
絵画、というものに 子供のころから 少しは関心があった。
昔、僕の実家の押し入れには大量の油絵があって、いつもうっすらと油絵の具の匂いが漂っていた。
その押し入れの絵はほとんどが習作か、書きかけの未完成のもの。
実は祖母の実兄が画家で、それは彼が描いたものだった。
片山公一、僕の大叔父にあたる。
事情があって・・彼の死後、習作や未完成作品ばかりがウチに送られてきたのだそうだ。
だから、というわけでは全然ないのだが
コドモ道郎も絵が好きで、でも時代的に漫画とかイラストだったので、
僕が描いたのは線画だ。今でも線画は描く。最新作はROCA’66のTシャツに結実した。
僕の母が生まれる前、祖母たち(祖母と、祖母の姉)は画家の兄を支えるべく、福山から上京した。
だから東京で母が生まれ、僕も東京で生まれたのだ。
その頃の苦労話みたいなのを、祖母が楽しそうに語るのを何度も聞いた。聞いていても楽しかった。
「油絵の具って高価いのよー!」と言っていたのを覚えている。
そう、高価いのだ。今現在とはだいぶ違うと思う。
しかも、色によって値段が違っていたらしい。
今読んでる本、池田満寿夫という人の著作「私のピカソ、私のゴッホ」という本が面白くて。
引用するから、ちょっといち部分だけでも読んでみて。
中央公論 「私のピカソ、私のゴッホ」池田満寿夫著より
以下引用
「確かに赤系統の色のほうが青系統の色よりも遥かに高価だった。
ピカソの「青の時代」はプルッシャン・ブルーという最も安い絵具しか使えなかったからである、
という逸話がいかにも真実味をもって私たちを感激させたものだった。
輝かしく派手な色はそれ自体が贅沢な象徴だった。文学者や詩人なら、一つ一つの言葉に
値段がついているわけではないので、どんな言葉でも平等に使える。
しかし画家は、カドミウム・レッドを使いたくてもクロムソン・レ―キで我慢しなければならなかった。
だからピカソの青は、あらゆる象徴的な意味をはぎ取っても、貧乏な画家の絵であることを
現実感として、若い画家たちに訴える力をもっていたのである。」
引用終わり
すごいよなあ、それ。
戦後の日本は貧しかったから、わかる気もするんだけど、
エコ―ル・ド・パリ当時の、本場のフランスでもそうだったのだろうか??????????
使いたい色が使えない???絵の具が高価いから?????
ピカソ「青の時代」(の時期の絵画)は、貧乏の産物???????
本当なら壮絶な話では、ある。
絵を描くのはきっと、さぞかし贅沢なことであっただろう、と推測する。
僕の大叔父は、
東京の画壇に挑戦するために、福山を離れて上京した。
(成功したのだろうか?でもオギクボに家買ったらしいから、少なくとも喰えてたんだろう。)
そういう感じって、現代の我々みたいな感じかもしれない。多くのバンドマンたち。
メジャーデビュー目指して上京した、そんな人、いっぱいいたよね。行って、戻ってきた人も。
バンドを、人生賭けてやれるのは、贅沢なことだったと思う。
僕としては上京しても全然良かったんだけど、
その機会はついに訪れなかった。いろいろあるのだ。
結果、関西に居つくことになったのだけれど今思えば、それでよかったと思う。
僕らは、これは時代のおかげなのだが
多少貧乏でも 最上級のフェンダーとかギブソンとかのギターを使える。
エフェクターにしてもアンプにしても、最高のものを選べる。
単純に、エレキは高価だからアコギでやってる、というような人は、いないのではないだろうか。
(もし、いたらごめん。)
しかし、絵画にしても、
我々のやってる音楽にしても、
アートというのはいいものだなあ、と思う。
写真は、うちの玄関に飾ってある
片山公一の絵画。生前の祖母から直接、頂いたもの。