羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

こころがヒリヒリ痛みます

2007年08月23日 09時30分03秒 | Weblog
 かめいどさん。降りましたね。
 
 昨日は、落雷で電車がストップして大事だった。
 都市型災害で、水が出たところ等々あって、「丁度いいのが丁度いい」という野口三千三先生の言葉が、思い出された。
 夕立を超えた豪雨は、願ってなかったのに。

 さて、杉並区では、飼い猫の任意登録制度導入を検討しているそうだ。
 ●飼い猫に監察をつけて登録し、野良猫と識別する。
 ●飼い主の自覚向上と失踪時の個体識別をしやすくする。
 ●初年度五百匹の登録を目指すというもの。
 
 ちなみに、区内には推計で約三万四千匹の猫がいるらしい。(どうやって数えたのだろう? 教えてください) 
 
 そもそも犬や猫に関連した住民トラブルを防ぐためだという。
「共生プラン」なるものの作成に向けて、区民からの提言をまとめた報告書を作成したのだ。

 野良猫を増やさないために餌の回収や不妊・去勢手術をすすめる「杉並プラン」を十月には作成するらしい。

 確かに元気のいい雌猫は、一年間に2回以上は出産している。しかし、そのなかで育っていく子猫は少ない。目も開かないうちにカラスにやられるとか、未熟で死んでいくとか、無事に育つ方が少ないようだ。

 我が家の周りを縄張りにしている新母猫は、猛暑の間に尻尾の先を失った。
 聞くところによると、他の猫と大喧嘩をしたそうだ。そのときかじられたところが腐って尻尾が短くなった。しばらくの間、赤くなった痛々しい状態を見せていたが、最近では黒く色が変色して、落ちついて来たようだった。
 それでもピンピンしている。
 
 先日も生まれたばかりの子猫を口にくわえて、茂みから飛び出してきた。あっという間の出来事だった。別の場所に移動をしたようだ。しかし、その後、子猫を連れ出してくる様子はないから、もしかするとダメだったかもしれない。

 この周辺にも野良猫は何匹か生存している。それが家族をなしている。
 結局、飼い猫と野良猫の中間的な暮らしを実現しているのだと思う。
 そこで不思議なのは、猫の死骸を見たことがない。猫は人の目に着かないところまで歩いていって、一生を終えると聞いたことがあるが、本当なのだろう。

 今年の春生まれた子猫は二匹だった。そのうちの一匹は、どことなく生気のない猫だったが、見かけなくなって数ヶ月以上は過ぎた。残った一匹も、この夏の猛暑でやせ細っている。
 ところが逃げ足は非常に速い。捕まえる気になれば出来ると思うが、普通では難しい。寄ってきても、あの素早さには追いつけない。餌付けをして食べているところを後ろから網で捕まえるのかな?

 もうひとつペットにかかわって問題なのは近親婚だ。
 ペットにも流行がある。そのことで、命を命と思わない行為がまかり通っているなんて。人間の勝手は許されない。
 
 異常気象にはじまって、ペットの受難まで、人間は何をしているのだろう。
 いや、何をすべきなのか。

「杉並プラン」について、本日8月23日、日経新聞朝刊、東京首都圏経済33面掲載記事を読みながら、こころがヒリヒリ痛む朝だった。
コメント (3)
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