羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

その物より自然に出づる情

2006年10月17日 14時39分11秒 | Weblog
 今朝、鉄格子に手をかけた。巻きついている鎖をはずして、窓を開けるために。
「ヒヤッ」とする鉱物の感触が、指先を刺激する。
 おもむろに渋くなっている取っ手を左に回して、観音扉の片方を押し出した。
 するとさらりとした空気が、薄青色の光を携えて忍び込んできた。
 蔵の二階に上がって、東側の窓をあけたときのことだ。
 数日間、締め切りになっていた空気が、入れ替わっていく。
 しばらく窓のそばに佇んで、空気の色をみていた。

「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」
 芭蕉の言葉がふと脳裏に浮かんできた。

―我が感動するのではない。直接に「その物より自然に出づる情」が、我を打つのである。その時物と我とは一つになっている。―と書かれた一説を思い出す。
 冊子「芭蕉における詩と実存」を読みなおす。
 その一節を書き記しておきたい。
―「よく見れば薺花さく垣根かな」 
 ありふれた野草が、現前してくる瞬間がある。「何故なしに咲く」花。この花において、芭蕉は自然の生命を直観している。花が咲ききった「造化」の働きを感得している。しかも同時にこの花と一体となり、造化の働きの只中に自らも直観している。この薺の花は、天と地とそれを見る人間をも集摂し(versammeln)ながら、造化の働きそのものを著わしていといってよいであろうーこう記す著者・魚住氏によれば、「その物より自然に出づる情」は、「物我一智之場所」において造化の営みの顕われに打たれた情ということになるという。

 このフレーズは、野口三千三先生が語られる「貞く」という姿勢が孕む「主客合一」のありようと同質のものと読むことが出来る。
 野口体操は、客観の対象として「からだを読む」のではない。芭蕉のいう「物我一智之場所」に命が宿るからだで感じることを、この上なく大切にする体操である。
「その物より自然に出づる情」に打たれる。そうした行為こそが、野口先生が生涯をかけて求めた「野口体操」なのだと気づかされた。

「自然に貞く・からだに貞く」以外に道はない。
 既成の概念で自分のからだと向かい合うのではなく、「今・ここにある身体」に即してみることが「貞く」という言葉に潜ませた野口先生の思いではなかったのか。
「私意をはなれ、そのものを直に掴み取れ」という言葉に置き換えてみるといっそうはっきりとしてくる。
 からだをからだと見るためには、「松の事は松に習え」なのである。

 いつしか時間の経過の中で、朝日の色は明るさを増した。
 新しい空気に入れ替わって、滞っていた蔵の匂いは消えていく。
 そうして、今日、一日が始まった。
 
 十月十七日、朝の出来事を記す。
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垂乳根~たらちね

2006年10月16日 07時49分11秒 | Weblog
俳諧の宗匠として江戸で成功をおさめた芭蕉は、亡父の三十三回忌法要のために帰郷した。貞享四年(1687年)のことである。
そこで、兄から臍の緒を見せられた芭蕉は、父母や縁者への懐かしさ、更にはふるさとにつながる命の深みにただ涙する。

風雅にいきるものは、天地自然の営みに随って、「四時(四季)を友」として、常に新たなるおもいで万物に接する。
「造化にしたがひ造化にかへる」ことが、人として人になる唯一の道だという。

「百骸」つまり多くの骨からなり、「九竅」つまり九つの穴を持つ身は、母のからだから出で、その母の乳は大地の恵みである。その感慨は、深く芭蕉を捉えたのに違いない。
若き日に、身体に宿る得たいの知れぬ物に対峙し、その物の怪が俳諧へと向かわせるエネルギーになったことを、「臍の緒」を手にすることによって、四十五歳になろうとする芭蕉をして、悟らせたのかもしれない。
あくまでも「物」に即し、風雅を極めた芭蕉の姿勢は、どこか野口体操の根本に通じるものがあるように思えてならない。

今日の写真は、昨日の句にちなんで「蔵の乳房」。
誰が考えたのか、これも風雅……。
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造化にしたがひ造化にかへれ

2006年10月15日 07時02分36秒 | Weblog
……百骸九竅の中に物有り。かりに名付けて風羅坊といふ。誠にうすものゝかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し……
芭蕉「笈の小文」の冒頭である。注:読み「百骸九竅」ヒャクガイキュウキョウ

庶民の卑賤な遊芸とみなされていた俳諧への通念を打ち破って、世界でいちばん短い詩の世界を風雅に生きとおした芭蕉。

「僧にあらず俗にあらず」

……今朝、蔵の扉をあけ、二階にあがり、棚から抜き刷りの冊子を取り出した。

●「芭蕉における詩と実存」魚住孝至著・実存思想論集Ⅹ「詩と実存」1995年実存思想協会編である。

実は、ジュニア新書のはじめに、芭蕉の句を載せてしまった。ゲラ校正を始めて、
この冊子をいただいてあったことを夢に見た。
身体を語るにふさわしい句と思えたからだ。

  旧里や臍の緒に泣くとしの暮

   注:読み「旧里」ふるさと。「臍の緒」ほそ(ぞ)のお。

因みに、「造化」とは、天地万物をつくったと考えられる造物主。天地。宇宙。
「笈(おい)の小文」の「笈」とは、修験者(しゅげんしゃ)や行脚僧(あんぎゃそう)などが、仏具・衣類・食器などを入れて背負う、あしつきの箱。
*義経をかばう弁慶が空勧進帳を読み上げるシーンが思い出される。背負っている箱が「笈」。

そして「造化にしたがひ、造化にかへれ」を野口体操に照らして読めば「自然に貞く・自然直伝」となるとおもう。
「臍の緒に泣く」心身の動揺は、「からだに貞く」そのものを読み込んだものとおもう。

さぁ、心機一転、ここから始めたい。
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野口体操・自然直伝~岩ひば

2006年10月14日 07時33分09秒 | Weblog
昨日、来客を見送ってから、久しぶりに散歩に出かけました。
開店間もない花屋をのぞくと、なんと岩ひばが見えるではありませんか。
「懐かしい」
野口三千三先生の庭には、たくさんの岩ひばが育っていました。
我が家の環境では、育ちにくいかもしれない。
そんな思いがよぎって、いったんは店を後にしました。
本屋に立ち寄り、雑貨屋もひやかして、でも、岩ひばが忘れられず、花屋へと引き返しました。
若い女性が一人で切り盛りしている店で、変わった花やミニ盆栽や観葉植物などの品揃え。
「箱根の知り合いから仕入れています」
「琉金羊歯はありませんか」
「来週、箱根に行きますから、見つけてきましょう」

そんな会話を残して、小走りに自宅に戻り、「岩ひば」の置き場をつくり水遣りをして一件落着。
今朝、元気に育ってほしいと祈りつつ、写真を撮りました。

植物に教えを得た野口三千三先生。「自然直伝」という言葉は、まさに先生の庭がバックになっています。その植物の中でも「岩ひば」はを殖やす名人だった先生でした。

「岩ひば」に出会ったところで、10月3日からはじめた動画つき「野口体操入門編」第一章を、ひとまず終えたいとおもいます。

「自然に貞く・からだに貞く・自然直伝」は、野口体操の枕詞です。
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野口体操・腰まわし~空いている軸

2006年10月13日 14時41分26秒 | Weblog
この「腰まわし」も昨日の「胸まわし」同様に、からだの内側に柔らかな軸をイメージしてください。
できれば「やわらかな軸」は、真ん中が空になっている軸であってほしい。実際にはそんあ軸は軸とはよべないのですが。
これは動きのイメージです。「中空構造の軸」のイメージがもてることが、「胸まわし」「腰まわし」の滑らかで柔らかな回転が生まれる大切な条件です。

「胸まわし」の時には、腰の中心がそっとそこにいて、骨盤が傾きます。それに引き換え「腰まわし」では、胸の中心がそっとそこにいます。

そのようなイメージを手がかりにして、ペアにして動きを探ってみましょう。
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野口体操・自然直伝~初雪かずら

2006年10月12日 07時37分16秒 | Weblog
野口三千三先生は庭のまわりを、フェンスで囲んおられた。風通しをよくするため。そのフェンスに「初雪蔓」が絡み付いていました。
「なかなか根付かなくてね。何年もかかってここまで殖えたのよ」

かれこれ20年近くなるでしょうか。その蔓を少し分けていただいて、自宅に持ち帰り、ごく小さな鉢に植えました。徐々に大きな鉢に植え替えを繰り返し、この写真の大きさまで成長しました。
はじめのうち丹精してくれていた父が、平成14年に亡くなってからは、自分で植え替えをするようになって数年がたちました。

6月中旬から9月初旬のいちばん美しい時期は過ぎてしまったけれど、今年は気温が高く雨が多かったことで、まだまだ初雪を思わせる白い葉がたくさん残っています。
秋は紅葉し、冬は濃い緑と牡丹色の葉がのこっています。
白・撫子色・白と緑の斑・若緑・濃緑・そして秋から冬の牡丹色と、色を楽しむ蔓です。

で、野口先生に習って棒を立て、そこに蔓を巻きつけてみました。
この話が、この前の「野口体操・胸まわし」につながっています。
スクロールしてください。
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野口体操・胸まわし~柔かな軸

2006年10月12日 07時32分51秒 | Weblog
野口体操の動きのなかでもこの「胸まわし」は、苦戦される方がほとんどです。
私も、年単位でつかめなかった記憶が鮮明に残っています。
この「胸まわし」は、普段「腰まわし」の次に行っています。今回は、まず、こちらを見ていただくことにしました。

からだのなかに柔らかな軸がうまれると胸が滑らかに動きはじめます。つまり回転には軸が必要だということが「腰まわし」よりもはっきりするからです。
この場合、からだの長軸と鉛直方向が一致しています。余分な力が入ることなく立つことが出来て、足の裏での重さの乗せ替えを滑らかに行い、その揺れをからだの長軸に沿って上方へと伝えます。骨盤の中心はそっとそこにあります。中心がずれると軸は生まれません。しかし、骨盤は傾いて、胸がまわるということです。
いかがでしょう? 試してご覧になりませんか。

ということで、イメージを持っていただきたいので、「初雪蔓」の写真を載せてみました。軸に巻きついて螺旋形に上方に伸びていく「植物に貞く」ということです。
「初雪蔓」の写真を、動画同様にクリックしてみてください。多少、大きく映るので植物の成長の軌跡の動きを感じていただけるのではないでしょうか。
「初雪蔓」も「胸まわし」も、ここまで来るのに20年近い歳月が流れました~。
ちょっぴりため息!
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野口体操・自然直伝~木が描く波~銀河のフラクタル

2006年10月11日 09時41分29秒 | Weblog
野口三千三先生は、植物を育てる名人でした。東京では育たないといわれる羊歯や高山植物などが、すくすくと生育した庭を実現させておられました。
殊に「蕨・薇」は、巻いているものがほどけることによって葉が開く。
「波・渦・螺旋が、生きものの形・動きの象徴なのだから、人間の動きもまたそれに習いたい」とお考えでした。

これまでブログでご紹介してきた動きは、すべてこの「円・波・渦・螺旋」が、からだの中に生じることによって成り立っています。
今日の動画は、欅の木目を映してみました。この木目文様を「銀河のフラクタル」と名づけたい。違いは色だけ!

野口三千三先生の言葉を最後に記します。
『宇宙は流体であり、いろいろな渦巻き・螺旋運動の総体である。自分のからだもまた同じ。からだの動きはすべて「なみ(波・浪・涛)の動きであり、「渦巻き・螺旋」の動きであり、「ゆり・ふり(揺・振・震、淘・汰)」の動きである』
このイメージで、もう一度、今までの動画を見直してください。
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野口体操・波の動き~「立」

2006年10月10日 13時32分15秒 | Weblog
従来の体操には、「伝えられて動く」という発想は、少なかったかもしれません。その視点から見れば、「波の動き」とはいったいなんだ? ということになるかもしれません。

では、からだのある一点に注目してビデオ映像を見てください。
「腰」でも「肩」でも「頭」でも、どこでも結構です。「円」「丸」を描いて動いているのが見えるとおもいます。「丸」といっても、十五夜お月様のような「まん丸」ではありません。ゆがんだ円形を描いています。

ここで登場するのが初歩の物理です。
「ある部分が円・丸を描くと、全体としては波の動きになる」わけです。
この映像は、立っている状態で円を描くと、全体として波の動きになります。
波は循環し、そして渦になります。

ところで昨日の「腕立てバウンド」もまた「全身が波になる」でした。
落ちる動きによる作用に対し、反作用をもらってバウンドさせています。しかし実際には上下動に見えたとしても、からだの中で起こっていることは、弾みをもらいつつ、部分では変形された丸・円を描いています。
全体として「波」になるわけです。

円を描く動き・波を描く動き・渦を描く動きの感覚は、滑らかな動きを求めるときに忘れてはならない感覚です。

若き日の野口三千三先生は、こうした滑らかさが命の動きを説明されるとき、「合理的な動き方」といった表現をなさっていました。
晩年はほとんどその言葉を聞くことがなくなりました。
しかし、「円・波・渦・螺旋」といった動きのイメージを、ダイレクトにからだに注入し、浸り、味わうことを大切にされておられました。

「立って波を描く」今日の動画は、野口体操の動きの基本です。
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野口体操・腕たてバウンド1……全身が波になる

2006年10月09日 08時49分02秒 | Weblog
野口体操の「腕たてバウンド」は、いろいろなヴァリエーションがあります。
この動画は、「腕たてバウンド」の動きのなかで、最初に取り組んでいただきたい動き方です。
しゃがみこんで、首の力も抜いて、休んでいるところからはじまります。
手を床に落とす(実際はおろしていく)と同時に、足を床に近いところを通しって、後ろに足先を移動します。
この瞬間に、左右の肩甲骨の真ん中が緩みます。腹も力抜けているので床に近づきます。

※ここで注意したいことがあります。
 からだを落としすぎないことです。ぎっくり腰を起こさないように、気をつけましょう。落とすエネルギーは非常に強いからです。このブログでご紹介した「竹音琴」の話を、思い出してください。ポイントは、「おとす」と「おろす」の違いです。

すると、伸ばされた腕に胴体や腰や足がぶら下がっている瞬間が生まれます。
力が抜けて重さが活きているときには、その反作用をもらって上方に浮き上がることができます。それを繰り返しているわけです。

全身が波になる感覚をつかみましょう。
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野口体操・おへそのまたたき

2006年10月08日 07時47分17秒 | Weblog
野口体操の動きのなかでも、この「おへそのまたたき」は代表格の動きです。
余分な筋力を使わずに、楽に上体を起こす。
「おへそのまたたきの原理」は、なめらかでしなやかな動きを生む基本原理だといえるでしょう。
『働く時間は短く・働く度合いは低く・働く筋肉の数は少なく』
野口体操:「省エネの動き」の象徴的なものです。

1991年野口三千三先生と養老孟司氏の対談も記録してある『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司』春秋社では、その話を聞くことが出来ます。

このビデオ映像ですが、起き上がってくるきっかけは、床に触れて伸ばされている腕ををフッと上方に振り上げると、胸がふわっと浮き上がります。そのタイミングにあわせて一瞬間腹筋に力を入れて骨盤の向きを換えます。あとは足腰からも上体からも力を抜くと、上体は重さで引っ張れて流れていきます。

必見!見どころについて。
羽鳥の動きとしては、いちばんよく出来た「おへそのまたたき」ではありません。そこで見えてくるところがあります。
一瞬間、足に力が入って浮き上がっています。
それを感じた私は、すぐに力を抜きました。すると上半身はぶら下げられて、特に胸や首が残るのがわかるとおもいます。
そのあたりを参考になさってください。

この映像も、昨日のものに続いて、佐治嘉隆さんが撮影してくださいました。
動きにつれて左右方向に、携帯を移動させていますが、見事に上下のブレが出ていません。
さすがさすが!
そういったところも、ぜひ、見逃さないでいただきたい。
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野口体操・バランプレー

2006年10月07日 19時36分07秒 | Weblog
バランプレーという命名は、バランス+プレーの日本語的意味を込めています。
「ばらんす遊び」をつめて「バランプレー」というわけです。

人類は、古代からバランスを崩しながらバランスをとり続けられる遊びを楽しんでいたようです。サーカスでは「玉乗り」があります。
この「バランプレー」は、古くはビンや丸木の上に板をのせて楽しんでいました。

野口三千三先生は、この原型になる道具を、あるスポーツ用品を扱う会社の社長さんから頼まれて改良を加えたのだそうです。
板に工夫が凝らされています。その点については、企業秘密。

さて、気持ちよくバランスをとって遊ぶには、重さの乗せ換え感覚が大切です。
筋力ではどうにもなりません。むしろ余分な力を入れて乗っているほうが危険です。
では、何をしているのかというと、左右の足の裏で重さを乗せ換えをしているだけです。立つことに努力をしない。いや、努力しなくても立てる状態を感じ取りましょう。

むしろ問題は「腰」にあります。股関節や骨盤のなかの微妙な感覚が大切です。
最初は乗り続けられることよりも、安全におりる練習からはじめます。
昨日のモビールや張子の虎の話をもう一度読んでください。
そして『野口体操 感覚こそ力』春秋社もどうぞ。
肩からぶら下げられている腕は、風になびく柳の枝のようなイメージを持ってみましょう。からだに任せて、右に乗ったり左に乗ったり。じっとすることが目的ではありません。

今日は朝日カルチャーセンター土曜日クラスのレッスンが終わってから撮影しました。
終わったあとの教室のざわめき音は、きっと臨場感を伝えてくれるのではないでしょうか。
敢えて、静かにしていただきませんでした。
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ゆらゆらゆら~り風に揺れ……静止画

2006年10月06日 07時39分13秒 | Weblog
和紙のモビール+張子の虎は、野口体操の動きの象徴です。
ぶら下げられているものシリーズですが、バランスがよく取れているものは、わずかなエネルギーで動くことが見えてきます。
これに続く動画が二つあります。
スクロールしてネ
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ゆらゆらゆら~り風に揺れ……動画 2-1

2006年10月06日 07時37分23秒 | Weblog
拙著『野口体操 感覚こそ力』春秋社・47~61ページ「感覚こそ力ーモビールとバランプレー」を読んでください。

そのなかにある野口三千三先生の語録をひとつ載せましょう。
『動きが生まれるためにはバランスの崩れが必要条件である。したがって、鉛直方向にぶら下がる状態を続け、平衡を保ちながら、微小なエネルギーによって微妙に揺れるモビールは、逆に複雑微小な平衡の崩れを精細・正確に感じ取り、即応する「平衡の崩れの多重構造体」「非平衡系」である、といえる』
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ゆらゆらゆら~り風に揺れ……動画 2-2

2006年10月06日 07時34分56秒 | Weblog
「張子の虎」の頭がよく揺れるのは、胴体の中にしまいこまれている首の部分に、頭の重さと同じ重さの鉛の玉がついているからです。
つまり、バランスがよく取れているものは、わずかなエネルギーで動きが成り立つ証明です。

左手に「張子の虎」を持ちながら、右手で携帯をもって撮影し、息を風にみたてて吹きかけています。
「フーッ、ふーッ~~」と、風の音が聞こえますか?

予告:明日は、朝日カルチャーセンター土曜日クラスがありますから、「バランプレー」の動画を載せたいとおもっています。
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