夏の間は「夏休み子供電話科学相談」というラジオを聞いている。
ぶっ飛んだ子供の疑問とか、
「え・・・そうなんだ?」というような科学の話がとても面白いので、
ここ何年かは夏の間の仕事中、ラジオと言えばこればっかり聞いている。
で、前から思っていたのだが、
純粋に(音声による)言葉だけのコミュニケーションってやっぱり難しいのだな。
特に、子供との音声言語コミュニケーションは。
ラジオだから、質問者と回答者がお互いの顔も見えないし(電話相談だからね)、
身振り手振りもない。
そして言語的に、ボキャブラリー的に、子供には色々な言葉(単語)が通じない。
熟語、とか・・普通に我々が使っている言葉が通じないことが多い。
でもそれはそれで当たり前だし、いいのだ。
アインシュタイン(だったと思う)の言葉で、
「5歳の子供に説明できないのならそれは、自分で理解していないのと同じだ」みたいなのがあった。
だからその事は回答者の試練である。
それはいいのだが、以前から、「田中」という回答者のおじいさん(植物学者だと思う)の「方言」が気になっていた。
もちろん、「方言」はいいものである。大事にするべきだし、話者は誇りを持つべきものである。
だがその人、子供に対して時々「通じない」ほどのきつい関西弁・・・・・なのだ。
通じないからと言って言い直しとかも、しない。
ひとつ例を挙げるとこのヒト、果実などが「出来た」ということを「でけた」と言う。
そうとしか言わない。
ちょっと聞いててイラッとしてしまうことが以前は、多々あった。
でも最近は、これはこれでいいのだ、という気がしてきた。
このヒトはきっと「音声言語コミュニケーションの不完全性」というものを子供に教えようとしているのだ。
この狭い島国にも、多種多様な音声言語のヴァリエーション(方言)があって、
それはそれで正しくて、だから一筋縄では行かないのだ世の中。
思ったのだが、俺がそういうのを聞いててイラッとしてしまうのはきっと、
自分がある程度、「相手に合わせた方言で会話するタイプ」だから・・・・なのだろう。
子供の頃は当然、「東京弁」みたいな言葉を使って暮らしていたから、
今でも、そういう言葉のヒトにはそういう言葉で話す。
高校で関西に来たから、関西弁(に近い言葉)も使える。(擬似関西弁・・かもしれないが。)
だから関西では関西弁を使って暮らしている。そうしないと話にならないのだ、関西では。
せやろ・・・・・・・せやねん。
あと、そうだ、広島県で小中学校時代を過ごしたが、広島弁は使えない。むむむ、これはしょうがない。
でも
相手が誰であろうと、関西弁しか話さなかったマッドギャング碇健太郎とかディディ村上とか、
ああゆう「関西弁オンリー」のひとはカッコよかったな、と思う。
佐治も関西弁オンリーだったな。
俺はあんな風には、なれないのだけれど。
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