猿は、あと100万年経っても人類には進化しない。
猿は、100万年後も、猿である。
これは、生物学の常識だ(と誰かが言っていた)。
でもそうすると「進化論」は否定されるのではないだろうか?
僕は・・・猿は、人類に近い、近すぎると思う。
昆虫にも共感を覚えるが、猿は…他人事ではない。
今日、YOUTUBEで興味本位に・・・・・・・猿を捕らえて、喰う、という動画を見た。
千葉県だった。
アカゲザルは特定外来種なのだそうだ。
だから、喰おうが殺そうが、許可を得れば、法律的には問題ない(らしい)。
で、
それを見ていて、
自分でも意外だったのだが、強い吐き気がした。
頭が自然に、拒否したのだ。
共食い、というのは生物の、本能上の禁忌である(はず)。
ヒトが猿を喰っても、共食いではないかもしれない・・・っていうか、違うだろう。
でも、人類史に
猿を喰う事例は、少ないのではないだろうか?チャイナの人は昔から喰ってたみたいだが。
「昆虫食」も人類史上、少ないのだが。
どんな動物が何を喰い、何を喰えないのか?というのはなかなかの謎である。
極端な話、例えばコアラはユーカリの葉しか食えないのだ。
パンダも、基本的に笹の葉しか喰わない。
我々は何を喰う?
無機物と木、以外は何でも喰うが、共食いはしない。
共喰いは、怖い。
西洋の、ゾンビの怖さ、というのは死者が動き出す、という怖さと同じくらい、
共食いの怖さ、なのかもしれない。ゾンビは人を、喰うからね。
猿の肉はどんな味がするのだろう?
・・ヒトは?
噂によれば、ヒトの肉は、桃の果実のような味だ、という。
だとしても
僕は喰いたくない。
共食いは、したくない・・・というか、できない。倫理の問題?ではない。
もし、それしか食うものがなければ、餓死したい。
っていうか、
本当は
すべての「喰う」ことから解放されたい。
何も喰わずに、もし 存在できるのなら、そうしたい。
(無理かもしれない。)
僕は、
猿と人間が
近すぎることが 何か、怖い。
京都近郊の森で、野生の猿を目撃したことが、何度かあるのだが、
自分の中で「エンパシー」が発動してしまって、ちょっと困った。
僕は、あらゆる食物の中で「柑橘系」の果実が一番、好きだ。
で、チンパンジーは元来、「果実食」であるという。
(訂正:純粋な果実食はオランウータンだった。)
柑橘系の果実には、一種の「魔」が潜んでいるように思う。
なかでも、「レモンの木」(果実も)の特殊性を訴える人は多い。
我々はもしかしたら、元来「草食」であったのだろうか?
もしくは「果実食」?
柑橘系の果実のみを喰って人は、生きられるのだろうか??????