羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

原初生命体の発想 2 スメクタイト

2006年06月12日 13時07分52秒 | Weblog
 原初生命体の発想を、どこまで具体化して実感することが、果たしてよいのかは疑問がある。しかし、野口先生が遊んでおられた「スライム」という玩具のことを思うと、そのもとになっていくはずの「スメクタイト」で、遊んでみることは、もしかすると面白いかもしれない。
 
 今朝は、そのスメクタイトを電話で注文し、水曜日に撮りに行く約束をした。
 学校の理科の実験や教材を扱っているところらしいことが、ホームページで推察される。
 歴史も古く大正時代からの会社らしい。
 そしてそこには、いろいろなものがある。たとえば「ホーンパイプ」といって蛇腹になっているプラスティックのホース状のものの端を持って、くるくる回転させると空気がそのなかを通り抜けて、音が出るもで、回転のスピードで音程を変えることができる。つまり早く回転させればピッチは高くなり、ゆっくりすると低くなるものだ。

 そのほかには野外学習用にニコンの「ファーブル」であるとか、頭蓋骨の模型や人体模型、あらゆるものがキットになってそろっているようである。
 花崗岩セットというものもあって、そこには「雲母」も入っているらしい。

 こういった情報は、ホームページで得られるから、とても楽になった。
 とにかく水曜日に直接行ってこようと思っている。

 で、「スメクタイト」は、水中では微細なコロイド粒子(1㎛以下)に分散するらしい。
 土曜日のクラスの方に、この会社の情報と、9グラムのスメクタイトがビニール袋に小分けされたものをいただいて帰ってきた。
 ビニール袋の外側から、スメクタイトを眺めたり、揺すってみて粉の動きをみたりしているのだが、とにかく細かい。「片栗粉」をもっと均質な微粒子にしたようなものだし、粉白粉をケースに移し替えて使っていたときに、手がちょっと滑って粉が飛び散って難儀した記憶などが甦ってくる。その粉白粉よりも微粒子の動きだ。
 そういえば、野口先生も細かな石や鉱物のかけらや砂やベアリングの玉を、こうしたビニール袋に入れて、流れ落ちる動きを見ることをなさっていたことを思い出した。なんだ! なんだ! って感じ。(喜んでいるのです)

 無機界と有機界を結ぶ無機物質としての粘土鉱物。
 これが地球上に‘ありふれたもの’という物質であることが、生命にとって非常に大切な要素だと思っている。
 数や量が多いということ、何処にでもあるということ、つまり気圏・水圏・生物圏の何処にでもあるという「普遍性」が意味することを考えてみたい。
 生命にとって・生物にとって「普遍性」と「個別性」とは何か、ということを粘土鉱物は問いかけてくれるような気がしている。
 
 生命が命のうちに宿す「普遍性」ということは、ものすごく重要なことなのではないだろうか。
 微粒子(美粒子)の動きを見ながら、ふと、そんな思いにかれている。


コメント
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