みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

大炉&茶碗に思うこと

2013-02-20 20:18:42 | 茶道

Dscn3185茶道の稽古で、大炉の炭手前を初体験しました。「大炉」は、北国の囲炉裏から創案された逆勝手の点前です。(稽古中の撮影は憚られたので、掲載の写真はテキスト=淡交社刊のものです。あしからずお許しください。)

Dscn3181逆勝手は手足が縺れそうで難しい、大炉の点前は所作が複雑で難しい、ましてや、その炭手前は通常の手前とはかなり異なる所作が多くて難しい という訳で、これまでは諸先輩の御手前を拝見したり、テキストの説明を読むだけでした。

ところが今日は、やりなさいとの先生の御指示にビックリ。同席の先輩からも、やった方がいいわよ、と勧められ、意を決して取り組みました。

Dscn3183テキストを読んだりしての勉強は、言わば「言葉」の世界。実際にやってみるのは、体感の世界。言葉が体感となり、体感から新たな言葉が生まれてくるような。勉強だけとの決定的な違いを、今更ながら実感しました。

先生と先輩から丁寧な御指導を賜り、なんとか無事に 初炭手前を終えた後は、仲間の御点前での濃茶を、赤楽の茶碗で美味しく喫みました。

濃茶の茶碗は無地が決まりです。模様が描かれているのはタブーなのです。模様は「言葉」に通じるからでしょうか? 濃茶の点前のときは、限られた問答以外は、発語しないことが決まりでもあります。

Dscn3172濃茶には、黒または赤の楽茶碗(千利休が楽長次郎に作らせたのに始まる)を用いるのが一般的ですが、若先生のお話では、(唐物=中国大陸から伝来したものは別格として、)唐津焼や萩焼を用いることも出来るそうです。唐津焼も萩焼も、秀吉時代の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から連れてこられた朝鮮陶工によって作られたのが始まりです。

唐津焼や萩焼で濃茶を呈するときは、茶碗の下に古帛紗を添えるのが決まりです。楽茶碗のように分厚くないため、熱が伝わりやすいからという理由で布を当てるのかしら・・と思っていましたが、朝鮮半島に由来するものへの敬意の表現という意味もあるのかも・・と考えました。

茶道は日本の伝統文化として世界的にも認められていますが、その茶道において、中国大陸や朝鮮半島に由来するものに対し、特別の敬意が払われていることを思い返しました。

中国大陸や朝鮮半島の国と人々に対して、蔑視と憎悪と攻撃の言説が巷間に増幅している昨今ですが、この風潮が行き着くところまで行ってしまったら、日本の伝統文化である茶道の世界さえ、安泰でいられなくなるのではないか・・まさか、そこまでは、と思いつつも、不安を否定することが出来ない私です。