まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「奥出雲おろち号」に乗り、さらに追いかけて堪能する

2023年06月15日 | 旅行記F・中国

5月21日、出雲坂根から備後落合まで「奥出雲おろち号」で往復したその復路編。木次線ホームから発車する際、国鉄OBで備後落合駅のボランティアガイドを務める永橋則夫さんが手を振って見送る。「奥出雲おろち号」が備後落合に姿を見せるのも、あと半年ほどだ。

復路はトロッコ車両の窓側(窓はないが)で、おじいさんとお孫さん2人と相席である(この後、「おばば」が運転するクルマが国道を並走し、それに向かって手を振っていた)。復路も満席表示だったが、一角がすっぽりと空いている。三井野原から団体客が乗って来るそうだ。

備後落合からは機関車が牽引する。本来の客車列車としての構図である。ディーゼル機関車から発せられる熱気と煤煙が後方に伝わって来る。途中のトンネルでは煤煙が結構来る。ここは先ほどまで外していたマスクが役立つ。

また、沿線に伸びる草木も容赦なく入り込む。思わず身をすくめることもしばしば。ただ、反対側の窓枠に広がる緑の景色は一つの屏風でも見ているようで、ある意味「緑のトンネル」を行くがごとくである。「おろち号」は11月末で運転を終了するが、その時は紅葉を見ることができるだろうか。

三井野原で団体客が乗車し、ほぼ満席となった。団体客はそれぞれ弁当を手にしており、早速広げる人もいる。ちょうど昼の時間帯だし、スイッチバックを体感しながらの食事も乙なものだな・・と見ていると、トンネルで強風と煤煙が入って来たのに悲鳴があがる。この先、出雲坂根まではトンネルも多く、食事はむしろ出雲坂根を発車してからのほうがよさそうだ。

座席が展望の広がる側とあって、座ったままで景色を楽しむことができる。道の駅で手を振る人も、往路の時より増えているように見えた。

そしてシェルターの向こうの行き止まりでいったん停車し、進行方向が変わる。機関車から運転士がやって来て、車内から拍手も起こる。そしてそのまま、出雲坂根駅に入線する。「おろち号」の一番の見どころであるスイッチバックを往復した後で、私の乗車もここまでである。

「おろち号」はしばらく停車するため、乗客のほぼ全員がいったん列車の外に出る。まずは駅舎側ホームに停まっていた梵語落合行きの気動車が発車する。こちらは沿線の桜をイメージしたピンクの塗色である。

気動車が出発した後は、機関車を先頭にした「おろち号」の全体を見ることができる。やはりこの構図のほうが列車らしい。自然、多くの人がカメラやスマホを向ける。

また停車中、焼き鳥やそば、「おろち号」グッズを買い求める人、「延命水」を汲む人などで、出雲坂根駅もこの日一番の賑わいを見せる。

せっかくなので「おろち号」の出発を見送ろうと、駅から数十メートル先の踏切脇に陣取る。発車時刻となり、機関車の警笛が響く。やはり機関車が先頭だと、昔ながらの客車列車を彷彿とさせ、見栄えもよい。沿線で「おろち号」を撮影した写真もブログやネットなどで数多く見るが、機関車が手前に来る構図が多いように思う。

さて、これで「おろち号」にも乗ることができた。これにて私としては一応「お別れ乗車」とするつもりだが、なんやかんやで「最後にもう1回」があったりして・・。

ここでクルマにて「おろちループ」で備後落合方面に戻るところだが、ふと、逆に「おろち号」を追いかける形で出雲横田方面にクルマを走らせる。もう少し、列車が走る姿を見たいと思った。

こちらは一応法定速度だが、相手はのんびり走る客車列車である。途中で追いつき、追い越した。

撮り鉄ではないので撮影スポットなど事前に調べていないのだが、あるところの踏切手前で列車が見渡せそうなのでそちらに向かう。間もなく「おろち号」がやって来た。カメラの腕はともかく、のどかな景色をバックに懐かしい列車が走るのを沿線で見送るのもよいものだ。

この後もう一度追い越し、その走りを目にする。国道では「おろち号」をカメラに収めた後、三脚やカメラを手に急いでクルマに乗り込み、急いで走らせるその筋の本職たちの姿も目立つ。

続いて、出雲坂根の次の八川に到着。昔ながらの木造駅舎の向こうにちょうど「おろち号」が到着したところだった。八川からは国道と木次線が離れることもあり、ここで発車を見送り、列車の追っかけも終わりとする。

八川といえば駅に隣接する「八川そば」が有名だが、久しぶりにこのエリアを訪ねたということで、駅舎じたいがそば屋になっていることで有名な亀嵩駅に行ってみよう。10何年ぶりかの訪問である。

亀嵩駅の「扇屋そば」は1973年創業。私と同い年だ。駅務室のスペースを改装して駅舎そのものをそば屋にしたことで、また松本清張の「砂の器」の舞台にもなったことで人気を集め、現在にいたる。

待合スペースに置かれたモニターでは、丹波哲郎、加藤剛出演の映画「砂の器」のダイジェスト版が流れていた。犯人と被害者との会話中の「カメダ」が「(雨後)亀田」ではなく「亀嵩」というのが事件解決への第一歩になったのだが、この記事をパソコンで打っている時も、「亀嵩」と入力しようとして、「かめだ」までで思わず変換キーを押してしまい、一時「亀田」と表示された。

普通に温かいかけそばを注文してもいいのだが、やはり出雲ということで出雲スタイルの割子そば注文する。さらにおかずもついた定食スタイルとする。欲張りに5段重ねにしたものだから、重ねてもよし、テーブルに広げても豪華に見える。その一方でそばそのものは素朴な味わいだ。

・・とそこに、先ほど見送った「奥出雲おろち号」がホームに入って来た。そば屋の座敷越しに車体を見ることに。事前予約で、亀嵩駅の「そば弁当」を車内で味わうことができるが、この列車では利用客はいなかったようだ。

土産用のそばも買い求め、亀嵩を後にする。出雲三成の駅前まで来て、国道432号線を走って島根と広島の県境を越える。そして庄原市に入った「道の駅たかの」にていったん休憩。クルマで来ていることもあり、冷凍のイノシシ肉や地元野菜などを買い込む。

松江道に入り、三次東インターから中国道に合流して広島市内に戻る。ここまで順調だ。

三次方面から中国道を経由して帰宅する場合、広島ジャンクションで山陽道に合流して五日市インターに進むのだが、この日(5月21日)はG7広島サミット開催にともなう交通規制の最中。五日市方面の車線は封鎖されていて、逆の広島インター方面に誘導される。

このまま広島インターまで行くのかと思ったが、合流直後の沼田パーキングエリアにあるETCレーンから外に出られるようだ。ここからなら時間のロスは最小限に抑えられそうだ。

下道に出てからもいつも通りの込み具合で、そのまま帰宅できた。G7広島サミット、交通規制が市民への生活に重大な影響を及ぼすとして不満の声も多く挙がっていたが、いざ蓋を開けてみると事前に騒がれていた割には交通もスムーズだったという印象だった。ただこれも関係者の皆さんの尽力があってのこと。後は、ウクライナのゼレンスキー大統領も飛び入り参加したサミットの成果が世界にどのようなプラスの影響をもたらすかだと思うが・・・。

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