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お墓

2025-07-28 10:43:19 | Weblog

RCサクセションの古い歌に「お墓」というのがあった。

これはアルバムとしては確か「ビートポップス」(←傑作!!)に入っていたと思うが、

1980年ごろに出たRCの本に、この「お墓」の歌詞が載っていたのを覚えている。

だから古い歌だと思う。

後々になって関連本を読んで思ったのだが、ここで歌われているのは

清志郎の友達だった「日隈くん」のことなのであろう。

「僕はあの町に2度と行かないはずさ 僕の心が死んだところさ そしてお墓が建っているのさ」

 

 

何故お墓は石で建てられるのか?と言えば、後世まで残るから、であろう。

もっと古いものはおそらく木製であったと思うが、木はいずれ朽ちる。

石なら、朽ちないので、

その人がこの世に、確かに存在した、という証を残したいのだよね、きっと。

しかし。

石は丈夫過ぎる・・・かもしれない。

 

 

福山のお寺さんに、片山家のお墓、というのがある。

子供の頃、祖母や、祖母の姉や、父、母、と、あと僕の兄弟と一緒に、盆暮れに、

お墓詣りに行っていた記憶がある。

そこには祖母たちの兄の、画家だった公一さんが眠っている、という話だった。

事情はよく分からないのだが、東京を拠点に活動して暮らしていた公一さんを、

彼の故郷の福山に葬ったみたいだ。

祖母も、祖母の姉も、今ではその墓の中・・・である。

父は、そこに入りたくない、と生前 よく冗談めかして言っていたので、別のお墓の中である。

(っていうかそのお墓はもう満杯であったらしい。)

それはそれでよかった、と思う。

しかし考えてみれば

生前の公一さんのことを憶えているのは今や、近辺では 僕の母だけである。

僕の知る限りではそうだ。82歳の母。

母がいつか亡くなればもう、画家のおじさん のことを憶えている人は恐らく・・・いない。

僕も、幼児の頃に会ったことがあるかもしれないのだが記憶にない。

ただ彼の絵だけが僕の家にあり、兄の家にもあり、いくつかの美術館にある。

お墓には大きな石に「画家片山公一ここに眠る」と彫ってある。

このようにして いずれ人は、忘れられていくのかもしれない。

あ、そうだ時々、稀に、遺族はまったく誰も行ってないのにそのお墓に

お花が飾られていたことが以前は、あったそうだ。

でも、そういうことも無くなってから久しい。

 

 

 

奈良にある岩佐のお墓も、訪れる人は随分少なくなってしまった。

 

 

 

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