それは今も、そこにある。

2010-11-13 21:01:46 | Weblog


心がぶっ飛んでしまうようなこと、

人生のゴゴゴ・・・と動く音が聞こえるようなこと、

とにかく夢中になれること。


俺はとにかく、そんなのを探していた。

それは物心ついたときから、ずっとだ。


大好きなレコードの中には「それ」があった。

楽器屋に飾ってあるエレキギターの中にも。

白黒だった頃の雑誌「宝島」のなかにもあったし、

友達の部屋を改造した”スタジオ”にも「それ」はあった。


俺達は奈良の高校生だったから、

身近な都会である大阪に憧れた。

大阪にも「それ」が、あるような気がしていた。


そして高校を出た俺達は大阪で一人暮らしをすることになる。

今になって思えば、

憧れていた都会の街で一人暮らしをすることが出来たなんて、

どう考えてもスゴイことだ。

だって

「自由」だし、「自由」だし、「自由」だし・・・他に何が要る?


金は、いつも無かった。ピーピー言ってるのは今でも同じだ、

でもこれはまぁ、しょうがないことではあるのだ。

だって俺達はとにかくあの、

ショボショボした「普通」って奴から脱却するこしか

頭になかったんだから。

どこを見回しても

「普通」、「普通」、「普通」。

だから俺達は憧れの都市に来て、繁華街の真ん中に逃げ込んだ。


ヘビメタにもパンクスにも、なるつもりなどなかったけど、

まだそういう奴等の方が「普通」よりはよっぽど良かった。

そういうパンクの服屋とかは、

今で言う「コスプレ」みたいに見えてあまり好きではなかった。

そんな風に何かの「型」にはまるのはまっぴらごめんだった。

俺は「俺」でありつづける必要があったのだ。


それは今でも変わらない。

俺は「俺」でいるしか他にないし、

そのことで何かを証明しようとしているのかも知れない、

と思うこともある。


俺達が本当に欲しかったものは、

”心がぶっ飛んでしまうようなこと”だったし、やがて

そういうものには確かに、出会えたのだ。


”本当に感動してしまうようなこと”が、世の中には

ちゃんとあるのだ。

いつか何もかもを忘れてしまったとしても、

その感触を忘れることはないだろう。


それは今も、そこにある。





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