楽譜的音楽、自作自演的音楽。

2019-12-29 20:34:13 | Weblog
うまく自分の中で整理できていないのだが、

思うに・・・・・

音楽には、「楽譜を読みながら演るもの」と、「自作自演で演るもの」、の

2種類あるのかもしれない。

伝統的で正統的なクラッシック音楽のほとんどは

過去の偉大な作曲家達がつくった、偉大な楽曲を、楽譜どおり・・・(とは言え、

楽譜の解釈も百人百様で、いくらでも「読みよう」があるのだが)、演奏する。

基本的にはそういうものである。

でもパンクとか、ロックやフォークの多く・・・は、自作自演の世界である。オリジナル楽曲が全てだ。

「自分が言いたいことを言う」のだ。そのためには自作自演は必須だ。

でも偉大な作曲家の曲を、楽譜どおり演奏したり、有名曲のカヴァーやコピーをしたりすることが

悪い、とは全然思わない。当たり前だが。

でも、自分自身が演りたいのは言うまでもなく、自作自演だ。

「自作自演」といっても・・・・・・何もない、ゼロの地点から創作など、出来はしない。

もちろん「自作」は、ドレミファの音階ありき、だし(それはつまり、「コード(和音)」ありき、ということでもある)

そして「歌」の場合もちろん、言葉ありき・・だ。

楽曲的には、過去のロックミュージック、ポップミュージック、フォークミュージックのフォーマットも

無意識のうちに土台に、そして参考にしていると思う。


でも、それでも、出来上がった「自作曲」は、世界に唯一のものであるのだ。それは間違いない。

そういうものを創作するのは、そんなに困難なことではないし、

それは「やる」か、「やらない」か、というだけの違いしかないのだ。



だから、何が言いたいか、というと

クラッシックとかの「過去の偉大な作曲家」重視の世界と、

「自分で作っちゃえばいいじゃん」というような世界は

同じ音楽でも結構距離が、かけ離れているのかもしれないなぁ・・・・・・ということだ。

もちろんだが、

どっちが「良く」て、どっちが「悪い」という話ではない。

音楽的達成、とか技術的な高み・・・・みたいなことに関しては

クラッシック・ミュージックに、敵いはしないのだ我々は。

でも、クラッシックに比べたら音楽的に安易かもしれないがロックミュージックは、

自分自身を投影できるのだ。このことの「強み」は、

計り知れない・・・と思う。
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