羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

地湧きの体操

2006年06月19日 19時40分54秒 | Weblog
 例のスメクタイト報告。
 昨日の朝から、ゲル状態が非常に安定して、斜めにしても、逆さまにしてもまったく流れ出さない。
 揺変性とはその名の通りで「揺する」事によって、ゾル状態に変化する。ビンを手に持って方向を変えるくらいでは、ゲル状態のままである。
 まだ、ビーズは入れていないが、想像するだけで面白そうだ。
 
 それにしても化粧品関係は、このゲル状態のものが非常に増えた。クリームやファンでションや微粒子のアイメイク・頬紅・透明感を出すパウダーなど、どれもが粘土鉱物のように見えてしまう。
 
 なるほど、すべてが地球につながっているか。
 そこでイメージを膨らませてみよう。
「生命の起源 地球が書いたシナリオ」の骨子である「生命は地下で発生し海にでた」ということを信じるとすれば、昨日のブログに書いた「地湧きの思想」というテーマのたて方は、すごいとおもう。1970年代末に行われた講演とシンポジウムなのだから、先見性はたいしたものだと言わざるを得ない。

 このシンポジウムが終わったとき、控え室に集まった講演者を囲んで、柏樹社の皆さんと各先生方のお供の方々が、一堂に会した。前日と当日、野口先生の助手としてステージ上で実技を披露した私もそこにいさせていただいた。
すっかり忘れていたのだが、そのときに、私は逆立ちをやっていたようだ。記憶はすごく曖昧で、逆立ちの練習をはじめたのはもっと後とばかり思い込んでいた。しかし、野口体操をはじめて4年後には、野口先生の包助によって、人様の前で逆立ちを披露するところまでいっていたのかとおもうと、感無量である。

 話がそれたが、いいたかったことは、生命は地球と一体のものだということ。その一体感を味わうのが「野口体操における逆立ち」というわけだ。
「からだは地球物質のひとつのまとまりかた、こころはその働きのひとつ」という考え方は、人によっては抵抗があると思う。私は、この考えが好きだ。好き嫌いでいえるものではないとは思うのだが。
 野口体操を「地湧きの体操」といってみたいもの。
粘土鉱物との出会いの意味は大きい。一冊の本との出会いがイメージを再び蘇らせてくれた。

「地湧きの思想大会」から、かれこれ30年近くの歳月が流れた。長かったとも短かったとも思える。情熱を込めて麦わらを手に「麦わら一本の革命」を語られた福岡さんの表情が、私の目の中に映し出されている。それは60代半ばの福岡さんである。
 
 講演した講師の皆さんが、共通して「大地」に根ざした思想を持たれていた。
 イメージを蘇らせて、自分が立っている真下の大地を、しっかりと踏みしめるように、今朝は、ゆっくりと「四股」を踏んでみた。
コメント
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