アメリカの作家、ポール・オースターの
「わがタイプライターの物語」という本を読んだ。
わりに奇妙な質感の小説を書く人で、
けっこう好きなのだ。
それでちょっとびっくりしたのだけれど、
ポール・オースターは何と今でも、
手動式のタイプライターを使って小説等を書いているのだそうだ。
むむむ・・・すごいな。
俺は昔、手動式のタイプライターに憧れていた。
見た目もクラシカルで美しいし。
欲しかったのだがいかんせん、使いようがないので買わなかった。
大昔の話だが、
「日本語タイプライター」というのが世の中には存在した。
っていうか、佐治の家にあったらしい。
現物を目にすることはなかったのだけれど、佐治が操作して、
「ネクスカ」のデモテープの曲名は活字だった。
佐治の話によるとそれは巨大で難儀なシロモノで、打つ度ごとに
活字を取り替えなくてはならなかったみたいだ。
英文タイプみたいなスピードは望むべくもない。
「日本語ワードプロセッサー」というものを作るのは不可能だ、
というような話があったのも覚えている。
確かに、コンピューターが発達、普及しなければ
とうてい無理だったろうとつくづく思う。
1990年頃、エディターの友人の部屋に
ちょっとだけ居候させてもらっていたことがあるのだが、
そこに「最初期の日本語ワープロ」というものがあって、
現役で使われていた。
恐ろしく巨大で、中型の冷蔵庫くらいの大きさだった。
それでパソコンですらないんだぜ。
今では俺も、こうしてパタパタと
タイプライターみたいにキーボードを叩いて日記を書いている。
このキーボードのアルファベットの並びって
そういえばタイプライターと同じなんだよな。
タイプライターと言えばやはり、この話を挙げないわけにはいかない。
ビートニクの象徴とも言える、
ジャック・ケルアックの「路上」という小説。
いや、原題で”ON THE ROAD”って書いた方が気分が出るな。
下書きもなしにタイプライターで、まるで音楽を奏でるように書かれ、
ケルアックがリズムの途切れるのを嫌ったために、
(紙を換えなくていいように)とてつもなく長い
ロール・ペーパーの上に現出した即興小説。
言葉で紡がれたバップ・ジャズ。
かっこいいの極致デスね。
ところでポール・オースター氏のタイプライター。
インクリボンがとうの昔に生産中止らしく(そりゃそうかも・・・)、
倉庫とかから買い集めたらしいのだが、
「あと何年かは大丈夫そうとのこと」で、
そういうのって、他人事ながら寂しい。
「裸のランチ」が映画化されたときに
出てきた、”ゴキブリのタイプライター”も
グロテスクでなかなか良かった。
バロウズはどう思ったか知らないが。