羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

カボションカットとイナバウアー

2006年06月26日 15時54分33秒 | Weblog
 昨日についで、今日も、オパールの話から。
 水にぬれたオパールが非常に美しい「遊色」を見せてくれるし、壊れることがないと書いたが、水にぬらしたままではオパールを身につけることはできない。
 
 たとえば、「ブルーアンバー」などは、太陽が燦燦と降り注ぎ紫外線が強い日ならば、ブルーに少しだけ変化して見えるかもしれない。しかし、あまりはっきりとしたブルーにはならない。美しく見えるためには、紫外線照射器で紫外線を当てるとか、ブラックライトの光の下で、神秘的なブルーがかもし出させる状態を作り上げるしかない。普通の可視光線では、大きな変化は望めない。まさか、ネックレースやブローチにしたブルーアンバーを美しく見せるために、小さな紫外線照射器で照射しながら歩くなんて馬鹿げたことはできない。

 しかし、オパールの場合は、あるカットを施すと、水にぬれてなくても、安定した状態を保つことができる。
 そのカットは、「カボションカット」と呼ばれる。フランス語で「爪」を意味する言葉で、シンプルな半球形のカットというわけだ。
 
 ところで球形というのは、ものの形として非常に強い。このカボションカットは半球形だが、「ノジュール」と呼ばれる、楕円に近い球形の石の中から古生代の示準化石である三葉虫が取り出されることがある。このノジュールの形は、安定して壊れにくいので、中にある「化石の保存状態がいい」という言い方がされる。
 地球上で「球形」や「卵型」や「半球」は、壊れにくい形であり、壊れにくいということは内部を守るのに強い構造だということになる。
 
 だから、仰けに反る姿勢に対して、しゃがみこんで丸くなる姿勢は、自分の身を守る時に生物が自然にとってしまう姿勢だといえる。その証拠が、モロッコから産出した岩に残されている。突然の天変地異によるものか、大型の生きものに襲われそうになったのか、原因は特定できないが、いっせいに丸くなったが無数の三葉虫の化石がある。
 
 それに対して逆説の美を見せてくれたのが、荒川静香の「イナバウアー」である。こちらは惜しげもなく、無防備に、自分の身を捨てて、命がけで何事かに向かう真摯な姿勢ゆえに、世界中の人々に感動を与えた。生物にとっていちばん弱い姿勢を畏れずにみせてくれたからこそ、喝采が贈られたのだ。
 
 つまり、球形は地球の代表的な形だし、地球上に生を受けたものにとって内臓を守る共通の姿勢でもあることが証明された。

 さて、カボションカットのオパールの指輪が、光に照らされて輝くには、コンサートホールの灯りの下でも十分に美しい。しかし、ほんとうの美しさは、母岩あってのものだという眼の力を野口先生によって開かれた。原石・ミネラルの世界に足を踏み入れ、価値観が変わった。鉱物の結晶だけを取り出す楽しみより、母なる岩が共にある石が、どれほど面白いかを。

 そして、生命は宇宙から「命の種」が飛来して生まれたのではなく、地球物質から生まれてきたという考えに共感する。
 生物進化は分子進化と“ひとつながりの地球の出来事”だといわれる説に納得する。
 さらにそこから、個体発生は系統発生を繰り返すという考えにも共感していく道が開かれた。

 話をオパールに戻そう。
 鉱物の色と形を美しいと感じるのは、森羅万象に通じる人間のイマジネーションに導かれるからに違いないことを、オパールの遊色は教えてくれる。
コメント
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