タイプライター

2010-11-15 10:34:25 | Weblog


アメリカの作家、ポール・オースターの

「わがタイプライターの物語」という本を読んだ。

わりに奇妙な質感の小説を書く人で、

けっこう好きなのだ。

それでちょっとびっくりしたのだけれど、

ポール・オースターは何と今でも、

手動式のタイプライターを使って小説等を書いているのだそうだ。

むむむ・・・すごいな。


俺は昔、手動式のタイプライターに憧れていた。

見た目もクラシカルで美しいし。

欲しかったのだがいかんせん、使いようがないので買わなかった。


大昔の話だが、

「日本語タイプライター」というのが世の中には存在した。

っていうか、佐治の家にあったらしい。

現物を目にすることはなかったのだけれど、佐治が操作して、

「ネクスカ」のデモテープの曲名は活字だった。

佐治の話によるとそれは巨大で難儀なシロモノで、打つ度ごとに

活字を取り替えなくてはならなかったみたいだ。

英文タイプみたいなスピードは望むべくもない。



「日本語ワードプロセッサー」というものを作るのは不可能だ、

というような話があったのも覚えている。

確かに、コンピューターが発達、普及しなければ

とうてい無理だったろうとつくづく思う。


1990年頃、エディターの友人の部屋に

ちょっとだけ居候させてもらっていたことがあるのだが、

そこに「最初期の日本語ワープロ」というものがあって、

現役で使われていた。

恐ろしく巨大で、中型の冷蔵庫くらいの大きさだった。

それでパソコンですらないんだぜ。


今では俺も、こうしてパタパタと

タイプライターみたいにキーボードを叩いて日記を書いている。

このキーボードのアルファベットの並びって

そういえばタイプライターと同じなんだよな。


タイプライターと言えばやはり、この話を挙げないわけにはいかない。

ビートニクの象徴とも言える、

ジャック・ケルアックの「路上」という小説。

いや、原題で”ON THE ROAD”って書いた方が気分が出るな。


下書きもなしにタイプライターで、まるで音楽を奏でるように書かれ、

ケルアックがリズムの途切れるのを嫌ったために、

(紙を換えなくていいように)とてつもなく長い

ロール・ペーパーの上に現出した即興小説。

言葉で紡がれたバップ・ジャズ。


かっこいいの極致デスね。


ところでポール・オースター氏のタイプライター。

インクリボンがとうの昔に生産中止らしく(そりゃそうかも・・・)、

倉庫とかから買い集めたらしいのだが、

「あと何年かは大丈夫そうとのこと」で、

そういうのって、他人事ながら寂しい。


「裸のランチ」が映画化されたときに

出てきた、”ゴキブリのタイプライター”も

グロテスクでなかなか良かった。

バロウズはどう思ったか知らないが。



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それは今も、そこにある。

2010-11-13 21:01:46 | Weblog


心がぶっ飛んでしまうようなこと、

人生のゴゴゴ・・・と動く音が聞こえるようなこと、

とにかく夢中になれること。


俺はとにかく、そんなのを探していた。

それは物心ついたときから、ずっとだ。


大好きなレコードの中には「それ」があった。

楽器屋に飾ってあるエレキギターの中にも。

白黒だった頃の雑誌「宝島」のなかにもあったし、

友達の部屋を改造した”スタジオ”にも「それ」はあった。


俺達は奈良の高校生だったから、

身近な都会である大阪に憧れた。

大阪にも「それ」が、あるような気がしていた。


そして高校を出た俺達は大阪で一人暮らしをすることになる。

今になって思えば、

憧れていた都会の街で一人暮らしをすることが出来たなんて、

どう考えてもスゴイことだ。

だって

「自由」だし、「自由」だし、「自由」だし・・・他に何が要る?


金は、いつも無かった。ピーピー言ってるのは今でも同じだ、

でもこれはまぁ、しょうがないことではあるのだ。

だって俺達はとにかくあの、

ショボショボした「普通」って奴から脱却するこしか

頭になかったんだから。

どこを見回しても

「普通」、「普通」、「普通」。

だから俺達は憧れの都市に来て、繁華街の真ん中に逃げ込んだ。


ヘビメタにもパンクスにも、なるつもりなどなかったけど、

まだそういう奴等の方が「普通」よりはよっぽど良かった。

そういうパンクの服屋とかは、

今で言う「コスプレ」みたいに見えてあまり好きではなかった。

そんな風に何かの「型」にはまるのはまっぴらごめんだった。

俺は「俺」でありつづける必要があったのだ。


それは今でも変わらない。

俺は「俺」でいるしか他にないし、

そのことで何かを証明しようとしているのかも知れない、

と思うこともある。


俺達が本当に欲しかったものは、

”心がぶっ飛んでしまうようなこと”だったし、やがて

そういうものには確かに、出会えたのだ。


”本当に感動してしまうようなこと”が、世の中には

ちゃんとあるのだ。

いつか何もかもを忘れてしまったとしても、

その感触を忘れることはないだろう。


それは今も、そこにある。





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小説・「夜と光と絶対性」

2010-11-12 10:58:26 | Weblog


「でもあんただって、夢くらいは見たことがあるだろ?」

その女は俺の眼をのぞきこみながら言った。

「夢?」

「そうだよ、夜に見る夢さ」

俺は諦めて、正直に言うことにした。

「俺にとっては夢の世界が本当の世界だから

夢を見てるって感じじゃないんだ」

女は俺の顔をまじまじと眺め、

「あきれた、本気でイカれてるんだね」

と言った。


光はいまや、地上のあらゆるものを浸食しつつあり

俺達の乗った旧式で巨大な船も、その例外ではない。


「ねえ、そのうちみんな光に喰われちまうよ」

女はそう言うけれど、本当はどう思っているのか

俺には全然、わからなかった。


でも確かずっと前にも、こんなことがあったはずだ。

何ひとつ思い出せやしないけど、 きっと間違いなく。

俺は俺であることを放棄してただ、光に溶けてゆく。

それは至福、と言うことも出来るし

絶対的な孤独、と言うことも出来る。

そしてようやく俺は

夢を見るのをやめることが出来るのだ。

結末としては、そう悪くない。


「眠っちまったのかい?」

女が俺の頬をはたきながら言う。


光の雨は止むことがなく、

すべてはスローモーションのように ゆっくりになっていって、

でも永遠に止まることはない。


その時、俺はわかったような気がしたんだ。

頭の中がどこまでも透き通って、

他人が考えることをみんな、理解してしまったような。


でもそんなのは一瞬のことで、

目を開けてみても見えるのは真っ白い光だけだった。


そして俺達を乗せた巨大なスクラップみたいな船は

凍てついた夜の中をどこまでも漂っていく。







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2010-11-09 14:02:21 | Weblog



亡くなったはずの盟友が、

どこかの野外のステージの上から

緑色の長い髪をかきあげ

以前のように瞳をぎらつかせながら

俺に言ったのだ

「ギター弾いて欲しいねん」と。


俺は、

2秒ほど迷ってから

「やる」と言う。


そういう夢を昨晩、見た。


妙に鮮明な夢。


さて、どういう意味なのか。

君は何を欲している?

俺はどう動けばいい?


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晩秋の夜は透き通った闇に

同化していく世界の立てる小さな音が

僕の上に

細い雨みたいに降って

そのあいだじゅう

永遠に失われた歌が

頭の中でだけ鳴り続ける


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懐かしの「聖なる酔っ払い」よ、

あの頃の事は今や、

僕と君しか

憶えていないみたいだぜ。


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11月

2010-11-07 12:23:25 | Weblog


気がつけば11月の真っ只中にいる。


もはや晩秋に片足を突っ込んだような天候。

秋らしい日があまりなかったような気がするけど、

まだ11月がたっぷりと残っている。


12月に入ったらまた

気持ちを「戦闘モード」に切り替えるのだ。


でもそれまでは静かに暮らしたいと思う。

しかし、出来るなら一年を通して・・

いや、一生のあいだ、静かに暮らしたいよな。

でもきっとその通りになったら退屈するに決まってるのだ。

「ないものねだり」をしてしまうのはある種

しょうがない、とも言える。


ところで最近は、「感情の動き」みたいなことについて

考えたりしている。

「激情に振りまわされる」ようなことって

俺はあまりなくって、

感情をコントロールできるほうだと

自分では思っているのだけれど。

でも時々は、夜中とかに

どーっと落ち込んでしまったりすることはあって、

「何であのとき・・・」みたいな・

そんなのはきっと、誰にでもあるよね。


それにしても

何にもなければいつも楽しいのに。

でもなかなかうまくいかない。

最高のものと最低の感情ってやっぱり

うまい具合に1セットになっている。

やはり、リスクのないところに楽しみはないのだ。


リスク、リスク、リスク。

そんなのを全部引き受けてこその

「両手ぶらりノーガード戦法」なのかも知れない。

狙うのはやはり、壮大な「ひっくり返し」か。



でも「痛い目」なんて見ずにすんだら、

それはその方がいいよな。




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風潮

2010-11-03 12:26:35 | Weblog


僕はわりに昔から「菜食主義」みたいなのに

うすぼんやりと憧れを持ちながら、でも全然・・

そんな風になれないままでいる。


しかし時々思うのだけれど、

世界は少しずつ「そっち側」に、

にじり寄りつつあるのではないだろうか。


ほんの一端なのだけれど、最近・・・・

動物の皮革を使った衣服などが、一時より少なくなった気がする。

合成皮革が進歩を遂げたせいもあるのだけれど、

それだけではない、「風潮」みたいなのを感じる。


もしかしてあと100年くらいしたら、

「焼肉」なんてのも消滅してるかもしれない。


いや、残酷とかそういうのとは別に、

人口爆発しているこの地球上で、増え続ける人類の食料として

もう「家畜」なんてのを養ってる場合じゃない・・・

というような話があって、つまり「食肉」は贅沢すぎる、という事だ。


革ジャンを着たり、焼肉屋に行ったり・・・

みたいなのが もう、ありえないかもしれない未来。


最近のニュースで報じられている通りなのだが、

近い将来には、マグロだって(今のクジラみたいに)、

食べられなくなるかも知れない。


でも人類ってやっぱり、

「傲慢」と言われてもしょうがないかも知れない。

魚とか生きてるもののことを「資源」って呼んだりするし、

恐ろしいほどのスピードでいろいろな生物種を

絶滅に追い込んでいる。


我々はアクマなのだろうか。


人類は「火」の使い方を知った時から

激変してしまったのかも知れない、と思うことがある。


「火」なんて本来、

地球上に普通に存在するものではないからね。







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音楽

2010-11-02 09:42:25 | Weblog




「音楽なんて・・・」と自嘲的に考えることもある。


だって例えば音楽って

決定的な勝ち負けなどないし、

評価は聴く人によって全然違う。



いくらやってもどうにもならない時があったかと思えば、

何の気なしにやってみて

びっくりするほどうまくいったりする。


でもそれが

腹の足しになるわけでもないし、

特に何か具体的な力を生み出せるわけでもない。



それでも我々は音楽に夢中だ。

どうしたって結局は

山登りにも行かないし、

バッティングセンターに通ったりもしない。

(海に行ったりは、したな。)


そのかわりに我々は、

往々にして地下にあったりする音楽スタジオで

「実験」に近いようなことを飽きもせずに

繰り返すのだ。


そして時々は、音を出せるような酒場で、

ギターを鳴らしたり、歌ったり、ドラムを叩いたりする。

それはつまりそこで、我々のお気に入りのあのおなじみの

「幻想」ってやつを現出させることが目的だ。


音楽と言葉が合わさって生まれる「幻想」。


俺達が本当に好きなのは「それ」なのだし、

こんな殺伐とした人生の中にそういうものが

「ある」ってだけで

冗談抜きでよかったじゃないか



・・・みたいなことを時々は思うのだ。














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