羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

歩き遍路

2006年06月27日 15時21分13秒 | Weblog
 住友ビルを出ると、梅雨の晴れ間が広がっていた。
 とはいえそれほどの暑さではない。
 4月期の火曜日クラスが終わって、こころにほっと隙間ができていた。
 朝日カルチャーのレッスンでは、3ヶ月ごとの区切りの意識はあまりない。ところが今回は、なぜか一区切りの感がある輪郭を描きながら、心の隙間に入ってきていた。理由ははっきりしていない。なんとなくそんな気がするのである。

 いつにない心模様を抱えながら自宅に近づくと、クロネコヤマトの配送員が、ポストに何かを入れている姿を、自宅の少し手前で認めた。配達員とすれ違って、戸を開け右手にあるポストから入れられたばかりの書籍小包を取り出した。

 二階に上がって、着替える間もなく封を開ける。
 一冊の本は、『歩き遍路』辰濃和夫著。
「まぁ、お久しぶり」
 文章の神様といわれた辰濃さん久々の単行本である。
 鶯色のバックにタンポポの綿毛が白く浮き上がり、表紙の半分より少し幅広の白い帯には、「土を踏み 風に祈る。それだけでいい」と著者自筆で書かれた朱文字がやさしい。清楚な装丁は、文章の柔らかさを、読む前から想像させてくれる。

『旅はいつも、いくばくかの哀しみに似た感情を背負って出発することになる。昔はそんな感傷をわずらわしく思う気持ちが強かったが、いつのまにか、懐にそれを迎い入れ、静かにもてなしてやる気分がでてきたのは年の功とでもいったらいいのだろうか。「やぁ、またか」といった気分で感傷とつきあい、多少は甘やかしてやることにしている』
 まえがきに書かれていた。

 1930年生まれと奥付に記されている。
 朝日新聞ニューヨーク特派員から、『天声人語』を13年間書き続けられたジャーナリストは、数えると76歳になられる。
「するとはじめてお目にかかったときは60代の頃の辰濃さんだったのね」

 その翌年くらいに『野口体操 感覚こそ力』を差し上げた。その時、とてもほめていただいて嬉しかったことを昨日のことのように思い出す。
 10年くらいの年月がたった。
 辰濃さんと野口三千三先生との間で、多少の行き違いがあって、そのとき若輩ながら仲立ちにはいった私は、以来、親しくお話をさせていただいた。
 それからずっとご著書を上梓されるたびにお贈り戴いている。何冊もの本が書架に納まっている。
 
 白い有田焼の茶碗に注がれた初摘みの新茶の緑を思わせる新刊の装丁は、一服の清涼剤を戴くようだ。
 さて、辰濃さんを先達さんとして、遍路道を辿ることにしよう。
 
 人の縁とは不思議なもの!
 野口先生は、今頃、天国で苦笑いをなさっていることだろう。(どう贔屓目にみても、あのときは野口先生に非があったのよねぇ~)もう少しすると時効になるでしょうから経緯をかいてもいいのかなぁ~? なんて思いつつ、すこし蒸し暑くなってきた午後、本を傍らに今日のブログを書いている。

 『歩き遍路』海竜社、7月1日発行である。
コメント
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