吉永小百合が主演した「夢千代日記」は、当時、日本人の哀しみを誘った。
映画にもテレビにもなったこの作品、山陰のひなびた温泉街の風情に人々の心が揺さぶられて、忘れかけていた「愛」が「悲哀」のなかで開花することを教えられたような記憶が残っている。
映画は1985年。
早坂暁氏が紡ぎだした名作である。
その町からさらに山奥にはいると、安泰寺という修行寺がある。
兵庫県新温泉町という名に代わっているらしいが、私が記憶している地名は、美方郡浜坂。
というわけで「新温泉町」という名に、かすかな抵抗を覚えながら、日経新聞夕刊「Why 英語 How ③ 言葉のある風景 お坊さん 話せて当然?」という寺の紹介記事を読んだ。
ここは曹洞宗の禅寺で、広大な山林を利用した自給自足の暮らしをしている。
非常に厳しい修行の場であることは、かれこれ30年近く前と変わりはなさそうだ。
しかし、大きく変わったことは、九代目の住職さんがドイツ人で、15人の外国人と5人の日本人が暮らしていること。
実は、知人がこの寺で修行していたころ……25・6年くらい前のことだが……当時は、まだまだ日本人の寺のイメージだった。しかし、この記事を読む限り、インターナショナルな場に変貌をとげたようである。
ドイツ・フランス・ポーランド等々、英語圏以外の出身者が多く、なんと公用語が英語で日本人の方が外国人だという。
知人は、この寺を離れてアメリカに渡った。20年くらいは、アメリカで暮らしたのだろうか。最近になって家族と共に帰国したという話を、風の便りで、耳にしてはいるのだが。
10年一昔。
30年も過ぎれば、大きな変化がおきても不思議はないのだが、思いは複雑微妙である。
なんでもこの寺に登っていく石段は百九段あって「煩悩がひとつ多い人がくるところ」と聞いたことがある。真偽のほどは確かめていない。
「煩悩ね~」
今や、懐かしい言葉になってしまった観がある。
この記事を読みつつ、何時しか、20数年前に時計の針は巻き戻されていった。
ふと、机に頬杖をついて、溜息がもれた。
今にも雨粒が落ちそうな初夏の夕暮れのことだった。
映画にもテレビにもなったこの作品、山陰のひなびた温泉街の風情に人々の心が揺さぶられて、忘れかけていた「愛」が「悲哀」のなかで開花することを教えられたような記憶が残っている。
映画は1985年。
早坂暁氏が紡ぎだした名作である。
その町からさらに山奥にはいると、安泰寺という修行寺がある。
兵庫県新温泉町という名に代わっているらしいが、私が記憶している地名は、美方郡浜坂。
というわけで「新温泉町」という名に、かすかな抵抗を覚えながら、日経新聞夕刊「Why 英語 How ③ 言葉のある風景 お坊さん 話せて当然?」という寺の紹介記事を読んだ。
ここは曹洞宗の禅寺で、広大な山林を利用した自給自足の暮らしをしている。
非常に厳しい修行の場であることは、かれこれ30年近く前と変わりはなさそうだ。
しかし、大きく変わったことは、九代目の住職さんがドイツ人で、15人の外国人と5人の日本人が暮らしていること。
実は、知人がこの寺で修行していたころ……25・6年くらい前のことだが……当時は、まだまだ日本人の寺のイメージだった。しかし、この記事を読む限り、インターナショナルな場に変貌をとげたようである。
ドイツ・フランス・ポーランド等々、英語圏以外の出身者が多く、なんと公用語が英語で日本人の方が外国人だという。
知人は、この寺を離れてアメリカに渡った。20年くらいは、アメリカで暮らしたのだろうか。最近になって家族と共に帰国したという話を、風の便りで、耳にしてはいるのだが。
10年一昔。
30年も過ぎれば、大きな変化がおきても不思議はないのだが、思いは複雑微妙である。
なんでもこの寺に登っていく石段は百九段あって「煩悩がひとつ多い人がくるところ」と聞いたことがある。真偽のほどは確かめていない。
「煩悩ね~」
今や、懐かしい言葉になってしまった観がある。
この記事を読みつつ、何時しか、20数年前に時計の針は巻き戻されていった。
ふと、机に頬杖をついて、溜息がもれた。
今にも雨粒が落ちそうな初夏の夕暮れのことだった。