羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

原初生命体の発想 5 舐めることそしてイマジネーションという第六の感覚

2006年06月15日 19時16分46秒 | Weblog
 粘土団子をつくるにあたって、多摩川の上流に粘土を取りに出かける話をコメントいただいた。
 
 以前、鉱物標本を主に制作している「ノーベル社」を訪ねて「粘土鉱物」を分けていただいたとき、「専門家ならば自分でとりに行くはず。どういう人が訪ねてくるのかと不思議意思った」と言われてしまった。

 しかし、実際にいくつかの粘土鉱物を手にして、これは相当目利きでないと正確には採取できないものだと思った。
 
 そこで今回いただいたコメントを読んで、なかなか素人には見分けがつかないものだと合点がいった。
 舐めてみて、その舌触りで、粘土鉱物を選り分けるという話に、「なるほど」と頷きつつ、実感を重ねることで感覚は育つものだと改めて思った。

 野口体操の仲間の一人に、なんでも、一応、舐めてみる方がおられる。色が鮮やかに赤過ぎるとか、極彩色の鉱物は避けるらしいが、はじめに「匂いを嗅ぐ」ことで安全性を確認し、その上石を舐めるのである。
 鉱物の場合舐めるといっても、直接舌をつけるのではない。まぁ、彼の場合はぺロッと舐めていることも見かけたが。

 匂いを嗅ぐ、舌で舐める、という行為は、指で触れる・手で触れること以上に、そのものの持つ「質」を鮮明に感じさせてくれるものなのかも知れない。

 感覚とは五感を総動員し、そのうえに「イマジネーション」という名の「第六の感覚」が加わって、さらに鋭敏さを増すものらしいことは、体験の中で知っている方も多いと思える。

 とにかく、粘土団子の「粘土採集」のコメント、ありがとうございます。

コメント (1)
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