなく、近づいてくるようになった。といっても私との距離は30センチくらいは必ず間を空けている。それ以上は近づかない。

 先ほども夕方の水遣りを終えるころになって、子猫があらわれた。
 木戸の内側にうっすらと水がたまるところがあって、その水を飲みにくるのだ。
「ペロ、ペロ」とかわいらしい舌を出したり引っ込めたりして水を飲む。相当咽喉が乾いているらしい。飲み終わってから、しばらく座り込んでいた。
 すると少年が二人入ってきた。
「子猫がいる」
 私の姿に気づいて、少年は驚いた様子だった。
「水が新しくなると、飲みに来るのよ」
「そうですか。ありがとうございます」
 そうお礼を残して、帰っていった。

「ありがとう」の意味は、どういうことなんだろう?
 水を飲み終えてもすぐに立ち去ろうとしない子猫を見ながら呟いた。

 それにしても三代の親子がここに住めるということは、餌があるってことなのだ。
 野良猫に餌をやっているお婆さんがいることは前にも書いた。彼女にしてみるとあまりいい結果ではなかった選挙も終わって、毎日、餌をやってくれているのかなぁ~? と思うほどに 子猫は夏痩せしている。痩せすぎてはいるが、敏捷性は失われていないようなのでホッとしている。
 
 願わくば、はじまったばかりの野良猫としての”猫生”をなんとか無事に全うしてほしい。
 
 立秋とはいえ、夏、真っ只中。
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ありがとうございます!

2007年08月08日 08時14分40秒 | Weblog
 739回。
 この数字は、今日をいれて「羽鳥操の日々あれこれ」に、文章や時々写真や動画を載せた数字。
 400字詰め原稿用紙で、ざっと3000枚くらいになるだろうか?
 
 2005年8月8日からはじめた。
 その日の題名は「日々あれこれ:今日からはじまり」というもの。

「祝 ブログ開設」spoonfulさんが、コメント第一号を入れてくださった。

 ブログを書くことができなかった日が数日あった。
 書いた文章を抜いた日もある。
 一日に二つ入れた日もあった。
 ひとえに読んでくださる方々がいらしたことが継続につながった。

 きっかけは若い友人が「ブログって簡単に開設できますよ」の一言だった。
 そのとおりで、インターネット上で手続きを指示とおりに行ったら、その瞬間からブログ開設と相成った。そして書き始めたらやめられなくなった。
 
 頭の中は真っ白のままパソコンの前に座った日も、数限りなくあった。
「エイヤッ」とばかりに、スイッチを入れ、インターネットに接続し、自分のブログを呼び出し、ログインして「新規投稿」をクリックする。
 それからおもむろに一文字・二文字打つうちに、なんとなく頭が働いてくれる。

 そんなこんなで、2年間、あっという間に過ぎました。
 読者の皆様お一人おひとりに感謝してます。
 お礼を申し上げたい。
 ありがとうございます。これからもよろしく。
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野口体操映像ライブラリー

2007年08月07日 19時25分01秒 | Weblog
 佐治嘉隆さんが用意し、貸し出しをしてくださっているDVDは、なかなか好評だ。
 何のDVD?
 それはね、1988年から1997年まで撮影した「野口三千三授業記録」の編集済みヴァージョン。
 もとはヴィデオだったもので、教室に参加している方々を中心に実費でお譲りしていたものを、今年になって佐治さんがデジタル化してくださった。

 「野口三千三授業記録」として9巻作ってきた。
 野口先生の姿に接することが出来る。その中の一つ『野口体操を解剖するー養老孟司氏を迎えて』は、春秋社から『DVDブック・アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』として出版してもらった。ただし、この版は養老孟司先生が一人で話しておられるところをカットした。もとの『野口体操を解剖する』では、すべてをそっくり編集なしで記録として残した。

 朝日カルチャーの土曜日・日曜日・火曜日のクラスで、貸し出しをはじめて数ヶ月が過ぎた。
 毎週少しずつ借りていく方、何枚も一気に見ることで野口体操の輪郭を掴んだ方など、それぞれである。

 おそらく10人が見れば10通りの見方があるのだろう。
 ということで、今日も残っている枚数は少なかった。
 さらに『テレプシコーラ 舞姫』10巻に作品の裏話コピーも貸し出している。

 その成果が皆さんの動きに現れてきている。どのクラスも相当動きがよくなってきた。ということは、野口体操への理解が深まったということなのだ。
 野口体操映像ライブラリーは、貴重なアーカイブとしてとして残った!
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何が面白いって? お・も・さ!

2007年08月06日 20時12分36秒 | Weblog
 昨日は朝日カルチャーセンターの日曜クラスが、三週間ぶりにあった。
 ほぼ一ヶ月ぶりに皆さんにお目にかかる。暑さにもかかわらず、出席率がいい。 しっかりオービットボールで遊んでいただいた。これがやめられないんだなぁ。 単純なおもちゃだ。ただ上下動の動きしかない。それが回転に変わる面白さにとりこになる。エネルギーの変換というわけか。

 憂きことをすべて忘れて、緑や赤や黄色の玉が軌道を描くのをひたすらに楽しむ。集中するうちに時間はどんどん過ぎていくのだ。
 その単純さがいい。はじめのうちは、暴れてしまって、「じゃじゃ馬馴らし」状態である。時に初めから順調な回転を生み出せる人もいる。しかし、ほとんどの人が暴れられてしまう。

 順調な回転が生まれた瞬間の「重ささの変容感覚」が、なんと言ってもいい感じなのだ。
 人は単純な繰り返しの中に、一つとして同じ回転の連続ではない「オービットボール」に、何を感じるのだろう。

 重さで廻る。地球上で、確かに重さを実感できるおもちゃなのだ。
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暑さへの対処法

2007年08月05日 08時56分26秒 | Weblog
 いやぁ~、びっくりした。
 夏本番になって、東京から外に出る一般道も高速道も渋滞がはじまっている土曜日。朝日カルチャーのクラスでは、参加する方が多かった。はじまるときには、なんとなく疎らなのだが、いつの間にかいつものメンバーが揃っているから不思議だ。

 先週の7月28日土曜日には、失礼な発言をしてしまった。
 夏休みも本番に入ったうえ隅田川の花火の日で、午後の新宿駅には浴衣を着た若い男女や親子連れであふれていた。その姿を見たときに思ったことをつい口走ってしまったからだ。
「人生の選択を間違ってしまったかも、、、、、今日みたいな日は、クルージングですよね」
 まんざら嘘ではなかった。しかし、せっかく野口体操に出ていらした方には申し訳なかった。
 
 そこで、昨日は気合を入れてカルチャーに向かった。
 暑さもあまり感じることなく、一目散に住友三角ビルへ。
 話もそこそこに動きに集中しようと、その案は正解だった。
 というのもやはり皆さん(私自身も)、自分ひとりではなかなか体操をすることがないとおっしゃる。なかには「やりますよ」という奇特な方もおられるが、数は少ない。
 エアコンが効いていて涼しくても、動きが鈍くなるのが夏というもの。それでいいと思ってはいる。思ってはいるが、やっぱり、動く方がよかろうとおもう。ほどほどではあるが、と繰言が多くなる。
 
 からだの問題はというと。
 からだはエアコンで冷えてしまう。で、外に出うると暑さでうだる。また室内に入って冷やされる。その繰り返しのせいだろうか、夏は思った以上に関節が硬くなる気がする。

 で、そう感じたらほぐせばいいのに、動くのが億劫になってほぐす気が起こらない。それでいっそう関節は硬くなる。それが繰り返される。
 そういう時は、ある程度強制的に体操するしかないのか! なんて思ったりもするのだが、いかがですか?
 まぁ、世をあげて「ビリーズブートキャンプ」が流行ってきているというが、この暑さで続く人はいるのだろうか。
 なにごとも「継続こそ力」だが、「継続こそ難しい」のが現実のようで。
 さて、今日の日曜日のクラスにどのくらいの方が出席されるのだろう。

 言いたかったことは、暑さへの対処法の一つに軽くからだを動かす「野口体操のすすめ」。
 実は、自分にも言い聞かせていま~すのヨ、ふふふっ ふ~っ。
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夏の風 すだれ影 そして陽水

2007年08月04日 09時22分16秒 | Weblog
 夏は嫌いじゃない。
 今も、北の窓は開けて、東と南の窓は互い違いに雨戸を閉めて、風を入れている。
 エアコンはつけずに扇風機をまわす。

 木曜日に来客があった。
「すだれ…よしずが、窓という窓にさげてあって…」
「えぇ、窓の内側にカーテンをかけるより、外側にすだれを下げた方が、直射日光をさえぎって、いいみたいですね」
「日本の家って感じですよね」
 
 昼下がりの客人は、うちわで扇ぎながら、ほっと一息つかれた。
 まず、冷たいお茶を差し上げる。
 大き目の茶碗いっぱいに氷をたっぷり入れて、熱く濃い目の日本茶を注ぎ込む。氷が音をたてて溶け出していく。その音がなんともいえない。氷が解ける様子を、1・2秒見つめながら、冷えたところをまず一杯。
 
 それからしばらくして夏菓子と熱過ぎない日本茶をおすすめする。
 そのころには、すっかりからだの汗はひいている。

 午前中は、ほとんどエアコンを使わない。
 雨戸をぴったりでなく閉め、窓や掃きだしは少し開けて、障子は窓にあわせて開ける、というか閉める。
 これで結構涼しい。汗が出るほどではない。
 
 湿気を含んだ重さのある熱い空気が、部屋の中を抜けていく。
 今もその暑さに身を任せている。ときどき頬杖をつきながら考え事をする。

 朝早い町は静かだ。
 その静かさのなかに、風の音が聞こえる。
 その風音にすこし遅れてすだれが雨戸にぶつかる。
 サーッ、コトッ、コトコトッ。。。。。。風音と連動して、外の気配が感じられる。
 
 気温は上がりはじめた。
 振り向くと、細くあけた隙間から夏の日差しが入り込む。
 畳にすだれの横線が黒く描き出される。
 何本もの線は風にゆれて、ゆれるたびにランダムな模様に変容する。
 時間の経過のなかで、線状の日差しは移動していく。

 静かだ。
 じっと目を閉じて、気配に浸る。
 
 夏、まっさかり。
 脳髄から、陽水の歌が聞こえてくる。
 うぅ~ん、この快感!
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和太鼓・花火・演歌

2007年08月03日 20時22分04秒 | Weblog
 和太鼓・花火・演歌には、血が騒ぐ感動がある。
 その感動はクラシック音楽では得られない。
 芯から血が騒ぐのである。

 作詞家・阿久悠さんが亡くなって、連日、「阿久イズム」の歌が流れてくる。
 これもそうだったの、あれもそうだったの、……、一しきり耳を傾けてしまう。
 今日は、歌詞にまつわる話を、お昼の番組でやっていた。

「なるほどねぇ、ふむふむ」
 時代と言葉を大切にした作詞家だったのか、と驚きを抱きながら話に聞き入ってしまった。
 「北の宿から」「舟歌」「津軽海峡 冬景色」などなど。
 これらの歌すべてが、歌手にとって方向展開をうながすヒット曲になったことを改めて知った。

 たとえば「北の宿から」の歌詞のなかで「未練でしょう」というくだりがある。ここは普通の人なら「未練でしょうか」と「か」とつけて、相手に問いかけてしまうという。すると「そうよ、未練よ」と答えが他者からかえってくる。
 ところが「未練でしょう」と言い切ってしまうと、これは性根がすっわた女が、自分を一つ外側に出して、しっかり自分を見つめていることを歌っているから、ヒットしたのだという。

 もともとこの歌の前にもう一つの歌があったのだという。都はるみさんサイドから頼まれて、はじめて彼女のために作詞をした最初の曲は「うなり」をいれた男っぽい元気な歌だった。ところが都さんは女歌を希望していた。30歳を間近にして、新しい歌の世界を切り開きたい希望を伝えて作り直してもらったものだった。

 ……あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります……

 歌い始めて
 
 ……女心の未練でしょう……
 
 一気に、サビへ。
 歌い上げていくこの曲で、都はるみの新境地が開かれたという。

「か」があるかないか、考え抜かれ計算しつくされているとは気がつかなかった。
 いい歌だと思ってずっと聞いていた。
 いや、言葉をつむぐということは、そういうことなのだ。

 正月から新緑の季節までは和太鼓、夏は花火、そして演歌は厚手のセーターをはおりたくなる晩秋から年の瀬にかけて聞くのが好きだ。
 
 和太鼓・花火・演歌、どれも熱くなる。
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家事労働という嫌な言葉

2007年08月02日 08時22分07秒 | Weblog
 昨日、梅雨明けだったが、台風の影響からか今朝は雨が時折強く降っている。
 5月に冬物衣類は、片づけが済んでいた。しかし、冬用の寝具や敷物、毛皮類の手入れがそのままになっていた。つまり、夏冬が入り乱れた状況下にあった。
 
「今日だ!」とばかりに洗濯したり、熱いタオルで拭いたあとに日光にさらしたり、押入れの中に風を通したり、終日かけて整理をした。
 やりたいと思っている三分の一が済んだ。梅雨明けを待っていたのだが、今年はホントに遅かった。
 これから天気になるオフの日には、残りの暖房器具の手入れや、毛布等々の洗濯が残っている。

 春に母の体調が悪かったこともあって、片付けがのびのびになってしまっていたのを、一気にやるから大変。山のように、冬が、家のなかに残っていたというわけ。 
 まぁ、実際は大学の授業があるうちは、片付けもままならないのだが。
 家事というのは、やっていたら切がない。
 たとえば家の周りを綺麗にしておくのも家事のうち。隣家の庭でのびきった枝を下ろしてもらうように頼みに行くのは、いちばん気がつかえる。こちらが悪いことをしているわけではない。先方がちゃんとしてくれないだけなのに、なんで恐縮しながら頼まなければならないのだろう、と思う。
 あげたら理不尽なことっていっぱいあるのだ、と諦めるしかない。出来ることから片付けるのみ。

 しかし、片付けやものを捨てるのに、どれほどのエネルギーを使っていることだろう。
 もっと厄介なのは、捨てたくても捨てられないものの存在。人間関係を慮るとなかなか捨てきれないでいる。
 
 とにもかくにも日本の四季にあわせて衣食住を快適にするには、ある若さと老練さが必要だ。
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韓国風居酒屋で

2007年08月01日 18時56分33秒 | Weblog
 昨夜のこと。
 ある名門医学部をもつ大学の医療系コーディネータ養成・大学院の夏期合同ゼミで野口体操を紹介した。
 介護・福祉・看護といった専門職の方々が、さらに学ばれているだけあって、年齢は20代から40代まで幅が広い。
 担当教官は、精神科のお医者様で、その方のクリニックの会議室に集まった。
 紹介いただき、先生の開口いちばんは
「ホームページを拝見しましたが、立派なホームページで、野口体操は歴史もあって素晴らしいですね」

 それから1時間半ほど、10数名の参加者が、気持ちよく体操をしてくださった。
 テーマは「コミュニケーション」である。
 
 詳しい話は、ここに書くことが出来ないが、一人一人のコメントが素晴らしかった。現場を持ちながら院生をしているだけに、言葉と実体が乖離していない。理解度の高さはなかなかのものだった。

 そのあと若い方々に混じって、韓国風居酒屋での親睦会までご一緒した。
「野口体操のマッサージは、花嫁道具ですよね」
 かなりの美人ちゃんがお酒に任せて一言。
「なるほど」
 新しい価値観をいただいた。
「家元制度も夢ではない?」 
 冗談が言えるのも若者が集まるにぎやかな居酒屋ゆえ。

 この体験は、別のところで形にしていきたい。
 いずれにしても野口体操の可能性が明確に見えた昨晩の交流だった。
 私は、「オサケ(酒)」ではなく「オサ(茶)ケ」を飲みながらだったが、生まれて初めて韓国料理を食べた貴重な経験はオマケだった。
 夜もとっぷり更けてご帰還。
コメント
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